医学生による自主勉強会の実践と医学教育学

最近、医学生による自主的な勉強会が盛んであると感じます。(もっとも、これは単に私がそういう環境に身を置いているから感じるだけのことかもしれませんが。)

しかし、このような勉強会に携わっている学生の多くは、私自身を含め、医学教育の理論も研究手法も知らず、当然のことながらFDとも無縁です。少し勿体ないような気がします。

この方面を積極的に学ぶことに関しては、主に2つのメリットがあると考えています。
一つ目は、教育者の視点を知ることで学びが深まること。これは詳細割愛します。
二つ目は、勉強会等の活動内容を(客観的に?)評価するための視点を得ること。

勉強会運営の流れの一例
1. テーマや学習目標を決め、実際の勉強会の内容を考える。
2. どうにか頑張って運営する。
3. 実施後は参加者にアンケートを取り、次の企画の参考にする。

ありうるリサーチクエスチョン
1. どうやってテーマを決めたか。タクソノミーは意識したか。
2. 運営上の工夫の数々:たとえば、ファシリテーションはどのように行われたか。(※)
3. 参加者は学習目標をどの程度達成できたか。
(※:最近、ファシリテーションひとつ取っても沢山の先行研究があることに気付き、驚かされました。)

このような事柄をきちんと評価することは決して簡単ではありません。しかし、十分に評価することができなかったとしても、これらのリサーチクエスチョンを意識して活動を振り返ることで、活動そのものの改善に繋がる可能性があります。活動報告として学会等で発表すれば、有用な知見の共有につながる可能性もあります。そもそも、実践にあたって、こういった事柄に関する先行研究(医学教育の理論の一端)を知っておくだけでも有意義でしょう。

もちろん、勉強会の主目的は研究ではありませんから、まずは自らが学びたいことを学べるように努力しつつ、可能であれば、自らの実践を観察的に整理・把握することを目指してみる、ということになるでしょうか。別の記事でも書きましたが、第一義的には自分で勉強することが肝心であり、勉強会は刺激によって個人の勉強をサポートする場に過ぎません。ましてや、その場の教育的効果を評価することは、学生の立場において、二次的、三次的、あるいはもっと低いところに位置づけられる目標かもしれません。しかし、折角やるのであれば、より効果的に時間を使いたいとは思いませんか。

私自身の基本的な考え方として、専門職の専門性は実践ー研究ー教育の三要素に立脚するものと理解しています(cf. Parsons, T. (1969). Research with Human Subjects and the "Professional Complex". Daedalus, 98(2), 325-360.)。自らの実践を研究によって反省・改善し、教育によって継承する、ということです。最近は臨床現場における教育手法として省察的実践の考え方が重視されています。これは実践と教育とを架橋する方法であるとともに、先の三要素から考えれば、時には実践を研究につなげる可能性を持つものであると感じます。学生は専門職ではありませんから、これらの考え方をそのまま当てはめるべきではありませんが、生かすことはできるでしょう。あるいは、より直截に、組織論等でいわれる二重ループ学習の視点から論じるべきかもしれません。

こういう考えを持っている学生は決して稀ではないでしょう。しかし、それを十分実行できている学生は決して多くありません。私自身もチャレンジしたいと思っているだけで、基礎的な勉強すらままなりません。そういう状況を前提としつつ、まずは現在の考えを投稿しておきます。もし同様の関心をお持ちの方がいらっしゃいましたら、不肖相京まで是非お声かけください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?