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くらげの2019年台風19号顛末書

はじめに

令和元年10月12日、静岡に上陸した台風19号は関東一円から東北を襲い、甚大な被害を及ぼしました。(15日現在でも被害の全貌は明らかになっていません)

この台風では「もしかして無事に生き延びられないのでは?」という不安があったこともあり、結構メモを残していました。そこで、障害者世帯である我々がどのような行動をとったか、始末記として残しておきます。

10月6日(日)

マリアナ諸島の東海上で台風19号が発生。今年の台風はずいぶん遅くまで発生するんだなぁ、と割とのんきに見ていた。

10月7日(月)

超大型台風が関東地方上陸の可能性があるという報道を把握。台風が接近するとなぜか体調が悪くなる我々はこの時点で歯や関節の痛み、吐き気などに悩まされて「今回の台風はやばいのではないか」という認識に至る。

10月10日(木)

午前中には三連休に「非常に強い勢力」を維持したまま関東に直撃することがほぼ確定。江戸川区危機管理室から「えどがわメールニュース 」にて注意喚起の第一報が来る。そろそろ本気でやべぇなぁ感がでる。

ツイッターで「雨戸がない窓は養生テープで補強しておけ」という話題が盛り上がりはじめる。また、「江戸川区が水没することで都心を守るようになっている」というツイートも同日話題になる。江戸川区で新中川の堤防が歩いて数分のところにある私涙目になる。調べてみると台風が接近する時間と満潮時が近いため、高潮が発生する可能性があると知る。

17時頃、用事から帰還して最寄り駅着。ドン・キホーテに養生テープを買いに行くも、この時点でほとんど売り切れ。布テープとクラフトテープを1巻きずつ買う。ついでに缶詰を買いに行ったら棚の隙間が目立ち始める。モバイルバッテリーと乾電池を追加購入。このあたりの人たちの危機感が高まったと感じる。

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18時頃、帰宅。東京の西側に住む弟より「夫婦でうちに避難しないか」という打診がある。あおに聞いたところ「この家から出るのは無理」「甥っ子たちに迷惑をかけたくない」と拒否。私の危機感の高まりもあって結構イライラしつつ「でも、ここ沈むかもしれないから!」「どうすればいいの!」と少し怒ってしまって、あおがパニックを起こす。めちゃくちゃ反省。

19時頃、あおが精神的になんとか落ち着く。こちらも冷静に聞いてみると「まず、避難するという変化に耐えられない」「見えないところで自分のものが消えていくと思うだけで怖い。それなら潰されて死んだほうがまし」という「変化についていけない」という理由があるとわかる。そもそも、震災の時も避難所に行けないだろうから避難用品を買ったんだな、と思い出す。

20時頃、江戸川区ハザードマップが見つかったので浸水しないであろう避難場所を確認。そもそも江戸川区内は「ここにいてはダメです」というパンフレットを作るくらいに土地が低いので本気で避難するなら江戸川区から逃げるしかない、という判断をするものの、それが無理なんだよなぁ、と話をする。

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水害が発生した場合、どのくらいまで水が上がってくるかという予測マップを調べると、おそらくこの地域では2階以上には水は来ないので、ひとまず重要なものや食料・水等を避難させて2階で籠城戦かな、という方針を立てる。それでもだめならロフト(という名の屋根裏)に逃げて、それでもだめならあきらめましょう、という覚悟を決める。

東日本大震災級の震災が東京で発生した場合、もし生き延びて、あおは「子供の声や雑音などのストレスでパニックが起きる」「人が多いところではすぐに体調を崩して自傷行為をしてしまう」などの問題があるため避難所に逃げることができないだろう、という想定から1週間はなんとかなるように準備を進めていたけど、詳細なリストを作っていなかったのと、水や食料の賞味期限を確認するために21時ごろからリストアップと整理を開始。その結果は以下の通り。

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まぁ、かなりやばくない限りなんとかなるのでは、という期待を抱いて寝る。

10月11日(金)

午前中、乾電池式の充電器とテープ類を購入できないかとドン・キホーテに行く。テープ類を売っているコーナーには無情にも完売との札が下がっていた。また、カップラーメンや水、缶詰やレトルトが飛ぶように売れていて、店員さんが補充に忙しそうだった。乾電池式の充電器も売り切れ。というか、3000円以下のモバイルバッテリーは売り切れていて、残っている5000円くらいのバッテリーを買うか買わないか悩んでいるお客さんが複数いた。(乾電池式充電器はこの後コンビニで購入)

