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坊主と袈裟は分けて考えたい

今年7月からボチボチと始めたnoteですが「スキ」を40ほどいただいたようです。普段からしている何気ない考え事を言葉にすることって大事なんだなあ、そして、それを読んでくれる人がいることはうれしいなあと思います。いつも見てくれている人、通りすがりに見てくれた人、これから読んでくれる人、本当にありがとう。


さて、今日の考え事。


小学生のときに「ピンクのクルトガ(シャープペンの名前)、嫌いなアイツが使ってたから捨てたわ」って言ってる友達がいて、ええーー!そんなことあるーー?と驚いたことがあります。嫌いなアイツと同じもの使ってるから、自分のシャープペンまで嫌いになってしまったんでしょうね。そう思ったことは理解できるけど、まだ使えるものをそういう理由で捨てたことがないので、いまだに共感はできませんが・・・


「坊主憎けりゃ袈裟(けさ)まで憎い」ってことわざがあります。袈裟っていうのは、簡単に言うと坊主が着ている服のことですね。故事ことわざ辞典によると「その人(物)を憎むあまり、それに関わるすべてのものが憎くなることのたとえ」だそうです。つまり、坊主が憎いなあと思うと、なんだか着ている服まで憎くなってくるなあ、ということです。

さっきの友達に例えると「あいつ憎けりゃペンまで憎い」といったところでしょうかね。

私がこのことわざを知ったのは、前にお付き合いしていた人が「“坊主憎いがその袈裟いいね精神”でいたいよね」と言ったときでした。なにそれ?と、意味を聞いて、なるほど、坊主が憎くても袈裟が良いと思えば「それいいね」と言える精神か~たしかに大事だなあと、それ以来けっこう意識して生活しています。


だけどやっぱりさあ、なんかあの人イヤだなと思うと、その人の持ってるモノや、好きなコトから遠ざかりたくなるものなんですよね~。良くない良くない。

まずね、「あの人がイヤ」と思うことと、イヤな人が「持ってるモノ」や「好きなコト」は関係ないんですよ。そこをごっちゃにしちゃダメよ。逆にさ、私が持ってるモノや好きなコトを、嫌いなあの人も持ってたり、好きだったりしたら、手放すの?好きじゃなくなるの?今までの自分の、モノやコトに対する愛はそんなものだったの?って私は思います。

もちろん、そんなものと気づいたなら「そんなものだったなあ」でいいし、トラウマになっちゃって、持ってたらしんどいとか、好きでいることがつらいとかならしょうがないけどね。


でもさ、嫌いな人のせいで、自分が知れるいろんなモノやコトの世界が狭まってしまうのはさ、ちょっと悲しいことだと、私は思うな。

だからやっぱり、坊主と袈裟は分けて考えたいよね。



くらむぼん






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