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ひがし茶屋街

 面白いものは人のいないところにこそあるはずなのだ。レンタル着物を着ていたり着ていなかったり、連れがいたりいなかったりする人々が、乱立する甘味処や土産処にたむろし、狭い間口から奥へと吸い込まれてゆく。ちなみに連れのくだりは嘘で、連れがいないものはほとんどいない。

 その真ん中の通りに何ほどのものがあろう。Kitsch!

 こうして私は勇躍、脇道に足を踏み入れた。こういう者を天邪鬼、世間に横車を押して通る輩、もしくは単に阿呆と言う。

 人が二人手を広げればもう通れなくなってしまうくらいの狭さの道は、新しい住宅と瓦葺きの古い家、更に古いのであろう連子窓の町屋の3種に挟まれて構成されていた。新築新築瓦葺き新築瓦葺き町屋。新築町屋瓦葺き瓦葺き……オセロのように、挟まれた真ん中がひっくり返りそうである。明らかに新築の家からは小学生らしき男の子が走り出てき、庭の大きな木の枝を業者が剪定していた。艶々した緑の葉をたくさんつけた大枝が地面に並べられ、青臭いような匂いが立っている。紅殻色もまだ鮮やかな連子窓の町屋は、補修でもしたのか、それとも元からそう作ったのか、一見して通りに面した部分だけがそうなっている町屋「風」であり、黒茶色の細格子がところせましと干された素麺のように細かく前面に巡らされた建物は、後ろまでまるっと全て町屋、ほんものである。まっすぐに伸びる道から逸れて、曲がりくねった道に足をふみ入れると、住宅に混じって旅館、古民家カフェ、渋谷あたりにありそうな高級食パン屋などがあった。そこから先は行き止まりである。もう一度まっすぐ道に帰り、今度はその道に忠実にまっすぐ歩く。突如、つま先上がりのその道の斜め前に、急な斜面に刻まれた階段が現れた。地図を見ると、どうやら奥に見える山一帯に点在する神社群に続いているらしい。正真正銘の、「人がいないゾーン」である。さらにこの階段というのが約四十五度の急勾配、すでに三万歩近く歩いている私には歩き通し、また戻ってこれるのか一抹の不安がある。手すりもなく、途中で緩やかに曲がっているためにどこまで続くのか見通せず、不安はさらに煽られる。
 この後私は浅野川の川べりをふらふらせねばならず、土産物も買わなければならず、あわよくば何か甘いものにありつきたいとも思っており、このゾーンに足踏み入れたらその時間もなく、さらには粗忽な私のことだから、一時間半後の新幹線を逃すか何かしてしまうはずなのである。無念。

 まっすぐ歩くのを断念して、左に曲がる。新築新築町屋、が町屋町屋偽町屋町屋という体になり、メインストリートに近づいているのがわかった。レンタル着物を着ている人々の姿もちらほら見え、腕をいっぱいに伸ばして紅殻色の格子を背景に俳優顔負けのキメ顔をスマホに向けている。よく見よ、それは偽町屋だ。

 真ん中の通りに足を踏み入れた私は目を見開いた。

 左右に黒茶色の連子窓の町屋がびっしりと軒を連ねている。それは無数の細い格子の縦の線によって強調され、すっきりとして非常に丈高く見える。その簡素だが重厚な風情を脅かさない程度に、店名が書かれた落ち着いた色の幔幕が張られている。インスタにでもアップする予定なのか、撮影の時だけかわりばんこにマスクを外すという注意深さで、建物の前でひとりひとりの写真を取りあう集団がいる。その傍らでは、街並みを背景に写真を撮る着物姿の三人組が、カップルから「写真を撮ってください」と言われ、「もちろん」とスマホを受け取っている。見ず知らずの人と「写真を撮ってください」と言われて撮りあう、こうした気軽なコミュニケーションが発生しうるのが「旅行」だったなあとなんだかノスタルジックな気分になった。メインストリートが人気なのには理由があり、人気だからこそメインストリートになるのだ。

わたしは人のたくさんいるカフェに入ってジェラートを舐めた。しかし、偽町屋や曲がりくねった道の向こうの古民家カフェや食パン屋、あやしげな階段に出会えたのは面白いことだった。天邪鬼も悪くはないのだ。

←ミルク   黒胡麻→
犀川と対になり、優美な流れから「女川」と称される浅野川だが、こちらの方が流れが速く見えた。こはいかに。

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