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15章 人生の棚おろし

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 「新わくわく片付け講座」を明日に控え、まろみは電話の応対に追われていた。
「蔵子さん、昨日今日と駆け込みの申し込みがあって定員になったんですけど、どうしても参加したいという方が三名あります。どうしましょう」
「当日のキャンセルもあるから、定員プラス五名までなら大丈夫よ」
「今回は、六〇代の方が多くて、プラス団塊の世代でしょうか」
「どうやら、景気と関係あるのかも。知り合いにもいるけど、六〇歳の定年後は、子会社への出向とか、なんらかの仕事が用意されていた人たちが、この不景気で仕事がなくなったみたい。本人は仕事を続けるつもりでいたのに、突然あなたの座る椅子はありませんってね」
「仕事がなくなったのは、派遣の人ばかりじゃないようですね」
「そこで、あわてたのは妻たち。亭主元気で留守がいいって感じで、まだ仕事を続けると思っていたのに亭主はどこへも出かけず、一日三回、食事の支度をしなくてはならない」
 まろみは近所のファミリーレストランでおしゃべりし、ランチを食べている女性たちを思い浮かべた。
「定年前より給料は下がっても、食べていくくらいの収入はあると思っていたのに仕事はなくなり、退職金や預貯金で暮らしていくことを考えると、昔流行ったフルムーンとか、夫婦で海外旅行へ行こうという気にもならないのかもね」
「熟年離婚が増えているのも、そのせいでしょうか」
「さあ、どうなのかな? でも、もう一度自分の人生を見つめなおす機会ではあるかもしれない」

 「新わくわく片付け講座」の初日。
 一名は、早朝に高齢の母親が仏壇の前の座布団につまずき、転倒したので、病院へ付き添って行くから欠席しますという連絡があった。
 蔵子が開講のあいさつをし、講座のスケジュールや資料の説明を終えると「新わくわく片付け講座」によって、どれだけ“わくわく”できるか、試して欲しいという言葉で、締めくくった。

 御堂翔子は講座申し込みの動機の欄に、夫婦で還暦を迎えたので生活をリセットしたいと書いた。昔なら、還暦といえば、赤いちゃんちゃんこを贈られ、のんびり余生を暮らすおばあちゃんが思い浮かぶだろう。
 翔子も還暦といえば隠居というイメージを持っていたが、現実に自分がその年になってみると、年寄り扱いはごめんだと思う。

 美容室の女性週刊誌で“卒婚”の二文字を見た翔子は、この言葉が頭から離れない。
娘は香港の商社勤務で、息子はニューカレドニア島に行ってしまった。朝早く出かけて、夜遅く帰るという生活を何十年も続けてきた夫と、夫婦でできる共通の趣味も無い。
そもそも夫婦で何かするということすら頭にないのではないかと思う昨今である。
もちろん、夫は料理や家事もできないし、やろうともしない。

夫は退職してずっと家にいるようになるとテレビを見るか、パソコンをするだけである。
そして、相変わらずの、メシ、フロ、ビール。こんな手のかかる夫と出かけるよりは、友人と旅行をするほうが楽しい。かといって、今さら離婚や別居をしようとは思わない。
週刊誌の“卒婚”のように、夫婦を卒業して、家事も分担し、お互いに好きなことをする同居人として暮らせたらどんなに良いか。翔子は手始めに、荷物を整理し、娘の部屋に移ろうと思っている。卒婚の話をしたら、夫は反対するのに決まっているので、少しずつ計画を進めるのだ。

