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【脳からでまかせ】その4 〜”アンチエイジング”は何歳から?〜

※散歩してたり風呂に入っている時などにふと思いつく、本当にどうでもいい事を、整理も熟考もせずにただ「書くためだけに書く」というのを楽しむためのシリーズでございます。

いつから始めるものなのか?

随分前から気になっている言葉がある。
それは ”アンチエイジング” 。

恥ずかしながら、最初にこの言葉を耳にした時、「反抗期」の事だと思ってた。
「抗うお年頃」のつもりだったのです。

でも、それにしては何かと中高年の人たちの事を話題にしている時にこのワードが出てくるなと。そしてどうやら「美魔女」にも関係がありそうだという辺りから、段々と「抗うお年頃」ではなく「お年頃に抗う」という事なのだなと理解していった。

その使われ方を観察していると、どうも「実年齢に抗う」というよりは、主に身体の「老化に抵抗する」という意味合いで使われており、健康面も含まれているのだろうけれど、比重としては「美容」に関して使われる事が多いなという印象がある。

そこで「美魔女」と関連するのね。
要するにお肌のハリだとかきめ細やかさだとか、顔のシワがどうだとか、体のたるみがなんだとかが「とても48歳とは思えない!」とか褒めそやされることと「アンチエイジング」は密接な関係にあるらしい。

まぁ、そこでも若々しい肉体を保つために、シェイプアップだのストレッチだのダイエットだのウォーキングだのが推奨されるので、健康にもいいですよってことなんだろう。

今、コレを書いていてふと思ったのだが、どうもこのように「若さ」を肯定的に捉えて取り組むものには外来語というかカタカナを使うのが好まれてる気がして来た。
というか、これを例えば「柔軟体操」「食事制限」「散歩」などと日本語で表現するとやってることは同じでも、年寄り臭い空気が漂いはじめ、全然若さを保てていない印象にならないだろうか? どちらかと言うと「どうにか生きながらえる為にやってる感」がしてくる。

だとしたら、「たるむ=サギング」「ゴロゴロする=チルアウト」「過剰摂取=オーヴァードーズ」などと英語カタカナ表現にしてしまえば、それだけでカッコよく自堕落になれるし、安心して年老いていけるのではなかろうか?

「今日もコレステロールをオーバードーズして優雅にチルアウト。サギングボディを目指します!」とか言っちゃえば、なんか素敵な人生だ。むしろ、このバカっぽさが若々しく感じられる。


そもそも”アンチエイジング”の対策を始める年齢というのは何歳からなのであろう?
これがずっと気になっている。

というのは、もし誰かに「アナタもアンチエイジングに取り組みませんか?」なんて誘われたら、それはつまり「アナタはもう若くないですよ」と言われたも同じではないのか?
もしくは「この状態を維持するには今後は努力しかない」という宣言をされるに等しいのではないかと。

まぁ、誰かに言われなくても自分で「今までは何も気にしなくても大丈夫だった肌ツヤが、そろそろちゃんとケアしないと荒れてきて取り返しがつかなくなるな」という自覚があるから”アンチエイジング”を目指そうってなるんですよね?

このネーミング自体が「お年頃に抗う」という意味なのだから、他人からの指摘にしても自覚からにしても「もう、若者ではない」という認識があってやってることだと思うので、幾つから始めるにしても、そんな事を考えてる行為って、もう若さを維持してない証拠だという矛盾が生まれると思うのだが、どうなんだろう?

そう考えると”アンチエイジング”って「若い頃にはしなくて済んでた、若作りのための努力」と言えなくもない。


いつから若くありたいと思い始めるのか?

