とある会話で「流れ」という言葉が出て

自分の仕事を振り返ってみた。

保育士になりたてのころ、
当時働いていた園では
「流れるような保育」
ということを大切にしていた。

一言で言えば、
保育士が「○○しましょう!」って号令のように声をかけて動くのではなくて

保育士さんが何かを始めることで、子供たちがそれを見て、自分で気がついて一緒に動く

全く声をかけないわけではなくて、必要な子供に届くような声のボリューム、他の子の遊びを切らないような配慮…等々しながら声をかける

そこの保育園では「担当制」というやり方をしていて、少人数ずつグループ分けがされていて、毎日同じ保育士が、同じ子供の生活面の介助をするというやり方をしていた。
なので、担当の先生が食事の準備を始めたら、自然と子供たちも食事の準備を始める
外に行く支度を始めたら、子供たちも支度を始める…ということが自然と身に付いていった。

そこを辞めてからは、勤めている保育園はほとんどが「一斉保育」というやり方になるのかな…。
クラス全員を、配置人数の保育士で見る。主に保育を進めていく先生とサポートにあたる先生がいて、全体を動かしていく感じ。

なので、全体に聞こえるように声をかけるから、一人一人の遊びの流れが途切れてしまうことも多い。

遊びを盛り上げるために、保育士も大きな声で楽しく歌ったり声をかけたりするように…と、一人一人に小さな声で声掛けしてた私は、その保育園時代は理事長先生によく叱られた。  

今日話していたら「流れ」という言葉が自分の中で引っ掛かって
保育のことを思い返したら

そんなことを思い出した。

今の自分はどうだろう?今働いている保育園ではどうだろう?

一斉保育という形だけれども

何かに誘うとき、どう声をかけてるかな?

どのタイミングで誘ってるかな?と振り返ってみたら…

その子の遊びが途切れたタイミングだったり、

他の子の遊びを遮らないように…って気を付けてたりしてたなぁと。←認識してなかったなぁ。。。

一人一人に、その子の時間の流れ、遊びの流れがあって

それが、全体の流れになっていて、その時間が成り立っている。

私も一緒に遊ぶこともあれば、子供たちが遊び込み始めたら、自分はフェードアウトすることもある。手を出さずに見守る。

必要なときに必要な分だけ…

入り込みすぎてしまうこともあるけれど😅

けど、流れを止めることが必要な場面もある。

危険が伴う場合とか、これは話し合いがいるなーって時とか。

今まで認識してなかったけれど

「流れ」っていうものは、ちゃんと感じ取っていたのかもしれないなぁと感じた。空気感みたいなものというか。

ザワザワしてるように感じるときは、身体を動かす時間を作るようにしたり、

ゆったりしてるように感じるときは、製作とか、落ち着いてできる遊びの時間にしたり、

その日、その時々で、流れや活動の順番を変えてみたり…。

感じ取ってるんだなあ。

保育に限らず

どんな仕事、どんな場面でも

空気感や流れのようなものって、感じ取ってると思う。

一つ一つ認識してみたら…

また、見方も変わるのかなぁ。。。




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