 「新わくわく片付け講座」第二回のメイク講座では、六人一組みでテーブルを囲んで実習をする。
 テーブルに各自が化粧道具を並べ、眉毛を書いたり、頬紅を塗ったり、メイクの講師の指導に従い手を動かした。
「翔子さん、お化粧した方が、顔立ちがはっきりして、五歳は若く見えるわ」と、隣の神戸雅恵が翔子に話しかけた。
「えっ、ほんとう?」
 翔子は鏡を覗き込んだ。自分ではよくわからないのだけれど、そうなのだろうか。
「ほんと、やはりお化粧って大事よね。わたしも娘時代は、つけまつ毛でバチバチの時代があったけど、子どもを産んだら子育てで、そっちが片付いたら、親の介護でお化粧どころじゃなかったから」
「わたしも、最近はリップと日焼け止めくらいで」
「絶対、お化粧した方がいいわよ」
 翔子も雅恵や、他の受講者を見渡して、確かに皆、楽しそうだ。
「ところで、お宅のご主人、化粧をして帰ったらわかると思う?」
「わかるわけがないないわよ。髪の毛を切ったのさえ、わからないのだから」
 この話がきっかけで、翔子のテーブルは夫の話で盛りあがり、亭主元気で留守がいいと、意見が一致した。

 盛りあがった六人は、講座後にお茶を飲んで帰ろうということになった。
 駅の構内にある喫茶店で、勝手にテーブルを二つくっつけて座った。
 今日の講師のファッションや化粧の話に始まって、マスカラはどこの製品がよいとか、白髪染はどのメーカーが一番持ちがよいとか…。
 嫁に行かない娘や、デートをしている気配のない三十路を越えた息子の話など、話題には事欠かなかった。
 今は、結婚しそうにない三〇過ぎた娘や息子の婚活に、子どもに代わって親が見合いに行くそうで、親同士が意気投合すれば、息子や娘の見合いになるらしい。
 しかし、誰一人、息子や娘の代わりに見合いに行った者はなかった。
 翔子も香港の娘とニューカレドニアの息子のことを話すと、外国に遊びに行けていいじゃないという声が多かった。
 言葉の通じない嫁や婿ができたらどうしようかという不安は話さなかった。
 帰り道で、翔子は商店街で夕食の買い物をした。娘も息子も日本に帰る気はないらしいので、夫婦二人の生活がいつまで続くのだろう。
 変化があるとすれば、どちらかが病気になり、介護を必要とするようになった時なのだろうかと思うと、エコバッグの中のキャベツが重く感じられた。

第三回の「新わくわく片付け講座」は、いよいよ具体的な整理の話になった。
 蔵子は、あなたにとって大切なものを五つ書いてくださいと、白い紙を配った。
 翔子は今の自分にとって、大切なものって何なのだろう。この問いは、案外簡単そうで、真剣に考えれば難しくなる。
皆が考え込んでいるのを見て、蔵子は笑顔を向けた。
「難しく考えないでくださいね。ほとんどの方はご自分の命だと思います」
 確かに、命なんて当たり前過ぎて、考えることも無かったけど確かにそうだと、翔子はまず命と書いた。
「命の次は、人によって違うと思います。ペットの猫が大切な人がいるかもしれませんし、夫や子供や孫、お金、友人、時間。金庫の中の金の延べ棒でもかまいません。これは誰かに見せるものではありません。宿題にしますから、次回までにゆっくり考えて来てください」 

 続けて蔵子は三枚の紙を配った。
 この紙には、昭和から平成までの年号が表になっており、各年には主な出来事とその年のヒット曲が記載され、その横に、当時の自分の年齢と出来事を簡単に書き込むようになっていた。
「これは自分史年表です。今、熟年世代では自分史を書くのが流行っていると聞きますが、これは、皆さんに“人生の棚卸し”をしていただくためのものです。これも、人に見せるものではありませんので、好きなように書いていただいて結構です。 
 こういうものは、宿題にしても、書きたくない人は書かないのですが、それはそれで良いのではないかと思っています。この機会に、自分の人生を振り返ってみようと思われた方は書いてみてください」
 質問してもいいですかという声が上がったので、蔵子は、どうぞと答えた。
「どういう風に書けば良いのかわからないのですが」
何人かが、わたしもとつぶやいた。
「そうですね。説明不足でした。まず、生まれた年に〇歳と記入してください。そこから一つずつ年が増えていくのは良いですね。途中で年を減らさないで下さいよ。前のクラスでは、三五歳から年が増えない人がいましたけど…」