この「若さを保つ」とひとことに言っても、そこにはいろんな意味合いがあるのだろうとは思う。

ひとつは、自分が快適でいるため。
やはり身体が健康ではない状態というのは、何をやるにしても思うように動けなかったり、以前のような俊敏さがなくなっていたり、なんとか活字を読むことに集中するあまり、本を近づけたり遠ざけたりしながら、はっきりと文字が読めるポイント探しに気を取られて内容がまったく入ってこなかったりなどという煩わしさがある。これだけで身体だけでなく気持ちからも快活さが失われる一因にもなる。
また、健康状態が思わしくないままで長生きしていると、周囲に心配や面倒をかけたり、医療費などで経済的負担があったりするなど、これもまた快適な気分ではなくなる。

もうひとつは、周囲から若く見られたいという思惑だ。

どうも世間一般には若いというのが、少なくとも見た目的には格好が良くて、美しくて、素晴らしいことだという認識が広くなされているようだ。
なので、経験と生きて来た歳月によって刻まれたシワのある肌よりも若くてツルツルのお肌が優れている、美しい、という気がしている。ということだろう。

女性が周囲から若い(美しく、素晴らしい)と見られたいという気持ちが働いて、見かけを若く見せられるように化粧をしたり白髪を染めたりする。これはもう、例えば私がズボンのチャックをちゃんと閉めてないと「みっともない」と思われるから気をつけるのと同じような気持ちなんだと思う(アナタの顔と私の股間が同じようなものだと言いたいわけではない)。

だから、若い頃は周囲に対して「ありのままの自分を認めて欲しい」と思ってたクセに、今ではなんとかありのままの自分を見られないようにと化粧や服や装飾品で身を固め、実年齢よりも1歳でも若く、それが無理ならせめて1 分でも若く見せようと頑張るのではなかろうか?

こうなるともう”アンチエイジング”を通り越して”アンチマイセルフ”な趣になってくる。

自分にたいした中身がなかった若い頃には「ありのままの自分」を見て欲しくて、それなりに経験を重ね豊かな人間性を身につけてるであろう年齢になると、その痕跡を見つけられないように、若く見られたいと思い始めるのが人間の不思議なところでもあり、考えてみたら、そんなことやってるということは特に年齢を重ねたからと言って豊かな人間性が身につくわけでもないようだ。

若い頃は体力もあり、肌にもハリがあり、代謝機能も活発に働いており、多少の睡眠不足や暴飲暴食などの不摂生をしても何も気にすることはなく、いつまでもこういう状態なのが当たり前だと思って、部屋でゴロゴロしていた。
それが、歳をとって体力も運動神経もなくなり、代謝機能が落ちてくる頃になると、部屋にいてもストレッチしてみたり成人してるのに酒やタバコを控えたり、規則正しい生活を心がけるようになり、部屋でゴロゴロする時間がないというか、残された時間がないのに気がつく。
子供の頃は早く大人になりたかったんだが、いざ大人になってみて求めるのは「若さ」であるなら、一体いつがベストの年齢なのだろう?

おそらく肉体的な、そして脳活動的なベストな年齢というのは医学的にはあり得るんだろうな。10代後半から20代前半くらいだと思うのだけれど。

そう言えば以前にネットで見かけた記事に「アンチエイジングは20代から始めよう」みたいな事が書いてあった。確か美容グッズの広告記事かなんかだ。
要するに「20代が健康や美容面でのピークだから、あとはそれが下り坂なんで、そこでなんとか食い止めましょう」という趣旨なんだと思う。

しかしどうだろう? 考え方によっては、ヒトは生まれた時から老化の一途を辿っているのである。もし本当に少しでも老化に抗いたいのであれば、できるだけ乳児のままの状態を維持するように心がけながら残りの人生を過ごしていく事が本当の”アンチエイジング”なのではないだろうか? 産まれてから、その後に一人で立って歩けるようになり、歯が生え代わり、筋力がついて、生殖機能が発達するのも、老化の過程である。

これは言葉の問題だと思うのだが「老化」と言うからなにか劣化していく(なんか字面が似てる)印象になるのであって、そして俊敏に動けることや肌ツヤがいいとかが健康やら美的感覚の上で優位との価値観があるから、20代がより素晴らしいという事になるんだろうけれど、それだって赤ん坊が老化した姿である。

なぜ筋肉が衰える、肌にシミやシワが増えて毛髪が減ると「ダメになった状態」とされるのだろう?
単に「時間が経過した」ということではいかんのか?

