短文の練習④~音楽がいた~
FIVE NEW OLD - Sunshine
ちょうどこれを書く5年前のことだ。
地方のIT会社に新卒入社して2年目の頃だった。
いわゆる上司ガチャを盛大に外した。
入社25年の表彰を受ける課長は、相手が新入社員だろうと部長だろうと気に食わなければ噛みつく人間で、その姿は時折本当に狂犬のように見えた。
年末に1年365日を振り返って、この人が怒鳴り散らさなかった日はあっただろうかと考えた時、不在の日だけではないかと本気で思ってしまうほどだった。
配属1週間も経たない内の配属希望調査に、「どこでもがんばります」なんて能天気に書いていたことを人生最大の後悔に感じていた。
1カ月、3カ月、半年と時間を積み重ねる中で、私の心は会社から離れていたことを振り返って思う。
身体にも諸症状が現れて、仕事をしたくないのではなく、会社に行きたくないのだとはっきり自覚していた。
そんな1月の朝、新年早々布団を抜け出したくない身体を無理やり起こして、ラジオのスイッチを入れた直後に流れてきた曲が、メジャー1stアルバムの発売を目前にしたFIVE NEW OLDの『Sunshine』だった。
ラジオの前で、そのまま曲の終わる3分ほどの時間立ち尽くしてしまったことを覚えている。
DJの「日本離れした清々しさのある曲ですね」という感想は、簡潔でいて納得のいくものだった。
ファレル・ウィリアムスの『Happy』やMaroon5の『Sunday Morning』を初めて耳にした時のような感覚だ。
どこか日本人らしさはあったものの、あまりに滑らかな英語がそう思わせたのかもしれない。
「ああ、今日は一日気分よく過ごせそうだ」と、暗い毎日に木漏れ日が差す気がした。
その日、課長の逆鱗に触れて2時間にわたって詰められる中、この曲のメロディと歌詞をまだ覚えられていないことが恨めしかった。
シェリル・ノーム - 妖精
マクロスFというアニメを私は観たことがない。
アニメというものへの関心が薄く、放送開始前から話題を集めるこの作品も特に観ようとは思わなかった。
だが、楽曲をプロデュースする作曲家・菅野よう子のファンで、このアニメが放送された2008年も彼女のクレジットが記載されていればそのコンテンツの前で必ず足を止めていた。
このアニメの曲もまた、プロモーションで流れる楽曲を微かに耳にするだけで彼女の生み出すものの魅力を感じるには十分であった。
サウンドトラックばかりを流し続ける日々が私の音楽人生の中でどれくらいあっただろう。
最も好んで聴いていたのがこの『妖精』という曲だった。
このアニメの楽曲人気は全体的に非常に高く、4枚ものアルバムの中には聞き手の心臓をぐっと掴むような力を持ったものがいくつもある。
『妖精』は後発の劇場版のものということもあって、若干世間の認知度は低い方であった。
だが、初めて耳にした時の衝撃は、どの曲にも増して鮮烈に脳内に届いた。
語るに欠かせないのが初めのサビ部分だ。
それまでの静寂を破り、跳ね馬のように空を切る美しく太い声は、デウス・エクス・マキナのような鮮烈さがある。
菅野よう子の作曲ばかりでなく、歌唱を務めるMay’nの歌声にも魅了させられた。
この美しい曲を満足のいく声で歌えそうにないことで、男に生まれたことを後悔しかけたこともある。
大学で出会ったマクロスFが大好きだという友人とカラオケに行った時、『妖精』という曲が好きだと伝えると「何それ」と返され、私は彼を一発殴ってやろうかと考えた。
スガシカオ - ココニイルコト
私がスガシカオを知ったのは中学生の頃のことだった。
当時の中学生と言えばBUMP OF CHICKENをはじめとしたいわゆるロキノン系音楽が中心にあって、Youtubeやニコニコ動画といった動画サイトも普及し始めていたことから音楽に触れる機会が爆発的に増していた。
ちょうどインターネットの片隅で話題になっていた新海誠監督の『秒速5センチメートル』が無料配信されていた頃だったと思う。
その影響で山崎まさよしの『One more time,One more chence』があちこちで流れていて、母の影響でSMAPばかりを10年近く聴いていた私は、『セロリ』が彼の代表曲であることをこの時初めて知った。
そこから興味を持っていくつかの曲をジャンプする中、辿り着いたのがスガシカオの『イジメテミタイ』だった。
おそらく、山崎まさよしとスガシカオが同じ事務所で、歳も近いことから表示されたのだろう。
スガシカオの初期に特に多い、名前の通りの鬱屈とした曲で、最初はろくに関心を持たなかった。
が、数日経ってもお勧めに表示されるその曲なぜか気になり、再び動画を読み込んでしまう…
そんな繰り返しでいつしかCDまで集めるに至った。
彼の音楽性の変化について触れるのは別の機会にしよう。
ここでは「04年までの彼の音楽は一生聴くだろうと確信した」と言うに留めておく。
車に乗れるようになった時、心待ちにしていたのは、彼のCDを流しながら夜の街をドライブすることだった。
