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日々是くらげ4日目「ライフログはちゃんととっておいたほうがいいけどライフログでは残せない青春もある」というお話

私にはライフログを書く時期と書かない時期が交互にやってくるという悪習がある。日常的なことをこまめにメモをしたり、日記を書いたり、いわゆるジャーナルを作ったりということにのめり込んでは半年くらいで飽きるのを繰り返している。

まぁ、ライフログ自体を作るのは嫌いじゃないというか好きなのだけど、一度作り始めるとライフログを作り込むことに集中して、その時間が極端に増大して肝心の作業や活動時間が消えてしまう、という問題が発生する。それで、ある程度溜め込んだところで「なんの意味があるんだよ」と思ってやめてしまうのである。

ライフログをちゃんと作るというのは大変なので何かしらの「見返り」があってしかるべき、というか、なにかこう人生うまく行ってほしいものだけど、過去を振り返って今に活かすというのが下手すぎて、ライフログを取ってもなぁ、というへんな挫折感みたいなのが毎度くるのだけども、私は鶏並みに物忘れがひどいのでまたそぞろとライフログを取りたくもなる。というか、この日記自体がそのライフログの一つで、まぁ、人に見られないと燃えない、という変な癖があるのでその性質を利用したい、ということだ。

しかしまぁ、ライフログではないのだけど「なにかの記録」とか「書いたもの」はネット上に無数に転がっている。メールのログも膨大だし、学生時代にやっていたmixiがまだ残っていて、この前探ってみたら2004年の記事が残っていた。あとはTwitterはもう10年間ほぼ毎日投稿しているし、あちこちに書いた記事もあれば、2017年から2019年までほぼ毎日書いていたブログもある。それに、4年続けているnoteの連載では毎週冒頭にその週の出来事を書いているのでその週の主な出来事や体調はほぼさかのぼって確認することができる。そういう意味ではライフログはむしろありすぎて見返すのが不可能なほどだ。(そういえば出版した本もあった)

ただ、一方でネット上にあるものがいつまでも残るのかというともちろんそんなことはなく、ブログはサーバー代を払うのを忘れれば消えるし、Twitterやmixiやnoteもサービスを閉鎖すれば見られなくなる。そのうち、ネットに転がっているものを全部ダウンロードして、なにかのメディアに残しておきたいのだけど、あちこちにありすぎてどうしたものか、という状態である。まぁ、ダウンロードしたものをもとに半生記でも書いておけばいいかもしれないのだけど。あるいは自選傑作集とか。

それにしても、ネットの記録は消えるのは本当に早い。インターネット社会()になった頃はインターネットにアップしたものは消えないんだよ、本より長く残るんだよみたいなことを誰かが言ってきた気がするけど、今では「どうやったらネットにある情報を意味のある形で保管できるんだろう」と悩むくらいだ。生のデータは大量にあるのだけど、生のデータを使えるようにするには技術がいるし、そもそもいろんなサービスがすごいスピートで現れては滅ぼるので、そのたびに大量の情報が消えていく。情報化社会が逆に情報を使いにくくするというのも面白い皮肉だ。

とはいえ、20代のころは自分の書いたことが消えていくことになんの躊躇もなかったし、どうせ大事なことは覚えているだろう、という驕りがあったが、30代も下り坂になるとそれはとんでもない間違いだったなぁ、と後悔している。急速に物を忘れていって、自分の人生ってどんなんだっけ?とちょっと不安になることもある。まぁ、たいした人生を送っちゃいないということもあるし、もうないものはないし、サルベージできるものはサルベージしてクラウドに上げてあるのでできることはやったと思う。あとは将来、AIで分析してどんな人生だったかを書いてもらえればいいじゃないかな、とも思う。

でも、一つだけ、残しておきたかったなぁ、というコラムがある。18歳のとき、高校を卒業して短大に入る間の春休みにいまは亡きジオシティーズのサイトに投稿した一本だ。かの名曲「少年期」の「ああ 僕はどうして大人になるんだろう ああ 僕はいつごろ大人になるんだろう」というサビについて「18歳になったけど全然大人になった気がしない。自分はいつ頃大人なるんだろう」ということを書いていたはずだ。新たなる旅路への期待もあれば不安もあって、18歳という宙ぶらりんな大人でもなければ子供でも無いような自分の素直な気持ちを書いていて、書き終わったことには泣いていた記憶がある。

先日、You Tubeで懐メロを徘徊していて、久々に少年期を聞いてみた。何度聞いても「ああ 僕はどうして大人になるんだろう ああ 僕はいつごろ大人になるんだろう」のサビで無限に泣いてしまう。38歳の自分は全然大人になりきれてないし、どうして大人になったのかもわからない。でもまぁ、18歳の頃には想像もしなかった紆余曲折を経たけど人生になったけどなんとか生きています。

残るものもあれば消えるものもあるのだけど。消えても消えないものもある。そういうものこそログにしたいのだけど、ログにした途端、なにか色あせてしまいそうなこともある。そういう矛盾を抱えてるからこそ、過去はいつだって美しい物が残り続けるのかもしれない。まぁ、ちょっとたまにだけ登ってくるノスタルジーに浸る暇が、忙しいこの世の隙間にあってもいいのかもしれない。(おまけが少し続きます)

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妻のあおががてんかん再発とか体調の悪化とかで仕事をやめることになりました。障害者の自分で妻一人養うことはかなり厳しいのでコンテンツがオモシロかったらサポートしていただけると全裸で土下座マシンになります。