昨今話題のプラスチックのゴミっていうのは時間が経過しても基本的な状態が維持されたまま残り続けるから問題になっているのではなかろうか?
プラスチックなんてものができる前の、物が時間の経過とともに変化して次第に別なものへと姿を変えていくゴミであれば起きなかった面倒な問題が発生しているのである。

もちろんコレはこじつけた理屈にもならない屁理屈なんだが、おそらくヒトもいつまでも若くてピンピンしているままだと、自分は嬉しいかもしれないが、何か問題があるような気がしてならない。

いや、どっちにしろなにがしかの問題はあるんだから別にいいけど。


健全な精神は”アンチエイジング”な肉体には宿るのか

さて、その問題というか、美容にしろ健康にしろ老化に抗い、若さを保とう、若くみられようとするのは良しとしよう。
私だってわからなくもない。どちらかと言うと同年代よりも、もっと若くて見た目の綺麗な女性と仲良くなりたいという気持ちはある。これが精神的な興味なんだか肉体的な関心ごとなのかは自分でもよくわからないのが生命の奥深いところだ。
そして、その若い女の子にカッコいいとか素敵だとか思われたい自分もいる。ただ、そこまで努力する気がないだけの話だ。
こうやって誰もいないところでいると「若い子と仲良くなったり良く思われるのはめんどくさいや」と思うのだが、実際に若くて綺麗な女の子を目の前にすると、ころっと気持ちが変わる。

変わると言うか、この瞬間、私は自分の年齢のことやそれに伴う美容健康面での時間の経過を忘れているのです。気持ちだけが”アンチエイジング”な状態とでもいいましょうか。

この「気持ち」の方の事がアンチエイジング界隈ではどういう扱いになっているのだろう? 

よく言われるように「肉体と精神」というのは決して切り離されたものではなく、互いに密接に作用し合っているものだし、ヒトにおいてはわざわざ分けて考えるようなものではないだろうと言う気もする。経験的に。

体調が悪くなったり、どこか大きな怪我をして思うように動けない時などは気持ちも沈み込むというか、何かをやってみようと言う気力が損なわれたりすることもあるし、逆に気分が沈みがちだったりする時に、あえて早足で歩いたりとか、深い呼吸を意識すると次第に気分も晴れて来たりするという経験は多くの方がされている事だと思う。
自律神経の不調がやがて鬱やパニック障害などの精神の不調に発展する場合だってある。

私の知人で「化粧療法」なるものを行なっている方がいる。
ケアハウスにいるご老人や、怪我や病気で障害を負った人などに、化粧やファッションコーディネートする事で、その方々が精神的に明るく元気になっていくと言うもので、それは私も目の当たりにしている。

なので、美容健康面で美しく活動的な肉体を持つと言う事が、精神にも大きな影響を与えるであろうことは理解しているつもりだ。
だから「アンチエイジングでカラダもココロもいつまでも若くいましょう」というのは、そういうことなんだろうなと思うのです。さっきも書いたように、心身ともに快適さを得ることはできるだろうなと考えている。

しかし、ここでなんとか難癖をつけなければ、コレを書いてる意味がない。
というか、コレはそもそも意味のないことを書きたくてやっているので、そこで終わらせてはつまらない。

