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勇気ちひろから碧依さくらへ。転生というより独立。6年前、にじさんじが「こんなのvtuberじゃない」と批判されていたころから、vの「生存範囲」を広げ続ける配信者。

 先日、にじさんじ1期生の勇気ちひろが卒業し、その4日後、碧依さくらというvtuberが初配信を行った。
 初配信の前から「このアカウントは元勇気ちひろなのではないか」と噂されていたこともあり、もともとのファンたちが次々に集まり、初配信で登録者数10万人を超えるスタートとなった。

 声を聴けばわかるが、どう聞いても勇気ちひろだ。不祥事退社ではなく円満退社だったこともあり、本人にも、隠す気はほとんどない。
 なので私もこの記事では、2人のつながりは自明なものとして書いていく。
 メタい話が苦手な方は回れ右。



1.はじめに

勇気ちひろは「vtuber」という言葉の定義を拡張し続けてきた。

にじさんじ1期生として、3Dの動画撮影中心から2Dの配信中心に移行する流れを加速させた。
事務所で最初にロールプレイからの脱却を宣言した。
女性vとFPSストリーマー界とのあいだにあった壁を粉々に砕いて行き来を自由にした。

そんな勇気ちひろは、勇気ちひろだったことを特に隠さず、碧依さくらとして独立した。



2.「ただの絵じゃん」はvアンチではなく、にじアンチの使う言い回しだった

当初、勇気ちひろを含めたにじさんじの1期生は配信者として集められたわけではなく、にじさんじアプリのテスターとして参加した。
そのため勇気ちひろも、魔法少女という設定に合わせた幼い喋り方をしていたが、テスターからライバーと呼ばれる立ち位置に変わっていくにつれ、「魔法なんて使えねぇよ」などと身もふたもないことを言いだし、ロールプレイをやめた

最初期のvは、ロールプレイを全うしながら、3Dで動画を作るのが当たり前で、理想とされていた。2Dで配信を繰り返し、ロールプレイ要素の薄いにじさんじは異端だった。

記憶が正しければ、vアンチが言う「ただの絵じゃん」「絵がしゃべってるだけじゃん」も、最初はロールプレイ&3D中心のvファンから、中の人の個性&2D配信が中心のにじさんじのライバーに向けて使われた言葉だったはずだ。

当時は、中の人はあくまでロールプレイを全うするのがvtuberであり、そうあるべきだという常識が強かった。
v界の常識を打ち破って生まれたのがにじさんじだった、というわけだ。

勇気ちひろがロールプレイをやめて自分をだしたときも、当然批判があった。
そうした苦労もありつつ、vtuberという存在は、ロールプレイはほどほどになり、動画主流から配信主流の世界になっていった。



3.月日は巡り「vはこうあるべき」論がにじファンからも出るように

そして現在。
今回、勇気ちひろが碧依さくらだということを特に隠さず活動を始めて、あらためて気づいたことがある。
さんざん「vらしくない」と批判されながらやってきたたはずのにじさんじのファンから、今では「独立(転生)を隠さないなんてvとしてどうなのか」「ロールプレイをまっとうしていない」という批判がでるようになったのだ。

にじさんじが受け、ファンとともに乗り越えた批判は、ファンが昔とは比べ物にならないほど増えていくとともに忘れられ、箱のファンから、独立するライバーへ向けられる批判になった。
筆者はそうした批判のことを批判したいわけではない。
この変化は本当に面白いなと思って見ている。




4.にじさんじで最もVらしくないV、勇気ちひろを形作ったもの


勇気ちひろが「vらしくない」のは、vtuberという言葉を、ファンよりも広義にとらえているからだと思われる。
勇気ちひろの持論は、世界観やロールプレイを大事にするvもいれば、顔を隠している配信者のようなvがいてもいいというものだった。
勇気ちひろはたしかに、vよりもストリーマーに近かった感覚はある。


vとFPS、vとストリーマーの垣根をなくした事務所と言えば、ぶいすぽだろう。今では2大企業に次ぐ知名度となった。

そのぶいすぽがまだよちよち歩きのひな鳥で、「女がFPSなんて」「vtuberって何だよ気持ち悪い」と偏見が強かったころ。
勇気ちひろはとんでもない茨の道がしかれていた時期にFPS界隈に飛び込み、毎日長時間、どれだけぶっ叩かれようが上手くなるため練習し続け、配信し続けた

今思えば、女性vが、男性vやプロゲーマーの男性、ストリーマーの男性と毎日のように何百回もコラボしていたのも当時とすれば異端で、「もっと女性vと絡め、もっと箱内vと絡め」などとも批判されていた。
これらを見る限り、明らかに普通のvとは毛色が違いすぎるし、界隈の常識から外れた感覚を持っているのもうなずける。

v界隈からもFPS界隈からも「常識棒」でボコボコと殴られ、負けないように踏ん張ってきた勇気ちひろは、「vらしくないv」「vともストリーマーともいえない曖昧な存在」に成形されて完成したのだと思う。

そんな彼女がつゆ払いの先駆けとなった結果、FPS界隈が女性vの存在に慣れ、他の多くの女性vが、気軽に男性ストリーマーとも遊べるようになって、気軽にFPS配信を続けられるようになった
こう思うと、vの自由度、「生存範囲」や「生活圏」といっていいものを押し広げ続けた勇気ちひろの功績はあまりにも大きい。


ラスト.卒業しても「関係リセット」はしない


今回の独立で、もうひとつ大きな出来事がある。
碧依さくらは、雑談配信で、「活動を始める前からのお友達と、関係性が変わることはない」と話した。つまり昔からの友人に、碧依さくらとしての「はじめまして」は言わないということだ。

これは、転生したら別人扱いになって、関係値もすべてリセットされるのが常識だったv界隈にとって、おもしろい前例となるだろう。
彼女の行動でvはまたひとつ自由になり、「生存範囲」「生活圏」が広がった。

これを、いいことととらえるか、悪いことととらえるかは個人の自由だ。
個人になりますますvらしくなくなっていくであろう彼女は、しかし同時に、vの定義を拡張していく存在であり続けるのではないだろうか。

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