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車を買うこと/おとなになること/愛する人を運ぶこと

現在、目の前に軽バンのローンの契約書がある。駐車場の地図だとか、引き落とし口座の手続きの紙とか、委任状などは全部書き終えたから、最後に印鑑を押してしまえば、2月中には中古の軽バンが今借りている駐車場に配送されるはずだ。

契約の確認も終わっているし、審査も多分全部終わっているから話は全て済んでいる。この契約書はほとんど形式的なものに過ぎない。だけども、最後のこの一押しがなかなかできないでいる。

それは「これまでの人生で一番高い買い物」になるものだから怯んでいる、というのもあるのだけど、それ以上に「おとなになるステップ」を踏むんだな、という恐怖みたいなのが、実は、ある。

私は36歳の男性で、今更「おとなになる」もなにもない、どこにだしても恥ずかしくないオッサンだ。髪に白いものが目立ってきたし、気がついたらヒゲにも白いものが混じってきた。ちょっと走ればすぐに息が切れて、強度近視のくせに老眼まで混じってきたいる。もう「おとな」を通り越して老化を隠しきれない、どこにでもいるオッサンだ。だけども、オッサンはオッサンなりに子どもの部分もあるし、人間はいつだって成長するものなので、おとなになるのは、ちょっとだけ怖い。

日本の田舎の最大のイニシエーションは「大学受験」でも「成人式」でも「就職」でもなくて「運転免許を取得すること」なんじゃないだろうか、と思うことがある。私は山形県の田舎の出身で、例にもれず、18歳になって初めての夏に短大の夏休みの帰省を利用して自動車の免許を取得した。そのお金は親が出してくれたにしても、免許を取得することになんの疑問も抱かなかった。それくらい、「当たり前に取得する」ものだったのだ。

ただ、私は極度の不器用で、MT免許を取得するのはとても大変だった。自動車学校に通っていた夏は、田舎の恐ろしいほど澄み切った青い空がずっと続いていてとても暑かったのだけども、教習車に乗っていた私が汗でびっしょりだったのは気温のせいではなくて、緊張と恐怖が続いていたからに違いなかった。

なんとか1回も不合格にならず免許は取得できたのだけど、仮免許の間、私の運転に同乗した家族からは「よく免許取得できたね…」と言われたくらいにギリギリのお情けで卒業させてくれたんだと思う。でも、免許を取れたこと自体はとても誇らしかった。なにか、自分が一つ「おとな」になれたと感じていた。

ただ、その後は実家にあまり帰らないこともあって、車の運転に慣れることはなかった。学生時代は原付バイクを運転していたのだけど、短大を卒業してからはずっと都内のアパートに住んでからは自転車すら持たない生活だった。

車を持つ余裕もスペースもないし、そもそも都内では車は不便だし、公共機関があればどこまでも行けるし、ということで特に車を欲しいとは思わなかった。いや、本当は欲しかっあのだけど、お金もなかったし、この頃になるとADHDの診断がおりたこともあって、なにかあったらすぐに事故を起こすんじゃないか、と恐怖で車を欲しい気持ちを封じていた。学生の頃、よく読んでいたクルマ雑誌も読まなくなった。

話はちょっと変わるのだけど、「おとなになれてないな」という思いはずっと抱えたまま生きてきている。聴覚障害やADHDがあることで、誰もが出来ることができないことが多いし、結婚はしているけど、子どもを作るのは妻の健康上の問題で諦めている。「おとなになりそこねた」大人なのだ。

もちろん、なにもかもができて、子どもがいたって、「おとな」になれるとは限らない。だけども、どこか「おとなになる資格」がないんじゃないか、という劣等感のようなものは、梅雨時の雨雲のごとく、重苦しく心に覆いかぶさっている。

そんな私が車を手に入れよう、と決意したのは、今年の6月のことだ。妻は体調がかなり良くなく、その状態は年々悪化していて月2回も救急車で搬送されたことがある。日本の保険制度は本当によくできていて、医療費で即死、ということはないのだけども、その都度の出費は馬鹿にならない。特に、タクシー代が簡単に万を超えてしまうし、病院から帰ろうとしても時間帯によってはタクシーが捕まらないことも少なくない。本当につらい時期だった。

そういう問題を知人に愚痴ったら、それは覚悟して車を買うしかないんじゃないか、とアドバイスされた。本当に妻の通院で疲弊していた私は、下手にタクシーを使うよりも車を使ったほうがまだマシ!と、勢いでカーシェアリングサービスに登録した。事故の恐怖よりも切実感が勝ったのだ。

その会員証のカードが届いた日の夜、恐る恐るそろそろと郊外にあるカーシェアリングの車が老いてある場所に向かった。スズキのソリオというコンパクトカーがそこにはあった。

実家にあった車はMT車だったので、AT車をまともに運転するのは初めてで、You Tubeでチャックした通りに、エンジンをかけた。およそ13年ぶりに自分でかけたエンジンの鼓動は静かなものだったけど、心臓の鼓動はドクンドクと大きくなっていた。とりあえずシフトレバーをDレンジに入れて、なんとか探しだしたサイドブレーキを解除し、強く踏みつけていたブレーキをゆるめたら、ソリオはするーっと動きだした。