この「快適な、快活に活動する元気な精神」というのを「若い精神の賞賛」みたいに勘違いしちゃうと色々面倒だなと思うのです。

考えてみましょう。

「体も心も20代のまま」っていうアンチエイジングな84歳とかが、元気に動き回って溌剌と社会の表舞台で活躍しようものなら、それは「老害」と呼ばれる類のものに近くならないだろうか? どんなに体が元気だからと言って、若い時の「オレがオレが」の精神のままで何かをし始めても、または会議の席で「ちょっとした気の利いた冗談」を言ったつもりになっても、その言動に至る考え方や価値観は「古い」のである。
それを若者と同等かそれ以上のバイタリティで前面に押し出し、なおかつ周りの者は歳下でキャリアも浅いとなると、意義を申し立てづらくて、どうしても持ち上げざるを得ないという、手のつけられない状態が発生する。
(尚、この例に挙げた84歳という年齢が、元東京オリンピック組織委員会会長の森喜朗氏の現在の年齢と合致するのは、単なる偶然です)

若者特有の場をわきまえない態度なんだか、老人特有のあつましさなんだかわからん言動を、若者同等の体力や筋力で年上の人からやられたらたまったもんじゃないぞ。

実生活で、気持ちが”アンチエイジング”な人が50も過ぎてからエロカワファッションだのゴスロリファッションでプリクラ撮ってたりしたら「気持ちが若い」ってよりは「気持ちが悪い」って事にはならないだろうか? 


ここがおそらく、”アンチエイジング”の難しさだ。若々しい肉体につられて心の状態まで制限なしに若々しくなってしまうと、人として困った事になる。「若い精神」と「低い精神年齢」の境目を見極めないといけないだろう。


アスリートに学べ、Gに学んでもいいかもしれない

「低い精神年齢」と言えば、私も自慢ではないが精神年齢はかなり低いと思う。
単純にそれを若い時のように行使できるほど体力がなくなっているから目立っていないだけの話だ。
もし自分が見てくれも体力も20代のままで、低い精神年齢で、実年齢にふさわしい中高年の発想に基づいて実行していたらと思うと、たまに出てくるわけのわからない中高年の新聞沙汰などを見聞きしながらゾッとする。

そして、正直なところ「なんでそんなに若い頃に戻りたいとか、保ちたいとか思うんだろう?」という疑問がある。自分の若い頃を思い返して、アレをもう一度とも続けたいとも思わないのだが。

なんというのかな…。
中高年になって「いつまでも若い頃のままでいた〜い」って発想っていうのは、もしかしたら20代くらいの頃に楽しい事が行われてる最中に「いつまでもこのままでいた〜い」って思うのと似てるのかもしれない。そういう意味では美容健康面はともかく、心は既に”アンチエイジング”だ。

だが、確か冒頭の方でも書いたが(忘れたけど)、”アンチエイジング”というネーミング自体からして、「もう若くはない」という自覚があった上でそれをなんとか食い止めようとか遅らせようという発想なんだろうなきっと。

若い人は「自分の年齢に抗おう」とは思わないもんね。
中には25歳くらいで「中2の頃に戻りた〜い」って人はいるかもしれないけど、それで努力しちゃったらなんかおかしな事になるよね。あと、中高年でアンチエイジングだとか言って、セーラー服着て出歩くようだと、若さがどうのこうのじゃなくて性癖に近いものがあるね。

ちょっと余計なアレを入れちゃったけど、だから「あの頃の状態を保つ」ってのがいい事のように扱ってもらえるのって、実際は歳食ったからだって事で、それを踏まえるべきものなんだよねきっと。そう思うと”アンチエイジング”を意識した時が老化の始まりかもしくは、自分は若くないんだってことの証明になるな。

しつこいけど、若い人はそれを保つ努力なしに若いわけで、その若さで色々と他のことの為に行動するけど、”アンチエイジング”の人って、若さのために色々な努力と行動をするわけでしょ? 
その事実自体にもう若さがないのではないかと思うのだ。