 笑いながら、せっかくだから、とにかく書いてみようという風に、全員が生まれた年から年齢を記入していった。
「次に、小学校入学から、節目の出来事を順に書き込んでみてください。引っ越しでも、就職、結婚でも、とにかく大きな出来事を書いてください。この段階ではおおよそで結構ですから」
 翔子も小学校、中学の時に親の転勤で転校して…高校、就職、結婚、長女誕生、長男誕生と書き込んでいった。
ここまで良いですかと、蔵子は見回した。
「後は少しずつ、埋めていってください。例えば、昭和四十四年(一九六九年)は、アポロ十一号月面着陸があります。この時、皆さんがいくつだったかは…聞きません。このように、その年の出来事が書かれているのは、この方が当時のことを思い出しやすいからです。
 アポロ十一号が月面着陸した時のニュースをどこで聞いたとか、誰に聞いたとか、その時の状況を思い出していただきたいと思います。また、レコード大賞は、『いいじゃないの幸せならば』です。こういうヒット曲によっても、当時のことが思い出されると思います。 
とにかく、思いつくところから埋めていってください。これは今までの出来事を確認する作業ですので、気楽に考えてくださいね」

「そうそう、アポロのアームストロング船長の『人類にとっては大きな一歩』とかいう言葉が印象に残ってるわ」と雅恵が翔子に話しかけた。
「えーっ、わたしは幼稚園だったから、覚えないです。雅恵さん、当時、おいくつだったのですか」と、向かいの席の宮城佐弓が雅恵に訊いた。
「そりゃあ、わたしも小学校だったかなー、追及しないでちょうだいよ。ほら、年表書いて」
 翔子も苦笑しながら、当時は印刷会社で働き、お茶やお花、洋裁の教室に通っていたことを思い出した。そういえば、あの頃は、お茶の先生になれたらいいなと思っていた。
花嫁修業なんて言葉があった時代だが、今でいえば一種の婚活だろうか。

 結婚した後は、夫の転勤、出産、子育てとあわただしく、茶道と縁が切れてしまったが、今なら時間もあるし、再開しても良いかもしれない。いや、今度はお煎茶を習ってみようか。お茶の先生が、年を取ったら煎茶のほうが、立ち座りが少ないので楽だとおっしゃってたから、一から始めるのには良いかもしれない。

 結婚してからの翔子の年表は、夫と子供が中心の生活を物語っていた。
 御堂さんの奥さん、薫ちゃん、強君のお母さんであり、翔子さんと名前を呼ばれたのは久しぶりである。
 そして、子供たちが親になったら、ただの“おばあちゃん”になって二〇年もの年月を過ごすのだろうか。
 いや、もう一度、御堂翔子として、自分の人生を取り戻したいと思うのはぜいたくな願いなのだろうか。

「みなさん二回目のメイクの講座で、どういう自分になりたいか、イメージをしてお化粧されましたね」
 蔵子はメイクという言葉に、なぜ女性は敏感に反応するのだろうと思いながら、年表から顔を上げ、うなずいている女性たちに訊いた。
 多くの参加者は、若々しく、健康そうに見えたいと願った。
 数人は、女らしく、色っぽい、やさしそうなメイクが望みで、ただ一人、会社を経営している女性は、眉もはっきり描き、意志の強さを強調するメイクを希望した。

「年表の残りの空白はご自宅で埋めてくださいね。そろそろ、みなさん、『新わくわく片付け講座』に参加したのに、片付けの話はどこに行ったのかと思われているでしょうね」
 蔵子は、ホワイトボードに“荷物や部屋が片付いたら……したい”と書いた。
「この…部分に、みなさんのやりたいことを書いてください。例えば、すっきりでも良いですし、お友達を呼んでパーティーをしたいでも、なんでも結構です。以前に、布団を敷いて大の字になって寝たいという方がありましたが、とにかく片付けてどうしたいかを書いてください。講座を申し込まれた時の動機と変わっていてもかまいません」

