あっちとこっちと

「キセルって知ってる?」「どっちの?」「どっちって?」「不正乗車か喫煙具」「いやそうじゃなくて、アーティストの」「知らん」「ライブチケット買ってん」「へ〜」と、はじめてキセルライブに行ってきた。

3年前のこと。升田学さんとセレのグラフィカのダンスパフォーマンスで、「君の犬が死んだ朝……」とはじまる歌が流れた。13年暮らしたミニチュアダックスの「ゆず」が死んでしまった少しあとだった。ゆずは庭に埋めた。「夢の浜辺に埋めましょう 掘っても 掘っても 指先に 触れてくるのは 柔らかな 思い出ばかり」という歌詞が、指先から流れ込んできた。

だれが歌っているのか調べることもしないまま、メロディもあやふやなあの歌詞だけはゆずとともに時おり思い出した。今年、最初にひらいたTwitterに、君の犬、キセル、ライブという文字が流れてきた。調べたら、あの犬の歌だった。ライブ会場は、京都「磔磔」。1月10日は青と京都に行く予定がある。呼ばれた気がしてすぐにチケットを取った。そうして、キセルをまったく知らない、ほとんど知らない二人でライブを聴いた。

会場を出たら、青が「月!」と言う。大きな白い満月。「キセルどうだった」「よかったよ」。頭上の月に似た気分だった。
「寝入りばな、寝起きと、何かの向こうっていうのがよくでてきたね」「えっ?何かのこっちじゃない?」「向こうでしょ」「いや、だから、向こうとこっち、眠りと覚醒、境界みたいなものじゃないかな」「ああ、生と死も」。

境界のゆらぎが詩になり音楽になり、音楽や詩が境界のゆらぎを変質させてもくれる。舟から下りてもしばらくからだが揺れているように、音楽に揺れたまま帰宅してねむりについた。

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