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逃げるという選択肢


タイトルの画像は友達に頂いた「富士山アルフォート」

いつもの船の絵だけでなくて、富士山の絵のものもあった。

芸術だよねぇ。綺麗。

そんな富士山アルフォートを味わいながら、

今日はとあることから「逃げる」という選択をした。

たまに自分の中に湧き上がってくる「逃げたい」という衝動を、そのまま叶えたというか。

こういう時って、自分の中で一杯一杯だったり、限界一歩点前だったりする。

けど、今までより、限界を感じるのが早くなったような氣もする。

頑張ればできるのだけど、頑張ることが嫌になってしまったというか。

あーあ、やってらんない・・・

そんな感じで逃げた。

過去にも、似たようなことがあって、その時に話した方に

「そんなことやってたら、信用なくすよ。少なくとも、自分はあなたのことをそういう人間だと思ってしまう。」

と言われたことを思い出した。

で、そう思われて、信用を無くした・・・ことがあったのだけど

そのことをぼんやり思い出しながら、

誰かに理解されたかったけれど、誰にも理解されなくてもいいかな。。。って思っている自分にも氣がついた。

理解してくれたら嬉しいけれど、そうでなくてもいいか。

今までは、そういう自分を肯定したくて、理解して欲しくて、たくさんの理由を挙げてきたけれど

誰にも理解されなくても、自分が自分のことをわかっていたらいいかな。

わかってもらおうとすることにエネルギーをかけることに疲れた。。。

そう思っていたら、

ただ単に寄り添ってくれる方がいた。←本当にありがたいなと思った。

「逃げる」という選択肢を選んでも、起こっている出来事って何も変わらない。

けど、「自分は逃げている」って自覚を持って逃げることで、向き合う角度が変わったり、

少しだけでも離れることで、氣分を変えて向き合うこともできるって思ってる。

だから、私は、「逃げる」っていう選択肢って、アリだと思ってるし、大事だとも思ってて。

逃げたことで、物事の関わり方をもう一度見つめ直すこともできたし

自分のペースで関わることもできた。

誰にもわかってもらえなくても、その物事と無理のない関わりができるように、色々と整えようって思うこともできた。

手段って色々あるんだなぁとか。

どういう時にストレスを感じたり、感じなかったりするのかとか、そんなことも思ったり。

「逃げたこと」が、今日はとても実りのある時間だった。

向き合うことの方が多い私ですが、逃げると言う選択肢が、向き合うことと対等にあってもいいと思う。




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