見出し画像

他人と比較する沼に沈んだとき、戻ってくる方法

他人と比較しはじめたときが、不幸のはじまりだ。

自分より幸せそうに楽しそうに恵まれた状況にいる人をインスタで眺めたりしたもんなら、即座にガシガシとメンタルは削られていく。

あぁこの美男美女カップルは結婚して、子供も生まれて、なんだかおしゃれなお店で乾杯して、さぞ幸せなのだろうと思う。仕事もうまくいってそうだし、なんだかスゴい人と一緒にいたり、自由に過ごしている様子が見て取れる。

そんなものを見てメンタルが削られた後は、「あぁ、それに比べて自分は…」と自己嫌悪に陥ったりする。

自己嫌悪の沼に落ちていく

そこから派生して違うことを思い出して、

「あぁ、あのとき、あんなふうにしなければよかった」とか、

「なんで、あのとき、ああいうことを言ってしまったんだろう」とか、

「あぁ、あのとき、ああ言っていればよかった」とか、

負のループがぐるぐると渦巻いて勝手に沼に沈んでいく。

そうして、ある程度の妄想タイムが過ぎた頃に、気もすんだのか「切り替え」をはじめる自分がいる。

さて、この他人との比較で自己嫌悪蟻地獄から、どうやって抜け出して元の世界に戻っていくのか。

1つは「足るを知る」という言葉を思い出すようにしている。あー、そんなの知ってるよと思うかもしれませんが、僕の個人的な解釈も読んでみてもらうと、違う視点でとらえられるんじゃないかなーと思う。

もう1つは「正負の法則」を思い出すようにもしている。これも知ってる人がいるかもしれないけど、まぁ続きを読んでみてください。

沼から戻ってくる方法その1

まずは「足るを知る」についてだが、おそらく多くの人が抱いているイメージは「いまあるもので足りていると思いましょう。いますでにあるものに感謝しましょう。」という話だと思う。

だけど、そんなことを言うと「何言ってんの?ぜんぜん足りてないんですけどー!」と言う人も出てきそうだ。

たしかに今月の支払いは足りてないかもしれないし、仕事が上手くいっていなかったり、好きなあの人に振り向いてもらえなかったりということはあるかもしれない。

「なにやってんだろうな、自分は」が、一番の毒。

自分で自分を攻撃する代表的なフレーズが「あー、自分は何やってんだろう」というもの。まぁ別に思う分にはいい。それを思わないようにしようなんて思わなくていい。てか、思うものは、思う。仕方ない。

で、そこで僕がイメージするのは、もう1つか2つ、上のレイヤーの世界から見た視点。

神さまとかお天道様とか、そういう存在がドラマのシナリオみたいなものを書いてて、物語の展開的に、「よし、いったんここで落ち込む感じにしておこう」と書いている的な設定。

なので、そう思っちゃうのは、しょーがない。そう思うように設定してるんだから。

「あーあ、今日はなんにもしないで終わっちゃったな」とか「ぜんぜん何も進まなかったな」とか、そういう自己嫌悪や後悔が湧き上がるのは、

次に進むためのキッカケになるので、「いま、ここで、そうやって思うタイミングになってんだろうな」と考える。

その物語にどっぷりと入り込んでいる状態からふわ〜っと上空に抜けてって、脚本家の視点みたいなところに行ってみたりする。

そうすると、ちょっと引いた視点になって、「ま、こういう展開が、いま来てるってだけだな。」とか思ったりする。

ちなみに「足るを知る」というのは、「求めちゃいけない」ってことではない。べつに求めたっていい。おいしいもの食べたいとか、モテたいとか、旅行に行きたいとか、思えばいい。

でも、それを思ったあとに、いまあるものにも目を向けてみたりもすることで、見ることを忘れていた「あたりまえのもの」を意識するようなことを儀式的にでもいいからやってみる。それで心のバランスをとったりする。

参考になるのは、この本。僕が仕事で忙しくなって、友達と遊んでいるときにも妙に焦っているような変な状態になってた頃に、友人がプレゼントしてくれた本。おかげで少し冷静になれた。


戻ってくる方法その2

もう1つは「正負の法則」。

これは美輪明宏さんの書籍のタイトルで、どんなに良いことがあっても、どんなに最悪のことが起きても、なんだかんだで人生はプラスマイナスで帳尻が合うようになってる、というお話。

一見すると、華やかで幸せそうに見えるあの人も、誰にも言えない悩みを抱えているかもしれない。本当は悩みを抱えているけど、それを隠して、キラキラを一生懸命がんばっているのかもしれない。

中島美嘉が実は抱えていた苦難

この前たまたま見た「MUSIC BLOOD」という音楽番組で、僕が昔から好きな中島美嘉が出ていたので見ていたら、思わぬ話が出てきた。

歌手として第一線で活躍していた中島美嘉だが、突如、耳管開放症という耳の病気になり、活動休止を余儀なくされた。しかし、その半年後に復帰。LIVEなども再開していたが、実はそのとき、耳の病気は完治していなかったという。

耳管開放症というものが、どういう状態かを表現するたとえとして「飛行機に乗ったり、トンネルに入ったときに、耳がボワーってなるじゃないですか。あれがずっと続いている感じ。」と話していた。よくそんな状態で歌っていたもんだ。でも、外からはプロとして見られるので、言い訳をせず舞台に立っていた。その苦しさは、相当なものだっただろう。

「だから、自分の声がちゃんとわからなくて、音をハズしているのかどうかがわからない。それでも歌っていました。」と語っていたが、「実は、最近なぜか急に治ったんです」と。

15年もの間、人知れず病と闘っていたが、2020年にコロナがあり、休養する時間もあったせいか、ある日ボコッと治ったという。「今は、自分の声がわかって、音をハズしているのがわかるのがうれしい。歌っていることが本当に楽しいです。」と語っていたその姿は、本当にうれしそうだった。

どんなに華やかに見えても、どんなに幸せに見えても、その奥には何かを抱えているのかもしれない。それは本人にしかわからない苦しみで、周りには言わないようにしているのかもしれない。

そんなこともあると思うと、誰かがいくらキラキラとしていたり、うらやましい状況にあるように見えたとしても、それを過度にうらやましく思いすぎたり、憧れ過ぎたり、妬みすぎたりすることなく、

自分は自分の世界を、どう満たしていくのか?自分のまわりの世界から、おもしろいこと、たのしいこと、幸せだと思える要素を見つけるのか?

そういう切り替えをすることで、他人との比較で陥る自己嫌悪の沼からは抜け出せるんじゃないかと思う。

というわけで今日は、自分が実際に沼に落ちていって、そういえばこういう発想の転換とか、思考回路で、元の世界に戻ってきてるなーと思ったので、それをそのまんま書いてみました。

(『書く習慣』#1ヶ月書くチャレンジ、21記事目。)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?