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写真と画像の違いは何だろう?

こんにちは、たかしです。

早速ですが、僕がずっと発信したかったことを記事にしてみます。

僕がずっと考えているのは「写真ってなんだろう」ということです。

まぁ、そうですよね。科学的な説明はわかります。でも写真って芸術の一部として扱われているじゃないですか。僕はInstagramなどを見ているとどうにも違和感を感じるんですよね。

-Instagramの違和感-

今のインスタってキラキラした写真ももちろん多いですけど、それよりもいわゆる"エモい写真”が増えましたよね。エモいって結局なんなのかわからないので僕は使わないですけど。よく言うのは「emotionから派生した言葉」とか「感傷的になったときに使う」ですよね。インスタ映えと違うのはインスタ映えとは非日常のキラキラしたものに対して、エモいとは日常に価値を見出すといったことを以前に読んだ気がします。

で、このエモいという言葉がよくつかわれる写真がフィルム風にレタッチされた写真だったりフィルム写真だと僕は感じています。

フィルムっていいですよね。僕も父のフィルムカメラを譲ってもらい使っているのですが、とても好きです。出てくる写真もデジタルでは出せない雰囲気のある写真が撮れます。

これは海を撮ったんですけど、懐かしさを感じるような写真に仕上がりました。すごいなと本当にに思った1枚です。

でも、僕が気になるのはもう一つのほうです。フィルム風写真に違和感を感じているのです。

Googleなどで検索をすると「エモい写真でいいねをゲット!」とか「フィルム風加工でエモい写真!」とかが結構あるんですよね。で、実際にフィルム風レタッチがされた写真をみると

#その瞬間に物語を #キリトリセカイ #ファインダー越しの私の世界

とかあったりするわけですよ。

うーん.....。

フィルムで写真を撮ったというのならそれは写真だと思います。でも、デジタルで撮ったのをわざわざフィルム風にレタッチする理由って何だろう??その瞬間を大切にしたいのなら、その時に最適と思った設定で撮ればいいと思うし、RAW現像をするにしても過度にする必要はないと思う。被写体を撮影するにあたって、デジタルカメラを用いてその瞬間に物語を作り、その世界を切り取ったというのならなぜ後で手を加えるんだろう。エモいって誰のためにあるんだろう。その人は何のために写真を撮ったんだろう。

それと「それは写真と言えるのか」というところ。

カメラは真実をうつすものではないけど、でもカメラを使って写真を撮ればその時の記憶を残せるわけで、その手段としてフィルムカメラを使ったりデジタルカメラを使うのはいいと思う。でも後で写真を全くの別物にしてしまうのならもうそれはただの画像であって写真とは言えないのでは?

僕は写真がうまいわけではないけど、カメラと一緒に出掛けて、いいものを見つけたり出会ったりしたらシャッターを切るようにしてる。僕の中での写真は当時を思い出せるような1枚だと思ってる。

高層ビルを見上げた時に「うわ!!たっか!!すげーー!!」って思ったから上を見上げて撮った写真。首が痛くなるくらい見上げて少し雨が降ってたのをしっかり思い出せる1枚。ほんと何階建てなんだろ....。

何をもって写真とするかは人それぞれだけど、その瞬間を残したいのならそんなにレタッチをしなければいいと思う。もちろんその当時を思い出すための手段としてモノクロで撮ったり、色を変えて撮るのはいいと思うしそれは写真だと思う。でも、家に帰ってからレタッチをして作られた画像は時差があって、写真とは違う気がする。

インスタでエモい写真が増えたがゆえに感じた疑問です。エモい画像と写真は分けてほしいなって思います。皆さんはどう思いますか??

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