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しげい病院のビオトープにて

2018年の3月、14年間過ごした大阪から再び倉敷の街に戻ってきて、市立美術館近くのマンションに居を構えた。幸いなことに、マンションには園芸用の広いベランダがあり、大阪の家の庭で育てていた草花を鉢に移して、倉敷の新居に移植できた。

初夏の頃である。クリスマス・ローズの鉢に見知らぬ草が生えてきた。葉っぱがクローバー状で萩に似ていたので、とりあえず新しい鉢に植え替えて様子を見ることにした。草は夏を迎えて、みるみる背丈が高くなった。しかし秋になっても、まったくあの紅紫色の花が咲く気配がない。

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見知らぬ草:ただし、二代目である

本当にこの草は萩なのだろうかと、倉敷川のほとりに萩が植えてあるのを思い出して、確かめに出かけた。そのとき判ったのだが、萩には二種類あり、紅紫色の花をつける種類と、白い花をつける亜種のシラハギがあることを知った。倉敷川河畔には両方の萩が植えられていた。葉の形は普通の萩とシラハギでは違っていて、我が家の草はどちらかというとシラハギに似ていたので、シラハギだと納得して帰ったのであった。しかし一向に花は咲かなかった。

晩秋を過ぎた頃、回復期リハビリテーション病棟に関わる会議で、しげい病院を訪れた。しげい病院の売店前のロビーから見える庭には、自然の生態系を再現したビオトープがしつらえてあった。ビオトープは浅い池とそれを取り囲む土手からなり、池にはトンボのヤゴが生息している。

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しげい病院のビオトープ:ただし、初夏である

(カフェ・スペースからゆったり眺めることができる)

その池の畔の一角に、なんと我が家の草と同じ背の高い草が、群生しているのが見えるではないか。そのときは要件が優先だったので、後日、改めて、しげい病院のビオトープを訪れた。案内係のボランティアの男性がいたので、草の名前を尋ねると、「コミカンソウ」であると教えてくれた。名前の由来はみかんの果実に似た小さな実をつけるからだそうである。

病院の一階にある、ビオトープが属している昆虫館には、医療法人創和会の創始者の重井博 医師の偉業が展示されていて、この小さなビオトープは、重井 博 医師の志の象徴であることを知ることができた。重井医師は、医業の傍ら、生涯をかけて岡山県の本来あった生態系の保全に努め、私財を投じて重井薬用植物園を整備されたことを知った。案内の地図によると、薬用植物園は山陽自動車道倉敷インターの近くに位置している。もちろん薬用植物を栽培している営利目的の施設ではなく、広大な敷地に岡山県の本来の生態系を費用をかけて保全している場所であり、法人にとって少なくない出費のかさむ部門だと想像できる。

見知らぬ草が、重井 博 医師の偉業を知る機会に導いてくれたことになる。この話を今年初めの岡山県病院協会地域医療部会の集まりで披露したところ、出席者の中に重井医学研究所付属病院の病院長である真鍋康二先生がおられ、心に留めていただいていた。翌週、岡山病院協会の新年会に出席したところ、偶然にも真鍋先生と同じテーブルになり、親しくお話をさせていただくことができた。

真鍋先生は重井 博 先生の義理の息子にあたり、生前の重井先生に連れられて岡山の生態系保全の現場を巡った思い出を話して下さった。ビオトープと昆虫館だけでなく、ここでも重井 博 先生の存在の証を感じる機会となった。しげい病院と重井医学研究所付属病院を包する医療法人創和会は、今では職員数1000名を超える組織に発展したとのことで、大きな非営利部門を抱えながらも、弱きもの、こわれやすいものを守るという気概が、法人をそこまで発展させたものと確信した。

同じ会場にしげい病院院長で、重井 博 先生の子息にあたる、医療法人創和会理事長の重井文博 先生もおられ、ビオトープの話で盛り上がることができた。今度、ぜひ重井薬用植物園を訪れたいと思う。しげい病院の清水先生によれば、初夏から夏にかけてが、素晴らしいそうある。

我が家にやってきた見知らぬ草が、ここまで縁をつなげてくれたことに感謝したい。

(2019年1月19日)


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