MTだと1速に入れて半クラッチをして…という動作が必要だと思うんだけど、そういう過程をすっ飛ばして、おもちゃのように簡単に動いてしまうことに、2020年にびっくりしてしまった。

この日は、1時間くらいゆっくり近所を走ってみた。そして、翌日は30分ほどかけて隣の街まで行った。1ヶ月後は、大通りを通って水族館まで行ってみた。10月には、1泊2日で房総半島の端の方にある館山市まで高速道路を使って小旅行にでかけた。メキメキと自信がついてきた。

もちろん、事故りそうになるときはあるのだけど、ADHDの治療薬を飲んでいたせいか、自分の特性をいくらかは理解したせいか、18歳の自分より、明らかに「安全に」運転できている自覚はある。それに、185cmという体格をフルに活かして運転すると、意外と楽であることにも気づいた。もちろん、油断はできないのだけども、少しずつ運転が楽しくなってきた。

もちろん、妻の通院にもカーシェアリングサービスを使うようになった。これまで、妻と一緒に行動するときは、いろいろ気を使って本当に疲弊していたのだけど、車を使えるようになってからは一気にそのストレスから開放された。これだけでもお金に代えがたい価値があった。これが「移動の自由か」と感じた。

でも、一番の収穫というか驚きは、妻が自分から外出したい、と言い出したことだ。3年ほど前にてんかんが再発してからほとんど自分から外に出たい、ということはなくなった。いや、実際には色んな所に行きたいねとは言っていたのだけど、私が「そのうちね」とか「元気になったらね」とかはぐらかしているうちに、色々諦めてしまったのだと思う。

車が使えれば、とりあえず車に乗せてしまえば目的地に行くことは出来る、という安心感は、私にとっても、妻と一緒にあちこちに行く意欲を取り戻すきっかけになった。それと同時に、自分の言動が妻を抑圧していた事に気づいて、とても後悔している。

昔、親は家族を乗せて運転することが大変じゃないか。運転なんてしないで済むならそっちのほうが楽なんじゃないか、と思っていた。だけど、いざ自分で運転してみると、愛する人を乗せて運転することは、とても心地よいことだと知った。助手席にちょこんと座った妻が驚かないように、静かに運転することが何となく楽しい。これが「責任感か」と改めて気づく。

車を運転することは、原付を飛ばすのとは全く違う重さがあるのだけど、これは同乗者の命の重さなのだろう。こういう「重み」に気づくことが、おそらく私の「おとな」になっていく過程なのだと思う。

車を買う、と決めたのは、運転する時間が長くなったのと、やはり、カーシェアリングサービスやレンタカーでは車がすぐに手配できない時間があることで、病気やパニックが来る時間は選べない。そういう時間を極力なくすために、なんとかお金を工面する覚悟が決まったからだ。

事故がおきるかもしれない。運転が面倒なときもあるだろう。だけども、それでも、妻と生きる上では、車は欠かせないツールである、とわかった以上はすぐに使えるようにしておきたい。自分のためではなく、妻のために。愛する人が、すこしでも楽になれるように。そう思えることも、少しは「おとな」になることなんじゃないかと思う。

「おとな」になるとは、責任を負う覚悟をすることと、他人のために自分の人生を捧げてもいいと思うこと。この2つが肝要なのかもしれない。そして、運転する、ということは、この2つを強く意識することなのだろう。だから、へっぽこな私は「おとなになること」にちょっと及び腰なのだ。その重みが、印鑑のあと一押しを躊躇わせている。

ところで、これまで持っていたコートは運転中は袖口などがちょっと邪魔なので、ドライブ用のブルゾンを買った。これを着ていたら、妻が「それ、あんたのお父さんそっくりだね」と言ってきた。どういうことかと聞いたら、私が子供の頃のアルバムに写っている親父も、似たようなブルゾンを着て車を運転していた。確かに、記憶にある親父の運転姿はいつもブルゾンを着ている。だけど、妻にそれを指摘されるまで、親父の運転姿なんて意識にも上らなかった。

妻は「なんやかんや言っても、あんたはあんたのお父さんの子なんだね」と笑った。私は「親父ほど運転がうまくなればいいんだけどな」と苦笑するしかなかった。

「おとな」になりそこねたまま36歳になってしまった私だけど。それでも、無意識に親父の姿をトレースしてしまうくらいには、私は「おとな」になりたかったのかもしれない。もちろん、車を買えたら「おとな」になれるわけではないのだけど。

それでも、なれなかった「おとな」になっていく。

ちょっとの怖さとともに、朱肉と印鑑を取り出す。この文章を書き終えたら、最後の一押しを、「おとな」になる覚悟とともに押そう。この「おとなになるまえのわたし」をここに残して。

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妻のあおががてんかん再発とか体調の悪化とかで仕事をやめることになりました。障害者の自分で妻一人養うことはかなり厳しいのでコンテンツがオモシロかったらサポートしていただけると全裸で土下座マシンになります。