と言うことで、美容はともかく、健康面って話でいうと本来は”アンチエイジング”的な自身の努力の仕方の見本って、アスリートかなと思う。

アスリートになった事がないのでよくわからないけど、多分、一流のアスリートって、自分の肉体がいつまでも若いままではない、次第に衰えて若い頃のようには動けなくなるってのは人一倍覚悟して受け入れていると思うのです。実際に歳を重ねるごとに実感としてあるだろうし。

だから、その思うように動かなくなる、衰えていく肉体をできるだけ現状のままキープしたり、あるいは故障やどうしようもない衰えに応じて、それでも長く続けるとか、何かこれまで以上の活躍や記録を目指す為に体を鍛えたりケアしたりしてるんだと思うのね。あと、競技自体が好きだからまだやりたいとか。


「軸足の踏ん張りが利かなくなってきたから、もうちょっと始動をこうしよう」とか「直球のスピードが落ちたけど、スライダーを練習して配給で打ち取ろう」とかそういう考え方で、体を鍛えるし、言うまでもなく精神は若造のままではなく、肉体の衰えを培った経験による知力や精神力、応用力で補うと言うか、さらに成長しようとする。

「いつまでも若くいたい」ではない態度で、「どうやって歳とっていくか?」っていう発想だと思うのです。「若い体」が目的ではなくて、他にやりたいことがあって、そのために健康に気を配っているのではないかと。

そうした点で”アンチエイジング”は何を目的としているのだろう?

何もアスリートのように体をストイックに鍛える必要はないのだけれど(そしてやりたくないんだけれど)、自分が若くない事を受け入れて健康な体を得るための発想としては、私としては「抗う」というよりも「受け入れた先」に見出すものかなとも考えてみた。

そして、フィクションの世界ではあるが、究極の”アンチエイジング”は『ゴルゴ13』なのではないだろうか?

国際的な超一流のスナイパーである。ここはもう漫画だということは忘れてくれ。

1968年の連載開始当初、彼の推定年齢は32歳という設定だった。
他の長期連載の漫画と異なるのは、ゴルゴ13の場合、旬な国際情勢と絡んでいるので実世界の動きとともに活動するので、登場から50年以上の時間の経過をちゃんと生きているという設定のはずだ。
となると今現在は87歳くらいということ。だいたい長嶋茂雄とか立川談志あたりと同年代。
それでもいまだに世界各国を駆け回り、要人を暗殺したり、テロ組織の軍隊やアメリカの特殊部隊なんかを相手に一人で勝ったりしてる。
これまでに、何度か地球の周回軌道上にまで行ってるし、プルトニウムの近くに行くとかで放射線もかなり浴びているはずだ。それにエボラをはじめいくつかの悪性ウィルスにも感染してるし、散々銃弾や爆撃を受けたり、拷問を受けたりしているが、常に体を鍛えており、しっかりとケアしているから87歳の今もあんなに元気に人を殺している。そして場合によってはプロアスリートや格闘家以上に卓越した運動能力を発揮している。

87歳でこれって、”アンチエイジング”な人たちって、突き詰めたらこう言う感じになりたいんじゃないのかな? それで作者が亡くなってもまだ連載は続くらしいからね。

まぁ、身体中傷だらけなんで、美容の面からはちょっとアレかもしれないが。


”アンチ”じゃなくてもいいんじゃないのか?

うん、コレを書く数日前に原作者のさいとうたかお氏がお亡くなりになったんで、強引にゴルゴ13を持ってきたんだけどね。

これをつらつらと書いてきて、なんとなくわかったのですが、私が”アンチエイジング”に対して感じてる引っかかりってのは、おそらくこのネーミングから来る自分の受け止め方なんだろうなと。

「年齢に抗う」とか「自分の年齢を否定する」みたいな感じがちょっと自分としては馴染めないのだろうね。
で、さっきも書いたように「年齢を否定する」って発想から「若さを保とう」って言う目標が、もう「年齢を意識しまくってるじゃない」って思ってしまうのです。

