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マイルストーンくらい外から借りてきてもいいじゃないか

二十年近く前のことである。幼少期の私は、テレビ番組を通して、はじめて学者という職業の存在を知った。エジプト考古学の吉村作治先生である。自ら手を動かし、新たな知見を得て、より見晴らしの良い世界像を描き出す。真摯な態度に惹かれた。同時に、知的に自由な仕事であると思った。幼稚園を卒園する頃には、将来の夢として「考古学者になりたい」と書いていた。もちろん、考古学の何たるかをわかっていたわけではない。考古学にこだわりがあったわけでもない。単純に、学者としての営みに憧れていた。

私は何をやらせても不器用な人間だった。今でも変わらない。しかし、幸いなことに、勉強だけはよくできた。決して机に向かうのが得意だったわけではない。知的に自由であるために、世の中の事柄をしっかり捉え、語れるようになりたかった。「わからない」という不自由さに耐えられなかった。何事も、いずれはもっとよくわかるようになるだろうと信じて、無節操かつ貪欲に学んできた。そういう態度のおかげで、結果として、勉強がよくできるように見えたのである。私の好奇心が失われない限り、これからもきっとそうだろうと思う。

幼いころから学者に憧れ、以来勉学で苦労することもなく、中高生のころには自然と研究職を目指すようになっていた。かねて医療に深い関心を持っていたことも相俟って、医学研究者になろうと考えるようになった。医学研究者になるためにはどういう進路を取るのが良いだろうか。高校一年生の頃、オートファジー研究で知られる水島昇先生とお会いしたとき、ぜひ医学部に進むように言われた。ご自身の経験も踏まえながら、「医学部ではヒト生物学を総合的に学ぶことができる。研究にも大いに役立つはずである」と。その後、知人から「MD-PhDコース」という医学系の学士・博士一貫課程(九~十年間)を紹介され、これはまさに私の希望に叶うところであると確信し、そのままこの課程に進学することになった。この課程では、まずは学士課程で四年間の座学をこなし、数年間の博士課程を経てから、学士課程に戻って臨床実習を経験する。

この課程の入学試験では三十分程度の面接が行われる。印象的なやりとりの一つとして、試験官の教授から「どういう研究をやりたいか」と問われたとき、「医学の『い』の字も知らない高校生が愚考したところで意味がない。研究テーマというのは、これから大学で学びながら考えていくものであると思う」と返答した覚えがある。あまり賢明な応答ではなかったかもしれないが、持論を正直にお伝えしようと思ったのである。もっとも、当時、何も目標がなかったわけではない。いわゆる神経難病の患者さんがよりよい暮らしをできるようにしたいという夢があった。そのための基礎研究をやろうと考えていた。とはいえ、このときの私は、明確かつ具体的な目標を立てることから逃げていた。その代わりに、思いがけず大きな課題を設定してしまっていた。医学とは何だろうか。基礎研究とは何だろうか。学部生活の最初の四年間は、こういう「リサーチクエスチョン」と向き合うための時間でもあった。必ずしも要領の良い時間の使い方ではなかったと思うが、私なりに真摯に過ごしてきたことは間違いない。

最終的に選んだ進路は、ライフサイエンスではなく、倫理学や公共政策学といった人文・社会科学系の領域であった。ライフサイエンスが嫌いだったわけではない。基礎医学系の研究室で技術補佐員として勉強させてもらった期間は短いとは言えない。また、今でも「生化学若い研究者の会」の運営に関わり続けている。しかし、私が一番にやろうと思ったことは、人文・社会科学の領域にまたがる仕事であった。こういう領域の研究は、紛うことなき医学研究であるとともに、基盤的研究すなわち基礎研究でもあると確信していた。

今般、三年間の博士課程を経て、博士(医学)の学位審査に合格した。おそらく無事に学位を授与されることと期待している。この学位は、研究職のスタートラインのようなものだと思っている。二十年来の夢が一応形になったと言えるかもしれない。通過儀礼としての側面が大きいことは理解しているが、それでも喜びは小さくない。たかがマイルストーン、されどマイルストーンである。

私自身の生来の態度は、必ずしも研究職に向いているとは言えない。あまり手を広げすぎると研究としては成立しないことがある。「わからない」不自由さとは適切に向き合わなければならない。正直なところ、研究職としてトップを目指すのはちょっと辛い、と感じることもある。とはいえ、私のやりたい営みは、研究職に求められる営みと大きく重なっている。博士号しかり、研究職しかり、社会的に便利な枠組みだから、どんどん使わせてもらおうと思う。こういう枠組みに頼ることなく自分なりの真摯さを押し通そうとするのは、難しいばかりか、益も少ない。

二年後には、医師国家試験の合格を目指すという形で、社会的マイルストーンをもう一つお借りする予定である。医療への多様な関わり方のなかで、医師というのは一つのあり方に過ぎないけれども、とりあえずは、そういう社会的立場が便利だからお借りするのである。借り物は借り物であり、身を委ねるべきものではない。とはいえ、あるのとないのとでは全然違う。便利なものは便利に使って、気持ちよく生きていこう。


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