見出し画像

ドンゼン二周目

ドンゼンの二周目をようやく観ました!(およそ7ヶ月ぶり2回目)

最初に自分がこれまで書いたドンゼンの感想をあらかた読んだ上で観たんですが「あれ、私は過去の自分と同じ映画を本当に観てる……??」って困惑しました。感想のやつさ、あまりに妄言が過ぎるなって。自分が過去に言ってること、映画で何一つ表現されてないけど何?私は何を観てたの??夢???ってなった。

我が事ながら恐怖すら感じたのですが、でもじゃあ過去の妄言を撤回するかと言ったら……しないですね。いやだってドンゼンを額面通りに受け取っちゃうと、物語としてあまりにもチープじゃない?

タロウがいなくなって、みんな型に嵌まった生き方になって、でも型に嵌まったやり方なんてドンブラザーズらしくないしつまんないよねって確認するような映画って事になるとさ、そんなの面白くないじゃない。だって既にもうやってるもん、最序盤のスピンオフで。型に嵌まるのなんて向いてないしつまんないよねって。それを井上先生がなんの考えも無しに繰り返すとはどうしても思えないんですよね。

こんなこと言ってると井上先生の信者の人みたいにみえちゃうかもだけど、これはドンブラ限定の信頼です。特に47話から地続きの信頼。

個人的にVシネは二部構成だと思ってるんですよね。ドンゼンが上、そんでキンドンが下。両方観て初めてわかるというか、なんというか。そうじゃないと説明がつかないんじゃ無いかって。

だって一年間本編で魅せられてきた自由型トンチキの先が、型にはまるのなんて自分たちらしくないよねって再確認っていうのはよくわからないんだもの。最初からわかっていたことを映画でわざわざやる意味ないもん。でもそう見えるように作られた映画なのはそう。だからやっぱ……とんでもねぇなとは思います。マジでどんなやり口なの?

例えばドンゼンで、みんなが元の生活に戻るならまだ理解できるんですよね。タロウに会う前の生活に戻って、それはそれで幸せなんだけど、でもそれでも何かが足りないなってみんなが思ってるとか。そういうのならまだ理解できる。タロウの不在をみんなが噛み締めつつ生活してて、そんでタロウが帰ってきて、みんなでおかえりー!っていうなら、超ありがちな感じではあるけど、それはそれで纏まってはいるから。

でもなんかドンゼンって全部がちぐはぐなんですよね。まずみんなが変わってしまった理由がよくわからない。タロウの存在がそれだけ大きかったってことかもしれないんだけど、だったらタロウが帰ってきたらみんなもっと喜ぶはずじゃない?

普通に考えてタロウの不在によって変わってしまったのなら、タロウが帰ってきたことによって元に戻るはず。それが戻らないとしたら、戻らないだけの理由が提示されると思うんですよね。でも教えてくれないの、ドンゼンって。なんでお供達がドンブラザーズを辞めるのか、本来は一番物語の核になるべき事柄をね、教えてくれないの。なんでだよ。教えてよ……!!

だって視聴者が一番知りたいのって最終回から心変わりした理由じゃん。みんなでおでん屋でタロウの記憶が消えてしまうことをあんなに哀しんでて、はるかちゃんだって漫画の賞とった時に一番居て欲しかったのにタロウがいないって嘆いているのに。あの優しい最終回から、一体何があったのか。それが一番知りたいのに!何も!!教えてくれない……!!!

なんかちょっと悔しいのが、お供達が相談と称してタロウに何を言ったのか我々には何もわかっていないという事なんですよね。普通に考えたら「ドンブラザーズを脱退したい」って言ってると思うんだけど、ドンブラに普通という概念を当てはめることが出来るのかという疑問があります。

……やっぱりすべては私の妄言なのかな。映画観る度に自分の方がおかしい気がしてくるもん。

でもなー、他のキャラはわかろうと思えばギリわかるけど、でもどうしても猿原さんがおかしいんだよね。だってワビサビ塾なんてジロウから貰わんでもやろうと思えば自宅で出来るじゃん。でっけぇ家に住んでて相談者だって絶えず来ているんだから。タロウと会う前も会ってからも、若者を啓蒙したいとかそういう欲もなかったはずだし、そんなエピソードも一個たりともなかったじゃない。極ラーメン道で他者の悩みに関しては「喝」の一声で消せることがわかってるわけだし。

自分の命より大切だった俳句が詠めなくなるほどの何かが塾の忙しさにあるとは思えないんですよね。タロウに会う前から、あんなとびきり狂った生き方しながら自由気ままに善意に生きてた男なのに。


まぁ今何を言ってもすべては妄言でしかないんですが。キンドンがどうなるかもわかんないし。突然はちゃめちゃのトンチキやらないとも限らないよね。ソノイの死の先にね。情緒おかしくなっちゃうぜ。

億が一、井上脚本じゃなかったら、少なくとも私は観ないですね。ないとは思うけど、何が起こるかわからないのが人生だから、これからも気を引き締めて待機していたいと思います。