愛したいだけ

愛したいだけ、愛したい人を、愛したい。

タイトルは「セックスレシピの作り方」を書いている藤井みのりさんの言葉。

愛したいだけ、愛したい人を、愛したい。 - セックスレシピの作り方
http://sexrecipe.hatenablog.com/entry/2015/02/08/175058

「自分がされたら嫌なことを相手にしない」と教えられることがありましたが、嫉妬や束縛が苦手で、以下の記事を書きました。

好きな人が僕ではない人を好きでも、自分の気持ちにあまり変化はないし、好きな人が幸せそうなら、それでいいと思えます。(もちろん、悲しい気持ちになったり、残念に思うことはあります。)

どちらかというと感情ではなく、まだ理屈で気持ちをセーブしてるような気もします。

同じようにモヤモヤしているのが、好きな人をひとりに決めなければいけない点です。例えば、素敵だなと思っている人が複数いるときに、その中の誰に告白しようか、誰かひとりを選ばなければいけないと、まだ思い込んでいることに気づきました。

Aさんの笑顔が好き、Bさんの声のトーンが好き、Cさんの体形が好き⋯⋯。絶叫マシンに乗りたいけどAさんは苦手だと言うし、Bさんはドキュメンタリー映画よりも劇映画のほうが好きだと言うし、Cさんは辛い食べ物が苦手だと言うし⋯⋯。あー、誰を選べばいいのか、本当に困ります。

もし自分の恋人が複数の人を好きでも、それは豊かなことだと思います。僕には見せないような表情で、その彼とのことを話したり、どんなことがあったのか教えてくれたりすると、二人の世界もぐっと広がるような気がするのです。

そして、複数の人から「好きです」とか「素敵ですね」と言われたら、それは単純にうれしいことですよね。

ライターの佐々木ののかさんが、「結婚前日、つまり去年の今日は昔好きだった人に会っていた」と書いていました。

結婚したらこの人とは結婚することはないというのはもちろん、好きだったと伝える機会もないだろう。そう思うと、何だか喉の奥が窒息しそうに苦しくなった。

ののかさんの「好き」という気持ちは、僕が考えているものと違うかもしれないけど、「恋人」とか「結婚」というラベルによって、「誰かを好きになる気持ち」が制限されてしまうのは、本当に残念なことだと思います。

好きなひとがいるということ、好きなひとに出会えるということ、好きなひとに好きだと言えることの中には、大袈裟な言葉で言えば「世界を明るく照らす力」を見る。好きなひとには好きだと言う。それだけで、充分、この世に生まれてきた甲斐があったのだと思う。(坂爪圭吾)生きろより「生きたい」 - いばや通信
http://ibaya.hatenablog.com/entry/2016/12/31/102259

坂爪さんの言葉を受ければ、好きな人に好きと言えない状況は、世界をどんどん暗くしているのかもしれません。

愛したいだけ、愛したい人を、愛したい。

誰かを好きになる気持ちに制限がなくなる時代が来ることを祈って。

恋と愛の違いについて、こちらの記事もご覧ください。


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