 翔子は迷った末、“荷物が片付いたら、御堂翔子としていきいきと暮らしたい”と書いた。
「ご自分のこれまでを簡単に振り返り、大切なものは何かを考えていただき、これからどうしたいかを書いていただきました。時間が足りなかったという方もあると思いますので、次回までに、もう少し考えてきてください」
蔵子が講座をしめくくった。 

 今回もまた、六人で駅前の喫茶店に寄った。
今日のお勧めケーキはアップルパイで、全員がケーキセットを注文した。
「大切なものって真剣に考えると、そう多くないのよね」
 雅恵がおしぼりでテーブルを拭きながらつぶやいた。
 いつもはおとなしい山本都がしみじみと言った。
「わたしは阪神大震災で家が半壊したから、あの時、命さえあればなんとかなるって思った」
 六人のうち二人が避難所で暮らした経験を持っていた。
「ほんと、片づけるってことは、自分の今の暮らしに何が必要かを考えることで、それは、これからどういう暮らしをしたいのかにつながるのねえ」と雅恵は考え込んだ。
 佐弓が、雅恵さんもまじめに考えてるんですねとつぶやいた途端に、雅恵にうるさいとにらまれた。
 翔子は、御堂翔子としていきいきと暮らすにはどうすればいいのだろうかと思った。

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 夕食を終えると、翔子は食卓の上で、年表の空白を埋めていった。
友人たちの中には、親の介護の問題を抱えている者も多いが、翔子は三人姉妹の末っ子で、二人の姉が両親を看取ってくれた。夫の博之の両親は有料老人ホームに入居し、今のところ元気に暮らしている。還暦というのは、確かにひとつの区切りだと思う。独身で公務員を定年退職した友人は、ニュージーランドに移住すると、準備を進めている。
 いわゆる熟年離婚をした友人は、離婚当初はすっきりしたと言っていたが、その後連絡が取れなくなった。離婚したからといって、バラ色の人生が開けるわけでもないのだろう。

 風呂から上がった博之が、話があるといい、ビールとグラスを二つ持ってきた。
いつもはプロ野球のナイターを見ながら一人で飲んでいるのに、珍しいこともあるものだと思いながら、翔子は食卓の上の書類を片づけた。
「枝豆?」と博之を見ると、うなずいた。
 三〇年あまりも一緒に暮らしていると、余計な言葉は使わなくなる。はたして、それが良いことなのだろうか。
 枝豆の皿を置いて、ビールを一口飲み、翔子は先を促した。
「実は、商売をしたいと思っているんだ」
 翔子は夫が再就職の口を探している者とばかり思っていた。
 勤めていた会社の斡旋で、月に一度はキャリアコンサルタントに再就職の相談に行っていたのではないか。それがなぜ、商売なのだ。
 翔子が黙っていると、博之は自分のグラスにビールを注いで、飲みほした。
「退職金を使いたい」
 何を言い出すかと思ったら、突然商売とは、いったいこの人は何を考えているのだろう。
「今まで黙っていたのは悪かった。とにかく話を聞いてくれ。商売といっても、インターネットカフェだから」
胸がきゅっと痛み、深呼吸をしてから翔子は叫んだ。
「なんですか、それ」

「若者がよく行く喫茶店、いや今は若者だけではないけど、お茶が飲めてインターネットができる場所かな」
「確か、駅前にも2つくらいあったでしょう」
「あるけど、俺たちがつくりたいのは…」
 おれたち? と、翔子はその言葉を聞き逃さなかった。
「その、俺たちというのは、誰のことですか」
「いや、あの、高校時代のバンド仲間の神童と田嶋だよ」
「なるほど、神童さんや田嶋さんには相談できても、わたしにはひと言の相談もなかったのですね」
「いや、その、反対されると思って」
 翔子はグラスを置き、博之を無視して洗面所に向かった。
 かごの中の洗濯物を洗濯機に放り込む。今では骨董品扱いの二槽式洗濯機でザーザー水を流すのが気持ち良い。全自動でいつの間にか洗濯が終わっていたというのではつまらない。洗ったという満足感が残らないからである。

