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安楽死に関する現在の個人的見解

こんばんは。くらげです。

昨日、身体が徐々に動かなくなる難病であるALSの女性に薬物を投与して殺害した疑いで、医者二名が逮捕されるという事件が起こった。この件でにわかに「安楽死」の話題が盛り上がり、「安楽死」の議論を行わなければいけない、という政治家のツイートもあった。

これまでも政治家が「安楽死について議論をしよう」ということは多かったのだけど、今のところ「どの方向性で議論するか」ということですら取りまとめることすらそうそう簡単ではない。また、少なくとも今回の「嘱託殺人」を以て議論を進めるのは、安楽死を認めるかどうか、以前に「殺人の肯定するかしないか」のような明後日の方向に行く危険性が高い気がしてならない。

この件に関しては舩後靖彦議員の声明に勝るものはないと思うのだけど、蛇足ながら私の意見もちょっとだけ書いておきたい。

いきなり私事になるのだが、私の両親の仲人をつとめた叶内立郎氏は平成5年にALSを発症して、徐々に身体が動かなくなっていった。最期には小指と目がわずかに動くのみの状態となって、平成17年1月にご逝去された。

私も子供の頃に叶内氏とは何度かお会いしているのだが、無数の管に繋がれてベッドに横たわり、奥様が持つ文字盤を必死に汗を流しながら目で追いながら話をする姿は正直「いたたまれない」ほどに悲惨といえる状態であった。ALS患者を身近にした方ほど「楽にしてあげたい」と願ってしまう気持ちは痛いほど理解できる。

しかし、叶内氏はその身体になっても、日本ALS協会の副会長を長らく務め、ALSの啓発運動に取り組んで来た方である。日本で初めて国会議員にALS患者が自ら要望書を手渡した一人であり、「徹子の部屋」に出演されたこともある。最期の頃は小指だけで操作できるPCを用いて、死ぬ直前まで他のALS患者を励ます手紙を書き続けた、と聞いている。私が「この人は死んだほうがマシなのではないか」という気持ちをもったちょうどその時、叶内氏は人生の中で最も生命を懸けた活動をされていたのである。

その意味を理解できたのは30歳も過ぎた頃だ。その頃、私は病気で仕事をやめ失意のどん底にあって様々な救いを求めてさまよっていた時期なのだけど、ふとしたきっかけで叶内氏の業績を知って、「人間はどんな姿や状態になろうとも、できることはあるのだ」ということを叶内氏は全身全霊で伝えてくれていたことを知った。だから、私も障害があろうとなかろうと、「伝えたい」ということを持てば生きていけるはず、と考えたことが私が復活できた理由の一つである。

だけど、この叶内氏もALSを発症した当時は「もう自分に意味はない。死んでしまいたい」とずっと悩んでおられたそうだ。私は難聴とADHDがあるが、「それだけ」でも死を願わずにはいられないほど辛かった日々もある。その何十倍もの不安と絶望を感じていたに違いない。叶内氏はそこから何年もかけて「自分の生きる意味」を見出して、精力的にALSの理解啓発のための活動を行い始めた。しかし、「死んだほうがマシだという理由で安楽死を選べる」という社会だったら、叶内氏の「最期」はだいぶ変わっていたかもしれない。

もちろん、ALS患者も様々で、舩後靖彦氏や叶内立郎氏のように「強くあれる」人が全員ではない。それでも、「死にたい」というときに「では、死んでいいですよ」という「救いの手」をさっと出す社会になったとき、ALS患者に限らず、追い込まれた人が本来持っているはずの能力を活かせず、苦境を見つめた先の成長の機会を詰んでしまうことにならないか、という危惧を私はもっている。

ALS患者が「死にたい」と叫ぶとき、社会は「死ななくていいようにケアします」と答えるのが社会の責務ではないのか。もし、万が一、安楽死が合法化されるときも、「死にたい」という声に対して行政や医療関係者は「だが、死んではならぬ」と反論し続け、ケアや対話を最大限に続け、その果に「死ぬこと」を納得して選ぶなら安楽死にたどり着ける、くらいのハードルの高さでいいのではないか、と思うのだ。少なくとも、「生きる」と「死ぬ」を等しい価値として提示することは、絶対にやってはならないことである。

たぶん、私がALSを発症するとき、間違いなく「死にたい」とは思うはずだ。だけども、簡単に死ねるとしたら「それもなにか違うな」と感じるだろう。だけども、ソレに加えて「迷惑だから」「カネがかかるから」という圧力を感じたとき、素直に「生きたい」と言えるのか、それは自由意思と言えるのか。自分の意志で死を選択したと言えるのだろうか。

「死が救い」になることは確かに多いのだけど、それは最後の最後の選択肢であり、死による救いがあることを「前提」にすることは、ただの自殺の推進でしかない。そうではなくて、行政や医療、政治や地域、友人知人が「死んではならないし死なないために全力を尽くす」という方向性で努力をしてはじめて「安楽死」というものが認められるはずだ。その努力を省くための手法として「安楽死」が使われることを、私は最も恐ろしいことだと思う。

社会は常に「死ぬな」ということを建前としても言い続けなければならない。そうでなければこの国で「生きる」ということはただただ「死んでもよい人間ではない」という浅いく荒々しいものになるのではないか。「死にたい」という声の意味を受け止めない社会になるのではないか。そこにどんな「哲学」があるというのだろうか。

雑な安楽死の議論は「死を見つめた先にある可能性」をすべて排除しがちになる。絶望と苦痛を味わった末に見いだせる人もいるのではないか。死んだほうがマシだと感じながら生きるのは地獄であるけども、死んだほうマシで、その先の未来をすべて断っていいのか。そういうことを叶内氏の姿を思い返しつつ、ぐるぐると答えの出ないことを考え続けている。

妻のあおががてんかん再発とか体調の悪化とかで仕事をやめることになりました。障害者の自分で妻一人養うことはかなり厳しいのでコンテンツがオモシロかったらサポートしていただけると全裸で土下座マシンになります。