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台風慣れしている九州の方へリストを送って「何か足りないものがありますか」とアドバイスを求めたところ、「ビニールシートとカセットボンベをあと6本は買い増ししておけ」という指示があったが、ドン・キホーテでは両方とも売り切れで、ほかの店でも完売。初動が遅かった、と反省。

ドン・キホーテでは車いすの方も複数人見かけたが、あまり重いものを多くは持てないため苦慮している感じがあった。もし、水害があった場合、2階以上に逃げられるのだろうか、水が引いても泥だらけで動けないのでは、と心配になる。このような場合、何か手伝えないだろうか、と考えるもまずは自分たちの身を守るのが優先だな、と割り切るしかない、という思いが沸き上がる。

帰宅後、雨が降る前に溜まっていた服を洗って、コインランドリーに持っていき乾燥させる。乾燥したものから数組をビニール袋に入れて避難用にする。タオル類もすぐに使うものと、保存用に分けて保存用のものは下着とともにプラスチックの保存箱にしまった。

乾燥を待ってる間はスマホで情報収集していたが、窓ガラスに養生テープを張ることはむしろ逆効果、段ボールを貼り杖けたほうがいい、というツイートが流れてきたり、逆に養生テープだけでいいという説が流れてきたり、と「情報戦」の様相が醸し出されてきた。情報の選択の大切さを感じる。

ツイッターで避難について情報交換。そういえばくらげ宅は江戸川区の災害時の要援助障害者家庭として登録していたけど、何の連絡もないしどうしたらいいかわからんな、と思い当たる。福祉避難所とかあるんだろうか?アナウンスが欲しかった。

14時ごろにコンビニ(セブンイレブン)に昼食と冷凍食品、水の買い出しに行ったところ、臨時休業のお知らせが張り出されていた。これまで同様にお知らせを見たことがなかったので、よほどやばいんだな、というのと、コンビニ業界でも意識せざるを得ないほど、「台風の時は休ませろ」という世間の声を高まっているんだな、と時代の変化を感じる。計画運休の発表もガンガン流れてくる。上陸は12日18時ごろになりそう、という予報が出る。

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18時ごろまで自宅で仕事。弟から避難の打診が再び来るも、事情を説明してことわる。「万が一があったらあんたの命だけでも助かるようにしろ」と冗談半分で言われるが、まぁ、その時はその時である、と返信。山形の両親を含めた家族グループでもいろいろと意見交換。「逃げるときは長靴を履くな。重いから走ったりできない」という見識を得る。履きつぶしていい靴を避難用に二階に持っていく。ちなみに、あおは走ることができないので、万が一のときはなぜかうちにある車いすに乗せて運ぶことを検討。

我が家は賃貸の築35年の一軒家であるため、雨戸があるんだけども、一部リフォームされたときに雨戸を外してあるところがあるため、そこを重点的に段ボールを貼り付ける。余った段ボールとテープで玄関のガラスやトイレの出窓なども補強する。

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その後、1階に置いていた仕事で使う資料や、運ぶことのできる電化製品を二階に運ぶ。保険証など医療に関するものはパッキン付きのポリ袋にひとまとめにしていつも使っているバックに突っこむ。充電が終わったPCとサブスマホなどもバックに突っこむ。

また、ツイッターで「冷凍庫に水を入れたビニール袋を複数入れておくと停電が起きても冷却される時間が長い」というテクニックを見たので、空いていたペットボトルに水を入れ、冷凍庫の隙間という隙間に差し込む。

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23時ごろに、これでだめなら何をやってもダメ、というところまで準備が終わったので、あおと順番にシャワーを浴びて、浴室に水を張って就寝する。

10月12日(土)

7時ごろ起床。すでに雨足は強まっていた。軽くご飯を食べて、眠気などの副作用が強く出るものを除いてメンタル系のお薬などを服薬する。8時頃、強い風が吹きはじめる。炊飯器でご飯を炊き、カレーを作る。換気扇を止める。