水の中で渦を巻き、互いに絡まっている洗濯物を見ながら、なぜこんなことになったのか。退職金を商売に注ぎ込んで失敗したらどうなるのだろう。夫は二人の老後のことを考えているのだろうか。
定年になってから、田舎で農業とか、蕎麦屋やラーメン屋をするという話はよく聞くが、皆が皆成功しているわけではないはずである。成功話の何倍もの失敗した人たちがいるはずだ。
そして、一番の問題は、なぜ妻である自分にまず相談しなかったのかだ。
夫婦が共有しているのは、家と子どもだけなのか、積み上げてきたつもりの時間や信頼と絆はどこへいったのだろう。それとも、もともと、そんなものはなかったのか。
退職金は夫が長年働いた報酬である。しかし、夫が朝から晩まで仕事をするために、子育てをし、食事や掃除、洗濯をしてきたのはわたしではないか。
それなのに…ここは冷静に考えなければならない。

博之は、妻の予想通りの反応に、だから言いたくなかったと二本目のビールの栓を抜いた。
翔子は夫婦喧嘩をした後や、気に入らないことがあると、決まって洗濯をした。
汚れものがない時は、ベッドのシーツから座布団カバ-まで、かき集めて洗濯機を回した。
博之は、今の時代に再就職の口は見込めないこと。このまま年金をもらえる年齢になるまでぶらぶらしているわけにはいかないことをなぜ妻は理解してくれないのか、わからなかった。

 翔子は和室に布団を敷いて横になった。
いびきをかく夫の横ではなく、ひとりで眠りたかった。
退職金、離婚、卒婚、ひとり暮らし、海外にいる娘と息子、病気の不安、経済問題、インターネットカフェ? 若者たちがたむろして、24時間営業だったのではないか、素人が初めてうまくいく仕事なのか、と考えているうちに、眠りに落ちた。

 朝からまた、洗濯機の音が聞こえる。博之は音をたてないようにして家を出た。
 翔子が朝ごはんの支度をしようと台所に立つと、食卓の上に博之がパソコンで作ったらしいチラシが置かれていた。
「インターネット茶屋」という見出しが目に入り、手に取ると、高齢者向けの喫茶店でインテーネットができる店とあった。パソコンを使ったことのない人には、使い方を教えますと書いてある。
地図を見ると、商店街の時計屋のあったところだ。
二年くらい前に後継者がいないからと、老夫婦が店を閉めて、以来シャッターがおりていた。
チラシではオープンは三ヶ月後になっている。
もう、何もかも決まっていたのだ。
退職金の半分をもらって、離婚する。という選択肢もあるが、そうすると、この計画はダメになってしまうのだろうか。神童と田嶋の妻は男たちの企みを承知しているのだろうか。
今まで、夫のいいなりになってきた結果がこれなのだろうか。

そういえば「新わくわく片付け講座」での後の喫茶店で布美さんが、「うちのは一回り上だから、すっかりじいさんって感じで、碁会所に行く以外、どこへも行かず、ごろごろして、わたしが出かけようとすると、どこへ行くってうるさいのよ。ボランティアでも、町内の世話役でも、なんでもいいから何かして欲しいのよ」とこぼしていた。
 このまま何もせずに年を取って…いやだ、いやだ。
夫婦で山登りをしたり、旅行に行ったりはどうだろうか。
退職金と年金暮らしで、そんな生活ができるだろうか。
そもそも、夫と旅行に行って楽しいのだろうか。
考えれば考えるほど、わからなくなる。

