医学生にとっての課外勉強会

所縁あり、医学生向けの様々な勉強会の企画・運営を手伝わせてもらっている。もちろん無暗にやっているわけではない。それぞれの勉強会について多少の考えを持っている。本稿では、備忘録を兼ねて、現在の考えを簡単に書き起こしてみる。すべて私見であり、各所属先の公式見解ではないどころか、異なる見解を持っている運営メンバーが沢山いるであろうことは想像に難くない。これらは単に、私が勉強会の運営に携わる上で念頭に置いている個人的原則にすぎない。

輪講

はじめから暴論をいうようだが、本来、座学は一人で行うものである。講義や勉強会の役割は、そのサポートに尽きる。熱意、習慣、目標設定など。

大学三年生の頃、同輩・先輩を誘って、計五名で教科書の輪読会を始めた。実に一年半ほどかけて『異常値の出るメカニズム 第6版』(※改訂版あり)と『ハルペリン 病態から考える電解質異常』の二冊を順次読破した。

いずれも大変内容の濃い教科書であることはわかっていたが、半ば辞書的であり、到底ひとりで読みこなせるものではなかった。そもそも、医学部の三年生というのは中だるみの時期。熱意はあっても習慣が追い付かないのである。定期的に輪講を行うことで、お互いの勉強のモチベーションアップに役立つ、非常に充実した時間を過ごすことができた。

このメンバーだけではない。ある時期には、医療倫理学に関する小さな勉強会を開催した。現在も、ロビンス病理学の原著問題集を題材とした輪講に参加している。数名で行う勉強会は、目標を一致させることも容易であるし、何よりお互いの熱意を感じやすい。また、輪講の形式を取ることで、独学的要素のウェイトも大きくなる。少人数の輪講こそが勉強会の基礎となるべき形式である。

学内サークル(広島学生GIM)

あるときから、馴染みの輪読会メンバーで症例検討会を行うようになった。ケースをもとに思考法や関連知識を学ぼうという意欲的な試みである。複数人でディスカッションを行うことで、それぞれに異なった視点から学びを深めることができる。これは明らかに「独学」に勝る経験である。

このような症例検討会については、日本全国色々なところで行われている。放浪ついでに勉強会行脚を楽しむなかで、幾つかの勉強会が組織的・継続的に行われていることを知った。こういう勉強会においては、参加者同士のネットワークが密であり、情報共有プラットフォームとしての機能も果たしている。また、臨床的な事柄については先生方にご指導いただかなければいけないところが多々あるが、組織的活動の裏付けがあった方がご協力をお願いしやすいことは明らかである。しかし、地方の医学生にとって、このような組織的勉強会へのアクセスは必ずしも容易ではない。

こういう状況において、まずは自分たちで立ち上げてみよう、ということで動き出したのが「広島学生GIM」であった。その目標は以下の三点。

1. 臨床推論を通して実践的な医学を学ぶこと
2. 学生同士で議論し、情報を共有すること
3. 他大学の学生との交流の機会を提供すること

2019年12月に活動を開始して以来、今日まで、毎週一回のペースでコンスタントに勉強会を開催してきた。必然、情報共有も盛んである。他学の学生との交流の機会については、必ずしも十分とはいえないものの、2020年には関西・関東のインカレ勉強会と、2021年には関東の病院・大学との共催企画が実現しており、今後のさらなる発展が期待される。

何かしらの理念を掲げて動き始めるということは、実践上直面する数多の課題を正面から引き受けるということでもある。実践が先行して理念が有耶無耶になることだけは何としても避けるべきである。本サークルの運営状況については、2020年の第11回日本プライマリケア連合学会にて簡単に報告させていただいた。この報告を通して、活動理念を再考し、実践上の課題を整理し、発展の方向性を見直せたことは大変有意義であった。より小さなレベルでは、一年間で取り扱った症例を総復習する会などを通して、症例選択の指針の見直しを図っている。こまめな軌道修正ができるのは、手弁当の会だからこそ。しかし、オーソドックスな会をオーソドックスに続けるのは案外難しいことであると痛感する。主力メンバーの皆さんには深く感謝している。

地方規模のインカレ団体(TEAM関西)

各地方にインカレの勉強会団体がある。2008年設立のTEAM関西、2015年設立の関東医学部勉強会サークルKeMA、2020年設立の九州臨床医学勉強会MIQなど。いずれの団体も、大学単位の勉強会ほどではないけれども、それなりに顔の見える関係性のもとで活動している。もちろん、各地方の境界を越えた「道場破り」の参加者に刺激を受けることも織り込み済み。

これらの団体は、アドバンスドな学びを求める学生の受け皿としての役割を持つとともに、ひとつの学びの水準を示す場であり、学び方の発信源でもあると考えている。あわせて、大学の枠を越えた交流の場として、参加学生がお互いに刺激しあい、各大学に学びを持ち帰ってもらうことまで期待している。これらの効果は、運営側と参加者とが同じ学生という立場であることによって初めて得られるものであり、大学・病院などが主催する勉強会と比較した際に大きな強みになりうると感じる。また、インカレ団体の性質からいって当然のことではあるが、門戸の広さが売りである。幅広い層への訴求を狙っている。ともすれば啓蒙的な組織になりかねないところ、フラットな双方向コミュニケーションを心掛けることでバランスを保っている。実際の勉強会の構成を考える際にも、参加者のコミットメントの確保が重視される。

