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クリスタルなんかどこにもない

 糸井重里がTwitterでにわかに叩かれているけれど、糸井重里に象徴される1980年代がある面では確かに羨ましくて、というのも本当に悩みのなさそうな、輝いていた時代だからだ。

 もちろん、当時生きていた人はそれぞれ今と変わらないくらい悩みはあっただろうとわかっていて、それでも全体として、「ほしいものが、ほしいわ」(1989年)などというキャッチコピーがまかり通る世相は今よりはるかに明るかっただろうと思う。当時のポスターなんかを見ると、本当に涙が出るほど羨ましい。あれから30年、2020年の西武百貨店は、上から読んだときと下から読んだときで意味が逆転するという技巧を凝らしてやっと、「土俵際、もはや絶体絶命。」にいる「私」を励ましている。30年前の天真爛漫さなど微塵もなく、もはや大逆転に賭けるしかない社会。

 僕は80年代を知らない。90年代も物心ついていない。僕の人生は「失われた30年」にすっぽりおさまる。何かが失われ続けたこの国で育った僕は、明るいことだけを考えてはいられない。80年代と2020年、良くなったこともたくさんあるだろうとわかっている。たとえばセクシャル・マイノリティへの理解や関心が深まったのは本当にこの数年だし、その他の面においても社会は倫理的に(本当に微々たるスピードだとしても)マシになっているだろう。それに80年代だったらこんな文章を書いてもせいぜい数人しか読んでくれやしなかっただろう。今ならインターネットのおかげで20人くらいは読んでくれる、と思う。
 しかし、そういう倫理的な進歩、たとえばポリティカル・コレクトネスなんかがむしろ人間を文化的に貧しく、また不幸にしているのではないかとしか思えないような息苦しさを伴っているときがあると感じることもあって、やはり2020年は総合すれば1989年より遥かに悪いのでは、と思わざるを得ない。

 だからこそ、糸井重里的な触り心地の良い言葉に安住していてはいけないだろうなという気がする。あれは社会に余裕があるときの態度だ。生活自体が危ぶまれているときに「おいしい生活」なんて言っていられない。
 もう2020年なのだから、2020年の態度で、2020年の言葉で生きていかないといけない、あんなのは恵まれた時代の恵まれた人間が言う言葉だと唾棄しなければならない、いつまでも80年代の幻影なんかに浸ってはいられない、だって現実はこのざまなのだから。軽妙で洒脱な生き方を羨ましく思うことをやめて、必死に泥臭く生きないともうダメなんだろう、きっと。

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