 神部雅恵からの電話で、翔子は近くの甘味屋に出かけた。
「近くまで来たものだから、お茶でもどうかと思って」
「一人でむしゃくしゃしてたから、ちょうどよかった」 
抹茶セットを頼むと、翔子の口から夫の身勝手な話がほとばしった。
きんつばを口に運びながら、雅恵は翔子の話を聞いていた。
 話し終えると、ふーっと息をはいて、雅恵さんはどう思います? と翔子は尋ねた。
「問題は退職金を使って商売を始めるのに、ひとことの相談もなかったことよね」
「まあ、それだけじゃあないですけど…」
「その一、退職金を半分もらって離婚する」
「離婚は考えてません」
「それではどうしたいの?」
「それがわからないから、困っています」
「商売をすることに反対なの?」
「反対ではないですけど、失敗したら…」
「どうして失敗すると思うの?」
「だって、素人が突然商売したって、無理でしょう」
「内容は詳しく訊いたの?」
「いえ、退職金を使うと言うので腹が立って、口もきいてません」
「とにかく、きちんと話をしてみたら。聞いてみないことにはわからないし。面白い話なら、翔子さんも手伝えばいいのよ」
「えっ、わたしが?」
「そう、きちんとお給料をもらってね」
「そんなこと考えてもみませんでした」
「だったら、考えてみたら? 家に閉じこもっているより、カフェで働くなんて、いいかもよ」
「考えてみます」
 翔子は、お年寄り相手の喫茶店なら、お抹茶やお煎茶をメニューに入れれば喜ばれるかもしれないし、自分にも働けるかもしれない。雅恵のいうように、博之の話をきちんと聞いてから、結論を出しても遅くはないと、家路を急いだ。

 家に帰ると博之が家にいたので、チラシを出して、詳しい話を訊いた。
 博之たち三人は“シニア情報生活アドバイザー”の資格を取って、インターネットカフェという形で高齢者にパソコンを教える。しかし、それだけでは商売としては成り立たないので、インターネットやメールを覚えた高齢者に、パソコンを売る。ただ売るのではなく、接続、セッティングも全部して、カフェと同じ状態で使えるようにする。
また、高齢者がパソコンで困った時には、訪問して手助けをするアフターサービスを充実させる。
パソコンは、田嶋が働いていた会社の取引先から仕入れる。
家賃は商店街の再開発事業で半額の補助が出る。
軌道に乗るまで人を雇う余裕はないが、はじめは三人でできることをする。
また、地域の公共施設で高齢者向けのパソコン教室も開催する。
翔子にはよくわからなかったが、数字がびっしり書かれた書類もあった。 
日頃は無口な博之がとつとつと語った。
「カフェだから、誰がコーヒーやお茶を入れるの?」
「それは…これから、なんとかする」
「わたしが反対したら、どうするつもり? 離婚する?」
 うっと、博之は言葉に詰まった。
「ひとつ、条件があるの」
「なんだ」
「わたしを雇ってください」
 博之は、離婚という言葉よりも狼狽しているのが翔子にはおかしかった。
「雇うって、まともに働いた経験もないのに、何ができる?」
「だから、お茶やコーヒーを淹れたり、ウエイトレスになったり」
「ウ、ウエイトレス? おまえが…」
「お客様は七〇歳や八〇歳のおじいちゃまやおばあちゃまでしょ、それなら、わたしは充分若いじゃないの」
「しかし、喫茶店のことなど何も知らないだろう」
「それはあなたも同じでしょ」
 翔子はこんな風に夫と会話ができることが楽しかった。
なんだか、自分でもいろいろなことができそうな気がして、力が湧いてきた。
「オープンまであと三ヵ月あるから、その間に喫茶の学校へ行きます」
「しかし、神童と田嶋に相談してみないと…」
「どうぞ、相談してください。この条件がだめなら離婚しますし、当然、慰謝料その他、いただけるものはすべていただきます。そうなればお店は開業できないでしょうね」
 翔子の笑顔に博之は震えあがった。これは本気だ。さっそく二人に相談しなくては。

 博之が出かけた途端に、翔子は力が抜けた。
 「雅恵さん、やったわよ」
 翔子は電話で雅恵に博之とのやりとりを報告した。

 「新わくわく片付け講座」の資料を出して、改めて考えた。
大切なものは、“生きがい”と書いた。
自分の年表を見ると、結婚してからは夫や子供のことを考えて暮らしてきた。
もちろん、それは自分が犠牲になったわけではなく、それが生きがいであり、望んだ生活だった。
夫婦げんかもしたが、大病をすることもなく、子どもたちも成人し、夫も退職まで無事勤められたことが幸せだったのだ。
人生五〇年時代の物語でいえば、ここで、めでたしめでたしで終わるのだろう。