私は、2020年の秋頃からTEAM関西の副代表を務めている。まさにオンライン勉強会全盛の時代。症候学や診断学に関する勉強会は十分たくさん開催されている。地方の壁を越えて先鋭化したコンテンツを提供するところがある一方で、いささか食傷傾向を訴える人も見かけるようになった。我々には、地方団体としての「顔の見える関係性」を意識しつつも、何らかの独自性を持った勉強会を企画することが求められていた。

関西のアカデミア史に燦然と輝く新京都学派のことを思い出す。彼らに始まる学際共同研究の系譜は今でもこの土地に根強く残っているように感じられる。TEAM関西としても、そういう立場で物事を考えることはできないか。我々が日々学ぼうとしている事柄の根本を再考する場を提供することはできないか。もちろん、新しいだけではいけない。経験や実感に即して明らかに重要でありつつも、何らかの事情によって日陰にいる課題を見つけ出し、改めて光を当てること。

今のところ、この試みはかなり成功しているように思われる。従来の症候学や診断学の枠組みを越えて、病状説明や保険制度、ライフコースなどのテーマを取り扱ってきた/取り扱おうとしているほか、他団体との共催で多職種連携について考える企画も進めている。最大の特徴は「参加者と共に考える会」であること。顔の見える関係性だからこそ実現できている取り組みである。新しいことにチャレンジしつつも、地方単位の勉強会の強みを改めて見直し、今後のさらなる発展のための基盤としたいところである。

全国規模の勉強会(東京どまんなか)

語弊を恐れずに言えば、「啓蒙」が行くところまで行ったのが全国規模の勉強会である。北は北海道から南は沖縄まで、全国から参加者を募集する。オーソドックスかつハイレベルなコンテンツを提供することは必須である。コンスタントに企画・開催するのは難しい。しかし、むしろそれゆえにこそ、全国の医学生がどういう勉強をしているのかを肌で知る貴重な機会になる。その場で多くのことを学んでもらうことの重要性は言うまでもないが、それ以上に、今後の勉強のための強力な契機を掴んでもらいたい。そのためには、いわゆるスーパードクターにご登壇いただき、参加学生にインパクトを与える、というのが最良の方法である。地方単位の勉強会とは異なり、運営側の学生が前面に出るものではないと感じる。

実は、私の勉強会遍歴の発端は「東京どまんなか 1.0」にある。当時大学三年生。高校以来の友人に誘われ、何気なく参加登録した。ここで大変な刺激を受け、学びの契機を共有することの意義を痛感し、輪講メンバーを巻き込んだ学内サークルの立ち上げに至った。ご縁はあるもので、私は現在、本勉強会の共同代表を務めさせていただいている。同時に、このような性質の勉強会の運営の難しさを痛感し、「1.0」以来の運営を担ってきた先輩・同輩たちへの尊敬の念を新たにしている。

ここまでひたすら総合診療に関することを書いてきたが、本来の医学はもっと幅広いものである。関連分野も果てしなく多い。たとえば、各種の学会に関連して運営されている学生部会や若手会は数知れず。私自身が運営等に関与したことのあるものだけでも、日本熱帯医学会学生部会、日本病院総合診療医学会学生部会、生命科学若手研究者の会、などなど。しかしながら、私は本稿でこれらの組織について語る必要性を感じない。これまでに書いてきた各種の勉強会と比べて、対象としている層が全然違うのである。はじめから特定のテーマに強い関心を持っている人たちは、然るべきところで然るべきように勉強する。関心の焦点がそれほど強く定まっていない大多数の学生にとって、課外勉強会がどのような機能を持っているか、ということが重要である。もちろん、上述のような勉強会の参加者の中に、総合診療に特別強い関心を抱いている学生がいることは否定しない。他方で、「なんとなく医学を勉強したい」という程度の心持ちの学生にとって総合診療系の課外勉強会が受け皿の役割を果たしていることは疑いようのない事実である。このことを意識しなければ、課外勉強会の運営は務まらないと感じる。

我々はしばしば、目の前の物事に忙殺されて全体像を見失う。たまには素描が必要である。本稿は、私なりの見取り図の「備忘録」である。

謝辞:これらの勉強会運営においては、あまりにも多くの人にお世話になっており、もはや一人一人の名前を挙げることは不可能である。特に、広島学生GIM、TEAM関西、東京どまんなかの運営メンバーには、日々大いにご迷惑をおかけしていることをお詫びするとともに、本稿の勝手な作文の内容について、何卒ご容赦いただきたい。

補足:本稿では「いがくせいの森」等には一切触れていない。これらは単にプラットフォームであり、それ自体がコンテンツを提供するものではない。しかし、このようなプラットフォームの管理に携わる上で、本稿で述べたような感覚が背景にあることは確かである。

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