対等に扱うということ②

この記事の続きになります。

この、ノートに書くことは、自分の学びのグループでやっているのですが、

自分の行動が、どれも対等だなって思えたのは、仲間の投稿からも感じることができました。本当にありがたい存在です。いやはや。

で・・

そんな、どんな行動や、感情、出来事も対等って思えたことが大きくて、

嬉しいも悲しいも、同じように扱っていいんだよなって、思えるようになってきたのです。どっちも同じ、自分の中に湧いた感情だから。

なので、ネガティブが、私の中から消えているのですが(笑)

同じように、ポジティブも私の中から消えているような気がしています。

そんな時、くらげ先生にメールをした時の返答を思い出しました。

「その時のその状態が現在地だから、どんな状態でもいいんですよ。」

スマホが壊れて全部消えてしまったのですが、ちょっと悩んでたことに対してこんな感じの返答をいただいたことがあって。

私の今までの傾向は、誰かに会う時や仕事の時って、必ずいい状態でっていうことを大切にしていたので、自分を整えることってすごく頑張っていた。

だけど、最近は、自分の身体の波、変化、状態を認識するようになり、整った状態で始めるのではなく、今の状態を認識してから物事を始めるようになってきた。大きな行事などは、現在地を確認してから、整えていくこともするのだけど。

どうしても整わない時もあるし、自分の最高の状態を常に再現しようとするとやっぱり無理があったりすることもあって、限界を感じていた。

体力の限界というより、考え方の限界というか。そんな感じ。

けど、仕事って、整いきらなくても、気がついたら乗ってきていたり、今日はしんどいなぁって思いながら行っても、結果、周りの先生の元気な声に引っ張られて自分も元気になっていたり。誰かのご機嫌な行動を見ていると、自分も体が軽くなったり。

素直に「今日はせんせー眠たいんよー。疲れてるんよー」というと、子供たちが「寝てていいよー」「寝ちゃダメー」「起きてー」「あそぼー」って言ってくれる、その声に元気をもらうこともたくさんある(笑)

自分の現在地を認識するだけで、整えなくても、結果、整ってると思える状態になっていることもある。

それに、どんな状態からでも始めていいって思えるようになってきた。

なので、コンディションの波の幅がなくなってきた感覚があって、

エネルギーが切れない感覚もある。

ポジティブなエネルギーがいいって思っていたけど、それが強すぎるときついこともたくさんあって、だからこそ、言えないことや、悩んだり迷ったりしていることが相談できなかったり、相手に見せれない部分があって、自分を演じたりすることが増えたりする。

ネガティブなエネルギーっていけないって思っていたけど、そこを丁寧に紐解いていくと、埋もれていた本音が見つかってキラッと輝く瞬間があるし、それが見つかると勝手にエネルギーって上がる。

だから、ニュートラルが大事なのかな。

そんな風にも思えている。

一見、ネガティブにも見える変化があったとしても、そこを「変化した」とだけ認識する。現在地から一歩でも動いたら、マイナスだろうがプラスだろうが進歩だと思う。その進歩が、どう変化していくかって、その時、その時で違うから。伸びたいように伸ばす。物事にはいい面も悪い面もあるから、そのままでいいのかも。

で、このノートに書くことって、くらげ体操もなのだけど、全く「頑張った」っていう手応えがない。なのに、気付きも進化も半端ない。

頑張らなくていい、これも、エネルギーが切れない秘訣なのかもしれない。

なので、頑張ることに対して、めっちゃしんどくなってしまっている自分を最近は毎日感じているところです。←頑張ってしないと・・・なことって、やりたくないことだったりするのもわかってきたしな。

どんな行動も感情も思考も対等。

好みはあるけど。

そんな感じに思っています。



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