9時くらいから2階に二人で閉じこもり開始。2階にはテレビがないけど、ラジオも聞こえにくいので、以前買ったUSB型のワンセグチューナーをPCに接続する。画質はかなり悪いものも、字幕などは十分読めるために情報収集としては問題がなかった。市原市で竜巻発生で死者が発生との報。市原市、何か恨まれる呪術でもした人がいたのか?覚悟を決める。

あおが人工内耳や補聴器が水に濡れた時用のメンテナンスボックスを作るが、人工内耳用のバッテリーのうち、空気電池を交換するタイプのものが見つからず焦る。AC電源から充電するバッテリーは3本あるけど、停電すると3日も持たない計算となり、人工内耳がないと何も聞こえないので活動に限界が出てくる可能性が出てくる。落ち着いたらバッテリーボックスを発注することにする。補聴器用電池もバックに詰める。徐々に風も雨も強くなる。

11時に江戸川区から避難勧告のメールが届く。私の場所は対象にならないものも、江戸川区内で約46万人が避難対象となるという報道があった。(実際に避難したのは4万人程度らしい)避難所が続々開設されるも、小中学校やコミュニティ会館などで、家の二階より海抜が低いところがほとんどで大丈夫か?となる。この前後の江戸川区からのメールは誤字が多くて、担当者はよほど焦っていたのだろうと察する。ときおり蛍光灯がちらつき、停電の心配をする。

九州出身の方より「台風は午後遅くから本番だから一度寝て体力を残しておけ」というアドバイスをいただき、12時に一度カレーを食べて横になる。念のため、補聴器や人工内耳はつけっぱなしにした。

13時ごろ起床。このころからガンガンエリアメールが届いてやかましくなる。早めに昼寝をしておいて正解だった。あおの実家近くでも避難所が開設されたものも、避難所が満員で入れないという事態が発生した模様。(江戸川区では満員になったかどうかは不明)ニュースを眺めつつ「アンゴルモア」を読み始めたら「戦うぞー」というテンションになる。あおにやかましい、と怒られる。江戸川区の河川監視カメラを時々見る。それほど問題はないようだった。

16時頃から徐々に各地の氾濫警報や被害の情報が入り始める。私たちの体調も非常に悪くなりはじめる。「備える余裕のあった3.11」というツイートを見てなぜかツボに入って笑うなどと。わりと命の危機を感じる雨と風になってくる。

16時半ごろの気象庁の記者会見では手話通訳者も一緒に放送される。気象庁に限らないけど、手話通訳者がいる会見等で手話通訳者を映さないのは問題だと思っている。情報保障の面でも、コストの面でも。城山ダムが緊急放流をするとのことで緊急放流について調べる。城山ダムが緊急放流しても江戸川区には影響しないとわかったが、ほかのダムで同様なことがあったらやばい?となって水系について調べる。高校の時、地理学を取ってなかったことを後悔。

17時半頃、日没して暗くなる。これ以降の避難は無理で、家に籠城するしかないな、という覚悟を決める。カップヌードル(謎肉祭)とカレーで晩飯にする。時折、窓が「ドン」となるのでいつ窓が割れるかとひやひやする。時折家が風で大きく揺れる。エリアメールの着信音がバンバン届いて鳴り響くがあおはいたって平静。むしろ、大きな音が苦手な私が先にダウン。一時的に人工内耳などを外して休憩する。

18時21分頃、あおが「地震!?」と叫ぶ。大きな風か?と思ったらペットボトルの水が大きく揺れて地震だと分かる。30秒ほど続いたようだ。こちらは震度3だった。この数分前に「台風と地震が同時にきたらどうしたらいいか」という話をあおとしていたので不吉なことを口にしないほうがよい。この地震で地盤が緩んでいるところが崩れないだろうか、と心配になる。地震と水害が同時に来たらここは逃げ場がないな、と改めて感じる。

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19時頃、あおの実家近くの川崎市幸区で建物が水に浸かり男性が救出されるというニュース。あおに「実家大丈夫か?」と聞いたら「あの地域はいろいろ事情があって堤防の外側にある場所」という説明で、実家のほうはまだ大丈夫、とのこと。今はまだいいけど、別居している高齢の親の家が災害に巻き込まれたらどうすればいいのか、という不安もよぎる。しかし、歴史的な問題も水害に絡むのだな、となんというか歴史の重みを感じる。

