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短文の練習①~忘れな草~

幼い頃によく家にあったお菓子のひとつだった。

私はビスケットが嫌いだった。

パサパサと喉が渇き、お腹を満たすためだけに食べているような気分になってくる食べ物。

クッキーと比べての粗末さを感じて、食べていることに恥ずかしさと虚しさが伴ってくる思いがした。

たとえば新品の綺麗な服を着たクラスメイトの中に、お下がりの服を着ておばあちゃんの手製の巾着をポケットに入れていくような。

友だちが遊びに来た時のおやつに出されようなものなら、後になって親に文句を垂れるであろうものだった。

このココナッツサブレは、そうした私の意思が表明された上でよく戸棚の中にしまわれていたものである。

つまり、私が許容して口に運んでいたものであった。

食べた感じはビスケットよりであるものの、ほんのりと塗られた砂糖の甘さとバターの感じがクッキーを思わせる。

Wikipediaで調べてみたところ、その感覚にまさにといった説明が冒頭に記載されていた。

サブレー(仏: sablé[1])とは、ビスケットの一種であり、サックリとした食感とバターの風味が特徴の洋菓子である。

サブレー

サブレの筆頭である、神奈川県鎌倉市の豊島屋の鳩サブレーが大好きだった。

濃厚な甘さのする大きなそれは、お土産でもらった一枚で幼い私の胃を埋めてしまうほどのものだったが、ココナッツサブレは20枚以上入った一袋を鳩サブレー1枚よりも安い値段で買えてしまう。

その分満足感も劣ってしまうが、日常的に食すには十分なものであった。

あるいは”ビスケットよりまし”という生意気な感情があったことは否定できないが、その一方でよく食べていたという現実はその食べ物を認めていることの証左でもある。

私はこの素朴な菓子を好いていたことを、大人になって一人住まいをし、少し小難しいことを考えるようになってから知る。


一つだけこの食べ物固有の記憶がある。

それはある日の小学校から帰ったおやつ時、母の不在でいつもの場所から見繕った菓子を食べようとしていた時のことだった。

家と直結した仕事場から父の騒々しい足音が聞こえてきたので、一緒に食べることになるのだろうと考えた私は、二人で食べるに十分な量のあるココナッツサブレを選んだ。

父とお茶を入れながらそれを食べていると、どういった流れか父は幼き日のことを話した。

「小学生の頃、よく自転車で山を越えて古本屋に行っててな。へとへとになるから、これを買ってよく食べてたんだ。」

おしゃべりな父はもっと余計な修飾を付けて、長ったらしくうざったく語ったに違いない。

だが、私がこの記憶を引き出す時、それは少年時代の父の、みすぼらしくも満足な姿が、哀愁を伴って思い出されるのである。

そしてその面影は30年、40年、50年の時を経て、様々な思いを抱きながらこの食べ物に接する私に重なって来る。


枚数が20枚から16枚になる、実質的な値上げの発表がされたのが昨年の春先で、実施されたのが昨年の秋口のことだった。

そこから買い渋るようになって数か月手に取ることはなかったが、たまたま目に入って来た特売品を買い、職場の休憩時に口にしていた。

静かなオフィスで咀嚼音が響くのを気にしながら、その回数が減ってしまったことや昔と変わらぬ味に思いを馳せていた。

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