犬も喰わないあれ!

 口げんかは、本当に馬鹿らしい。最初は議論してお互いの意見を主張しているようでも、スイッチが入った音が聞こえた瞬間、横道に逸れたことに気づく。大抵はエネルギーを使い果たした後に分かることが、今回の口げんかは、そうなる前にピンときた。ここで、止めればいいのだと。
 自分で言うのもおこがましいが、普段は温厚な人間だと自負している。しかし、嘆かわしくもパートナーに対しては別だ。争う気持ちはない。なのに前世(あるとすれば)からの因縁としか思えないほど、ことごとく寄り添う努力に相反しての反応しかない。振り回されるのはいつも、私だ。
 怒りのエネルギーは、体力を消耗する。その疲れ切った後にふと、自分のことを思うと悲しくなる。何のために時間と体力を消耗したのか。それで、何を変えられたか。ただ流してしまえば、穏やかな気持ちは続いていたのに。自分の器の小さいことに、改めて気づき、自己肯定感を下げることもしなくてよかったのに、と。
 全く学習能力がないのはパートナーでは無く、自分自身だった。この次は上手く躱そう、スルーしようと思うのに、似たような展開になり、何回落ち込んだことか。しかし、今、また決意を新たにした。これからは、そんなつまらないことで、絶対、腹をたてないと。

 対策その1。そのような場面展開になりそうな、相手の態度をいち早くキャッチする。口調や、話の流れで予測する。天気予報並みの確率を目指す。
 対策その2。いよいよ、怪しい空模様になってきたら、相手の言葉は日本語ではないと思うことにする。意見の違いは合って当然。環境の違いが原因と思い、怒りのスイッチを入れるのを思い留まる。この時、相手の言うことに軽蔑さえ感じられるようなら、言語や文化圏の違いでなく、住む世界が違うと考える。虫と人間とか、宇宙人と人類など、相対的に考えても比べようのないものとし、決して自分が傲り高ぶらず、謙虚さを伴うものでなければならない。
 対策その3。怒りのスイッチを入れるのを踏み留まる手が震えるのを感じたら、その場を離れる。

 結局は、自分の気持ちに余裕が無くなるのだから、その前にその場を離れるのが一番の対策だと思う。何事も後から、意味付けできる。学ぶことがあろうが、なかろうが、それは自分の人生の楽しみ方だ。

 犬も喰わない何とかに対して、こんな文章を書いている自分は、文章を書くことが好きで、楽しみなのだと思う。

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