 これから、また新たな物語が始まる。
 いや、始めよう。夫の手伝いでなく、スタッフの一人として責任をもって仕事をする。
還暦のウエイトレスになってもいいじゃない。かわいいエプロンを買おう。
おいしいサンドイッチやお菓子が作れるようになりたい。

博之の計画書には、パソコンは店に何台必要だとか、一月に何台売るだとか、パソコンのことばかりで、カフェのことはろくに考えず、自動販売機でも置けば良いと思っているようだ。これだから男は困る。
若い人はともかく、お年寄りは単にパソコンを習いに来るわけではないだろう。
また、パソコンをしなくても、おいしいお茶やお菓子、話し相手がいれば、立ち寄りたくなるだろう。そういう場にすることこそ大切なことではないのか。

新聞の読者欄で、ひとり暮らしの高齢者が、誰とも口をきかずに家にいると気が滅入るので、人と話すために、無料パスでバスに乗って、隣に座った人としゃべるのを楽しみにしているという記事を見たことがあった。
そういう人が立ち寄ってくれる場所になれば、どんなにいいだろう。
翔子にはその情景が目に見えるようだった。

 翌日の「新わくわく片付け講座」は欠席者もなく始まった。
「今日は皆さんの想像力を働かせてもらいます」と、蔵子の言葉を合図に、まろみがカセットのスイッチを入れた。
 チェンバロの静かな音が部屋に流れた。

「それでは、始めましょう。皆さんは片付けたいものがあってこの講座に参加されたので、眼をつぶって片づけたいものをイメージしてください。
おうちの中に何がありますか…古い洋服、使わない電化製品、本、思い出の品、結婚式の引き出物、お土産、バーゲンで衝動買いしたもの、賞味期限切れの食品、いろいろありますね。引き出しや押し入れはどうなっていますか。
以前、片づけたいのは夫ですと言われた方がありましたが、それでもいいですよ」
「それはわたしです」というつぶやきに笑いがおこり、誰だろうと翔子がそっと目を開けると、雅恵だったので驚いた。

「次に、片付いたところを想像してください。ものが散らかってなくて、すっきりきれいになっています。どうですか。どんな気分ですか、気持ちがいいですか」
 翔子の頭の中には、なぜか、自宅の部屋ではなく、喫茶店で働いている自分の姿が浮かんだ。
花を飾り、コーヒーを入れたり、お菓子を運んだり、忙しく働いている。
「では眼を開けてください」
まろみが紙を配った。
「それでは、この紙に、片付けを終えたご自分はどういうイメージか書き出してみてください。捨てる決断ができる。でもいいし、片づけ上手のいい女、でもいいです。女優のだれだれみたいな素敵な女性、でもいいですよ」
 翔子は迷わず、喫茶店でいきいきと働く素敵な女性と書いた。
「この紙は冷蔵庫の扉など目につくところに張っておいてください。皆さんは、それを見ると、ご自分のすてきなイメージを思い出せますから」

「それでは、いよいよ具体的な整理の話に入ります」
蔵子は資料を配り、チェックリストの説明をした。
「そろそろ皆さん、今のご自分に何が必要で、何が必要でないか、保留にしておくものは何かがはっきりしてきたと思います。ご質問はありませんか」
 思い浮かぶものを書きだして、翔子は改めて、リストを見直した。
必要でない“もの”ばかり、後生大事に抱え込んで、自分自身の中味は空っぽだったのだ。
 ものは処分して身軽になり、中味を満たしたい、人生を楽しむ時期が来たのだと思った。
 蔵子の話は続いているが、翔子の耳には届かず、これからすることを書きだしていた。

 夫とも、もっといろいろ話し合わなければ。これから忙しくなる。
どれだけのことができるかわからないけれど、今、踏み出さなければきっと後悔する。
妻でも母でもなく、ひとりの人間としてスタートする時が来たのだと思った。

15章 終

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