自己肯定
去年から、藤本さきこさんの「設定変更手帳」を使っている。
私にとっては、自分の思い込みを外すきっかけにもなっている手帳で、もっと簡単に生きてもいいんだなと思えたきっかけになったり、夢を叶えることが簡単になるきっかけになった手帳でもある。
たまたま今日のページに
「私が意味する「自己肯定」とは、ただ自分の事を淡々と見る事です」
という一文があった。
今までも、事実と感情を切り分けて、自分の事をみてきたつもりだったのだけど、最近は、くらげ体操や、雑巾がけワークで、今日の身体の状態をただ感じてみたり、身体の動きを一つ一つ認識したりすることが、「私はこうである」という事実を見ることに繋がってるなと思っていたのだけど、
「ただ自分の事を淡々と見る事」=「自己肯定」
という方程式が何だか私の中でも出来上がった感じだった。
「できている自分をみる」前はこれが自分を肯定する事だと思っていたのだけど、できている自分の裏側に、できていない自分もいる。自己肯定と自己否定が何だか一緒にいる感じに思えていた。できない自分を認めない感じは、やっぱり自分はダメだなってどこか思えていたのだけど。
今の自分を淡々と感じる、今、この瞬間の身体の状態をただただ認識する、
「あ、今の自分はこうなんだな」「あ、今、こういう感じに変化したな」
いいとか悪いとかではなく、起こっている今をどこまでも感じていくこと。
結果、「ある」という事実でいっぱいになる。
それが、肯定する事なんだと、身体を通して思っていたので、さきこさんのこの一文が自分の中にスッと入ってきた感じがした。
いいも悪いも挟まずに、ただただみていく。
自己肯定って、ただ、この瞬間生きていることを感じる事なのかもしれないなと思う。
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