19時半頃、あおの持っているスマホの気圧計が急激な低下を見せる。めまいなどがますますひどくなる。あおは歯が痛いとうめく。手元に置いておいたパック食材の蓋が膨らんでいて笑うしかない。これ、飛行機とか苦手な人耐えれないのでは、と思うがどうしようもない。ポテチの袋があったらもっと劇的に変化がわかったかもしれない。家が揺れたりバンバン鳴ることに慣れてきて「このくらいでは簡単に家は壊れないんだ」と学ぶ。次はもっと頑丈な家を借りたい。何か外で防災無線が鳴っているが当然聞こえず。

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20時頃、あおが「外でサイレンが聞こえる」と言う。おそらく消防車のサイレンで非常用ベルの音も交じっている、ということで、もしかしたら近所で火災が発生したのかも?というので、カッパと長靴で様子を見に行く。暴風でフードが飛ばされるため、人工内耳等に水がかからないように苦慮する。どこから音がするかもわからないので適当に探し回ると近くの団地に消防車と救急車が来ていた。無人の部屋から火災報知器が誤作動を起こしたらしく、火事などはなかった模様。安堵してうちに戻る。台風の中、火災が発生したらどう逃げればいいんだ、となる。

21時頃、江戸川区では洪水が発生する可能性が低いのでは、というツイートなどを見る。河川カメラなどを見てもそれほど危機を感じない程度。むしろ、多摩川方面がやばそう、という報道が多くなり、あおの実家が心配になる。大きな風が通るたびに気圧が下っているような状態。ひたすら気圧の下げ止まりを待つ。

21時半頃、台風は松戸あたりにいると聞き、そろそろピークは過ぎるかな?と思った瞬間、「ドガーン」という強風が吹く。テレビを見ると江戸川区で観測史上最強の強風を観測したとのこと。後にここから結構離れた葛西方面の観測所だと分かったが、あまりの風に窓ガラスが割れる可能性がやばそう、ということで比較的風の影響を受けなさそうな1階に避難する。洪水の可能性が低くなっていたのが幸い。雨戸がない部屋から電源ケーブルや布団などをできる限り撤去。

22時頃、あおが外から異音がする、とのこと。さすがに外には行けないので音源を探ってもらったらエアコンの室外機に異常があるかも、とのことでエアコンを切る。台風の風が直接当たるところに室外機があったのが敗因。いきなり蒸し暑くなる。冷凍庫から凍らせたペットボトルにタオルをつけたもので首筋を冷やし、扇風機で湿気を紛らわす。

22時20分頃、いきなり風が和らぐ。台風の目に入ったか。一度外に出て家に被害が出そうな障害物が近隣にないか調べる。特に問題はなさそう。気圧計がついに上昇しはじめる。

23時頃、軽い吹き替えしがあったものも、危機を感じるほどではなくなる。一方で、各地で水害が相次いでいるニュースが次々と舞い込んでくる。上流の放流次第では水害が発生する可能性はあるが、とりあえず峠は越した、と判断。2階の寝室に戻って布団などを元に戻す。

24時頃、いい加減疲れたので、強めの睡眠薬以外のメンタル系の薬を飲んで寝る。一応、人工内耳等を装着して服も着ていた。

10月13日(日)

7時頃起床。人を馬鹿にしたような青空。各地で大きな被害が出ていることを知る。江戸川区はこの先も問題が起きる可能性は少ないらしい。助かったことを神に感謝する。近所を見て回っても特に被害は見受けられず。

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8時頃、窓ガラスに張り付けていた段ボールなどをはがす。効果があったかはわからないが、精神的な安堵感があったのは事実。できれば今後同じ大きさの台風に出くわしたくないけども、おそらくは地球環境の変化で台風の凶悪化が続くんだろうなぁ、という一抹の不安を覚える。江戸川区から引っ越すかどうか本気で検討する必要を感じる。余ったカレーを全部食べて食器類を洗う。水が当たり前に出ることに感謝する。

9時頃、緊張が抜けたのか体中が痛む&発熱。寝込む。今なお疲労感が抜けていない。(以上)

妻のあおががてんかん再発とか体調の悪化とかで仕事をやめることになりました。障害者の自分で妻一人養うことはかなり厳しいのでコンテンツがオモシロかったらサポートしていただけると全裸で土下座マシンになります。