あえて出かける用事を夜に回したことも数知れない。
一人で住む部屋から実家へと向かう一時間ほどの道のり、『ココニイルコト』は何度も自身に問いかけ、口ずさんだ曲だった。
the pillows - パントマイム
スガシカオから始まって同年代の聴かない世代の音楽に流れるより前、ちょろっと書いた通りロキノン系ミュージックを愛好していた。
それはつまり先にも書いたBUMP OF CHICKENやRAD WIMPS、東京事変やELLEGARDENなどを指すのだが、私には何事でもルーツをたどりたくなる性分があった。
気になったことは人並み以上に知っていないと気が済まないのだ。
日本のバンド歴史を語る上で欠かせないthe pillowsもそうした中で知った。
当時の私はブログを書いていて(2023年現在も存続している)、毎日更新を心がけていた。
そのネタが浮かばない時に好きな曲を紹介するということをしていたのだが、the pillowsの曲を初めて書くにあたり、選んだのが『パントマイム』だった。
これは彼らのデビュー当初の、相当に古く、原木の如き粗削りな曲だ。
だが、特に終盤に向けての夕日に向かって吠えるような歌い上げに心惹かれ、時には思春期の自分を重ねながら何度も聴いた。
「フーセンを喉に詰まらせたような声」という評価をどこかで読んで、苦笑いしながらもそれがいいんだよなあ、と一人納得したことを覚えている。
この曲を書いたブログに、「長年のpillowsファンですが、早くからこの曲を知ったあなたが羨ましいです」という、年長者からのコメントがあった。
これを誇りに感じていたことも、今思えば中高生らしい。
奥華子 - リップクリーム
彼女の作品の二大巨頭と言えば、2006年のアニメーション映画『時をかける少女』で起用された『ガーネット』『変わらないもの』だろう。
一定の年齢層であれば、彼女の名前とこの二曲を知らない方が稀有と言えるくらいには知名度のある曲だ。
正直に言えば、私はJ-POPの歌い上げる愛だの恋だの友情だのに寒気がするタイプの人間である。
歌詞への共感なぞほとんど覚えることはなく、音偏重な聴き方をしがちだ。
そんな私に、愛と恋ばかりを歌う彼女の曲が入り込んできたことは驚くべきことだった。
2012年頃のアルバムまでの曲はほとんどすべてを聴き込んでいた。
彼女の作る音楽の何に惹かれるのだろうと考えた時、愛や恋以上に、あたたかな日の香りがするような日常の幸福性があるのだと気づいてからは、特に迷いなく聴いていたと思う。
「光でも闇でもない場所に ずっとずっといるのがいいね」
「もっともっと悲しいぐらい生きられたら 何もいらないと思えるかな」
もっと作品が聴かれるべきアーティストを考えた際、彼女の名と楽曲のいくつかを挙げないわけにはいかないと感じる。
『海風通り』『木漏れ日の中で』『Rainy Day』…どれも15年聴いていて、今でもふと思い出して染み入る曲だ。
ミズノマリ - Strawberry Walts
paris matchというユニットの2010年の楽曲を、ボーカルであるミズノマリ自身が再プロモーションしたもの。
私が3年以上遊ぶゲームで参加しているコミュニティがあり、もちろんゲームの話が中心だが、時に他愛ない話をすることも多い。
最近音楽の好きな人が入ってきたこともあって、良い曲を見つけたら積極的に紹介をしてもらっている。
つい先日paris matchの『KISS』という曲を教えてもらい、音の好みはもちろんとして、羽のような軽やかさと透明感が芯を持って同居する声に強く惹かれた。
それからparis matchの楽曲を漁っていくうちにたどり着いたのがこの曲だった。
紹介されたのがつい先日のことであったから、まだこのユニット自体を知ってから日が浅い。
だが、このユニットの作品を今後も聴き続けるだろうと直感的に思わせたのが、この『Strawberry Walts』だった。
私は来月に故郷へ帰り、首都圏を離れる。
一生住まうことはないだろうと思っていた首都圏に移住して3年、様々なことを経験して、やっぱり私が生きる土地ではないと痛感した。
その中で、数少ない良かったと思えたことの一つが、東京の似合う音楽をその空気と共に味わえたことだった。
この曲を東京を去る前に知ることができて、本当に良かった。
東京の少しセンチメンタルでいて儚い味のする記憶を、苺の酸いと甘さが包んで保存してくれるようだった。
五感のどれがか失われたなら、ということをよく考える。
そのどれがなくなった世界を想像しても、生きていくことができるのか不安なほどに、損なわれることを恐れている。
とりわけ聴覚に関して、果たして私は音楽のなくなった世界に絶望しないことがあるのだろうかと、真剣な死を予感してしまう。
音楽はいつでもあった。
言葉にできない胸の内を、時に何よりも正確に代弁してくれ、時に音に乗せて彼方へ運んでくれる大事な手段として、私を生かしてくれた。
それは今後も変わることはないと思う。
今日もまた、一生思い出せる音を求めて。