美容に関して、その綺麗な肌とか若々しいスタイルとか、見た目的なアレはその価値観が「若者の持っているものが優れている」ってところから来てるので、これ「年齢や経験に見合った美しさ」っていうものを認めてしまえば、美容液とかなんだとかに使う労力で、もうちょっと違う意味で「自分を豊かに深めていく」とかの方向に費やせるんじゃないかとも思うし。

たしかに、前述の通り私も若い女性のほうに目が行きがちではあるが、それは彼女らが若いからと言うよりは、見た目が美しくて惹かれるものがあるからということであって、自分の事は棚に上げて、なんなら神棚に祀っておいて言うと、全ての若い女性に当てはまるものでもない。申し訳ない。

そして、それが女性のというか人の魅力の全てではないのは充分承知してるので、年齢を重ねた女性が「若く見せよう」としているというのはあんまり惹かれない。だって「若いくて綺麗」っていう理由で惹かれてるんだから「若く見せようとしてる」って人には目が向かないのです。重ね重ね申し訳ない。

むしろ「その年齢としての美しさ」がいいんじゃないのかなと。まぁ、個人の嗜好の問題だから、ゴスロリな格好がお好きならばそれは構いませんが、自分と同年代の女性がその格好で若く見える化粧して、ぬいぐるみ抱えて「プリクラ撮ろう!」とか言われても、なんか嫌だ。

むしろ歳を重ねたら「抗う」よりも「受け入れた」上で、その年齢としての美しさを目指していただくと、ありがたい。

なんて言うんでしょう? 「若いままでいたい」って言い方するけど、それっておそらく「輝いていたい」ということだと思うんですよ。人からの受け止められ方でも自分自身に対する感じ方でも。
それは、なんというか「人生が経過している」という事を受け入れたところから美容も健康も取り扱った方が近づけるのではないかと。

そこでこの”アンチエイジング”って言葉がですね、何度も言うけどややこしい。
やってる事って多分、私が書いたような「輝いてる状態」を目指してるんだろうけれど、それを「年齢に抗って」って言っちゃうもんだから、「一番年齢気にしてるんじゃん」とか突っ込みたくなるんですよ。

あといい歳して「若いままでいたい」って言ってるのって、若い頃に「大人になりたくない」って言ってた精神状態と変わらないから、若いまんまだよとか言ってみたくなる。

えーとですね、美容や健康面は、「抗う」ではなく「受け入れる」ところから、そして気持ちの面ではもうちょっと違う角度で、自分の年齢がどうであろうと若い頃と同じように働かせればいいんじゃないかと思う次第。

というのは、若い頃ってのは、概ね自分の年齢を意識する事なくというか、そこに労力を費やさないで、別な事への興味やら、初めて経験することへの関心や好奇心に満ちていたと思うのです。これは自分の年齢が幾つであろうと関係ない。

わかりやすい例えで言うとですね、思春期の頃とか自分の体の変化とかも興味深く、ドキドキして見てた訳じゃないですか。
下よりな話でアレだけど、女性だと胸が膨らんできたとか(すみません、膨らまなかった方もいると思いますが、大丈夫です)、男なら「なんでこんな時に硬くなっちゃうんだよ」とか。
あと、「あ、毛ってこういう生え方してだんだん増えてくるんだ」とか。

だからそれと同じ気持ちでですね、
「ん?白髪ってこういう増え方してくるんだ」とか
「へぇ〜昔擦り傷つくった跡ってアザになるんだ〜」とか
「血圧上がると人はこうなるんだな」とか
「昨日は腰が痛かったのに、今日は肩があがらないぞ、人体は不思議だ」とか
そういうのをワクワクしながら発見していけばいいんじゃないかと。

それは「時間の経過」なので、人生におけるその瞬間を楽しく味わいたいものです。若い時と変わらずに。
そうやってると、多分わりと元気に生きていける気がしている。

それにしても、最近の抜け毛の多さが気になる。


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