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読んでるから書けないんだ。でも今日は、3月11日だから。

noteのことです。
読みたい方々がどんどんと増え、皆さまの新しい投稿に追い付かず、パトロールで時間切れ…の毎日ですわ。noteには天才が溢れすぎています。
下書きになっている自分の記事が どんどん腐っていって(時間が経つとそんな気がしません?)お蔵入りしています。こんなの世の中に出さなくていいか…の在庫。


先週のお花の会メンバーさんのアレンジ。こういう穏やかな時間が続きますように。

東日本大震災のあった日、あの時 千葉県内の高校の理科教室にいて 長く続く揺れに これは大変なことが起こっている…ビーカーが割れる中 目の前の若い先生は呆然としているけれど、先生の任務を果たさせるべく「まだ校内に残っている生徒の皆さんの誘導してください、私は今日はこれで失礼します、また連絡しますね!」と言って教室を出ました。
信号は機能せず、地割れしている箇所も多く、一般道では家に辿り着かないと判断し、田畑の間の農道を選んで車を走らせました。
前後一緒に走る車が、軽トラだらけだったので地元の農家さん達が走っているのだから この道なら帰れる、この道を選んで正解と 妙な安心感を感じたのです。
約40kmの道のりをドキドキしながら帰宅後、テレビが恐ろしい映像を流していて、こんなことがあっていいのかと恐怖と不安と絶望の入り混じった気持ちでした。

翌日翌々日と、茨城県と埼玉県のお客様に安否確認の連絡をしたところ…
特に茨城では、広範囲での停電に 東北の津波の情報は入っておらず、どうして自分たちの所に何の助けも来ないのかと苛立っていて…通行可能なお宅へ救援物資を届け お話しをお聴きしたのです。

この時に 広範囲の被害時には、肝心の被災者の所へは情報が届かないのだと知りました。
それからは、テレビが映る所で「避難してください」を聞くと いつも虚しく感じています。その声が必要な人には届いていないよ…

とんでもなく多くの方々が、亡くなり行方不明となり… 新聞の毎日更新される人数の記載に、数じゃなくて命なんだよと 怒りのようなやるせない気持ちが募り、何もできない自分にも腹を立てていた日々でした。

そして、想定外って言うな!想定外じゃなく甘い仕事をしましたと言え!とも。

多くの方がボランティアや様々な支援をし、今も想いを寄せています。
海外からも温かい支援があって、世界はひとつだと感じたこともありました。
なのに、戦争なんかしやがって。
人間は、もう少し賢いと信じていたいのです。

複雑な気持ちが沸き起こります。
1/1、1/17、3/11、9/11…胸が締め付けられる日 これ以上増えないで。

黄色はビタミンカラー、幸せの色。安寧を祈ります。

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