もうひとつの12月8日

1941年12月8日、第二次世界大戦、開戦の日、もうひとつの事件が起きていたのです。

私は、その事件のドキュメンタリー映画を見てきたので、内容を多くの人に知っていただきたく、この文章を書きます。

その朝、一人の北大生が、アメリカ人夫妻の家に向かいました。

その北大生の名は宮澤弘幸さん。アメリカ人教師夫妻は、ロナルド・レーン、ポーリン・レーンさんといいます。

レーン夫妻には二人の娘さんがいて、家族ぐるみで、ドイツ人教師、イタリア人教師、フランス人教師家族とともに、学生たちとも親睦を深めていました。日本語で(こころの会)という意味のフランス語のサロンを開いて、広く学生を受け入れていたそうです。

宮澤さんは、その中でも語学力に長けていて、積極的に集会に参加していたそうです。

そのことに「特高警察」が目をつけて軍機保護法違反で宮澤さんを逮捕しました。

宮澤さんが、レーンさん家族に話したことは、だれもが知っている世間話に過ぎなかったと、そのころのことを知っている人たちは証言しているそうです。

宮澤さんとレーンさんは裁判で、懲役15年の刑に処せられ、レーンさん家族は戦時中の交換船でアメリカに送り帰され、宮澤さんは北大を退学処分にされ、敗戦後の1945年10月10日に釈放された。が、獄中で結核を患い、1947年2月22日に回復することなく死去した。

そのことは世間に知られることなく、数十年が過ぎたが、この事件を上田誠吉弁護士、朝日新聞記者薮下彰治朗氏が事件を語るドキュメンタリー映画を製作した。

1993年制作のこの映画を知ったのは、今回初めてなのですが、証言者のコロラド州在住の秋間美江子さんには、数年前に来日されたときにお会いする機会があり、ご本人か事件の経緯をお伺いして知っていました。

奇跡のような出会いでした。

このことは語り継がなければ、と再認識した映画鑑賞でした。



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