くらげ的転回。

焦点が定まらない微睡みのような思索をあえて書き留めることで、自らの生活の質を上げようと…

くらげ的転回。

焦点が定まらない微睡みのような思索をあえて書き留めることで、自らの生活の質を上げようとする試みです。

最近の記事

「現在」というものの時間の長さを考える時がある。どれだけ短い時間でも、その分戻ればそれは「過去」だ。しかし「現在」は確かに存在する。ならば、その長さは『無限小時間』なのではないか、と思いついてみた。

    • 三島由紀夫のインタビュー(Yukio Mishima on WWⅡ and Death)

      0:00 ~ 終戦の時私は、終戦の詔勅を親戚の家で聞きました。 と申しますのは、東京都内から離れたところの親戚の家に私どもの家族が疎開をしていまして、そこにたまたま私が勤労動員で行っていた海軍の工場から帰っていたのですが、なぜ帰っていたかというと、ちょうどチフスらしい熱を出しまして、そして帰ってしばらく静養していた時期にあたっております。 そして詔勅を聞くとすぐ、また自分の職場へ帰って後始末をしたのですが、終戦の詔勅自体については、私は不思議な感動を通り越したような空白感し

      • 思想がアップデートされる

        Web2.0の勃興により、人間の思想は「情報に対する探求度」ではなく「情報の取捨選択」によりつくられるようになってきたと私は考える。 元来、人間は新聞・テレビなどの限られたメディアから情報を得て、それをそのまま思想として吸収することが多かった。 メディアから提供される情報——つまり思想を検証したり、あるいは否定したりするためには、「情報の根源をこの目で観察する」ことや「自ら調査を行う」など、非常に難しい挑戦を強いられることとなる。 つまり、大衆と異なる思想を持つためには情報

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