恵方参り、御礼参り
今日は、木華佐久耶比咩(このはなさくやひめ)神社に行って来ました。
今年の我が家からの恵方。恵方参りに行こうと思っていたら祖父が亡くなり、なんとなく四十九日が終わるまでは・・・と控えていました。
先日、四十九日を終えた。
そして、恵方でもあるけれど、一年半くらい前に、ここに来て、その頃始めたことに対して、「見守っててください」とお願いしたことがあって、それが一区切りしたこともあり、御礼とご報告も兼ねて行くことにした。
気持ちのいい神社です。
奥の院に行くには、この山道を20分くらい歩く。
椿が落ちてて綺麗だったり、横をトカゲがこそこそ歩くのが見えたり。
自然の落ち葉や土を足の裏に感じながら、登っていきました。
前回来た時は曇っていてわからなかったけど、晴れてると、奥の院からは瀬戸内海が見えるんだな。
気持ちよかった。
前に来た時に始めたことは、手放す流れになった。見守っていてくれてありがとうございました。報告と御礼。
奥の院に上がる前に引いたおみくじを見る。
今年は大きなものを2つ手放すことになるよ、大好きなものだったり、天職だと思うものだったり・・・と、今年の流れを教えてくれた方の言葉を思い出した。
確かに、手放したものは、本当に大好きだったもの。愛してやまないって思ったもの。そこに関わる場も、大好きだった。一つ手放したと思っていたら、結果、二つ手放していたんだよな。
だから、私の場合は、お仕事は手放すものではないようです。おみくじを見て思う。
というか、実際、一度手放した時に、もう一度、ご縁が繋がるなら、死ぬまでやりますって誓ったしな。
手放した時に、受け持ってた子供にも言われたしな「保育園の先生はやめないで」「みんなを守る先生でいてください」って。
それに、「先生の保育が大好きでした」「先生が子供と向き合う姿が大好きです」「先生が子供たちとピアノ弾いて楽しんでる光景が大好きです」と、同僚やら上司やら、保育に関わる人たちに言われる言葉だったりする。
約束したでしょ?って神様に言われた気がした。
手放しませんから、見守っていてください。と、今度はお願いしてきました。
今、大好きで学んでいることも、保育に通ずるものがある。私が保育で大事にしたいことが、大きくなってどう繋がるかっていうことが、なんとなくわかってきた。だからこそ、育みたいものがある。
大切にしたい在り方。大切にしたい思い。育んできたもの。
身を縮めて、謙虚にさせていただく。
桜もちらほら。
しばらくは、私もしゃがむ時期なのではないかな・・・そんな風に思ったことがあった。
いろいろと吹き荒れることがあるかもしれないなと感じることがあった。
けど、そう思う時こそ、一つ一つの物事を丁寧に見て、丁寧に対処していくことが大事だと思う。相手がどんな目線で物事を捉えてるか知ること。そのためにしっかり聞くこと。聞くためには、自分の考えを一旦傍に置くこと。
その上で、自分はどうしたいのか?しっかり土台を整えていくこと。慎重に、丁寧に。
腐らないこと、不貞腐れないこと。
こういう時期って、自分の粘り強さというか、根性というか、底力というか、そういうことを試される気がするし、そこが育つ気がする。
頑張るから、見守っててください。
大好きなこと。
もちろん、楽しいことばかりじゃない。苦しいことだってある。
けど、どっちもあるのが人間界だから。
その中から、自分は、楽しさを見出したい。
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