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令和2年4月1日に26歳女性が思った事。

26歳、東京に在住中、南の地方から上京した女です。
社会人になると同時に上京し、今年で東京生活とともに社会人生活4年目となります。

2020年、令和2年、4月1日になりましたね。
(投稿しようとしていつのまにか4日過ぎてました・・)

1日に思いを込めて書いていた長文がいつのまにか消えていて、心が折れそうです・・が、再度書き記します。。

そんなこんなで、

もはや令和2年・・?なのかと今検索して知りました。
令和1年目がいつのまにか通り過ぎていました。。
時の流れははやいものですね、東京の混沌とする喧騒に必死にしがみつきながらに生きていると、あっというまに月日が流れていきます。

世の中が混乱している現在、今私もそろそろ何かアウトプットしなければと思い、noteというプラットフォームをお借りして、自分の頭の中の整理をしようと思い立ちました。

うーん・・

何から話そうか迷いますが、自分が今一番頭の中でむしゃくしゃしていることにします。

・働き方

私は昨年転職しました。
小さい会社から中規模の会社です。

転職した理由は2点あります。

・給与面
・自身のスキルアップ

私には、目標があります。

・30歳になるまでに海外へ行き、海外で働いてみること。
・海外の生活や働き方、文化を日本に輸入して日本をもっと豊かにすること。
・自分の仕事のスキルを磨いて、世界のどこにいても活躍できる人間になること。

この目標を達成する為には、貯金をすることが必要でした。
自分の仕事のスキルを高めることも必要でした。
前職ではそれが叶わないと思い、転職という行動に移しました

実際に、現職に転職し私が望んでいた環境に変化できたのか。

・給与面 
→ 多忙の業務の為、残業時間が大幅に増え、残業代によってアップ
・自身のスキルアップ 
→ 専門的な知識が身につけられる為、スキルアップに繋がっていると感じる

上記2点の希望を見事叶えることができました。

なのに、

なぜか虚無感があるのです。
不服を感じてしまうのです。

私は生まれつき、自覚ありですが「もっとこうしたい」「自分ならできるはず」といういいように言うと向上心があり・貪欲、悪く言うと欲張りな一面があります。

今、何に対して不満に思う部分があるのか。

「働き方」でした。

私は一週間のうち8割を占める”仕事”というものの価値を大切に考えている部類の人間です。

学生の頃から、はやく社会人になりたいという気持ちが強く、”働く”ということを心待ちにしていました。

社会に出てからしか経験できないこと、辛いことや大変なことも含めて、はやく経験したい、まだ知らない新しい世界に飛び込んでみたい、そして自分を成長させたいという気持ちが人一倍強かったと思います。

学生の頃はサークルにも入らず、様々なバイトに挑戦して、かけもちして、いわゆる”バイター”人間でした。

その生活がすごく充実していたし、楽しかったです。(もちろん、サークル等でわちゃわちゃするような日本のTHEキャンパスライフにも憧れましたが、自分は向いていなかったようです)

週に5日も費やす”仕事”というものが、自分にとって何か意味を為すものでなければ、意味がないと思っています。

その”意味を為す”には、人それぞれ考え方があると思います。

仕事が意味を為す=
・今生活するためのお金をもらいたいから
・お金はあるけど、将来の為にもっと貯蓄したいから
・とりあえずやることがないから、働いておく(稀かな)

基本的に多くの人は、”お金”を稼ぐ為に働いている人が多いと思うのです。
もちろん私もその中の一人です。
ですが、それだけの為では働けない人間です。

なので、新卒の時から福利厚生や、給与面はあまり意識しないタイプでした。
自分がやってみたい、と思える仕事でなければ絶対にその仕事に就けません。

給料が悪くてもやりたい仕事 > 給料はいいけどやりたくない仕事

典型的に上の考え方をもつタイプです。

”仕事”=お金を稼ぐ為だけの手段 という考え方があまりないです。
”仕事”=お金を稼ぐ為の手段+人生を豊かにするもの という考え方です。

”人生を豊かにする”には、辛いことや大変なことも含めて、自分が豊かになるという意味が含まれています。

そもそも、”仕事”というワードがよくない気がしてきました。。

”仕” = ”仕える” ということを強く想起させませんか・・・?

”仕”の意味はググると、
「目上の人のそば近くにいて用を足す。官につく。家来になる。つかえる。みやづかえ。」という意味が真っ先にでてきます。

”奉仕”、”給仕”のイメージが強いですよね。
やらなければならないもの、何かをやれ、と他人から強いられている、強要されているイメージです。個人的には。

”主人に仕える”という意味の、上司に仕える等の目上の誰かに仕える、また、会社というものに仕えている人が多い気がします。

でも”仕”には本来、”為すべき”という意味もあるようです。

”仕事”=✖️”仕えること” 
     ○”為すべきこと” と考るべきですよね。

goo国語辞典では、「 何かを作り出す、または、成し遂げるための行動。 」とあります。その為すべきことが、誰かにとってはお金を稼ぐことかもしれない。でも誰かにとっては、その人の持っている能力や知識を生かして”何かを作り出す”ということかもしれない。それは自分の為に作り出すものでも良いし、他人に対して何かを作り出すこと、自分の作ったパンが誰か一人を幸せにするパンなのかもしれないし。自分のアイデアで考え、作り出した商品がどこかの団体にとって役に立つものかもしれない、もしかしたら社会全体にとって重要な、何かをルールやクリエテイティブを作りだすことかもしれない。

そしてそれが、何か自分にとって、また誰かにとっての目標を”成し遂げる”ことかもしれないです。

ここで言いたいのが、それは強要されるようなものではないです。
自分から能動的に作り出すこと、為すことなのです。

”仕事”→ 私事、為事、志事 となればよいですよね。

いいものが思い浮かびませんが、なんとなくぱっと見がいい・・(笑)

ちなみに”志”には、「①心に決めて目指していること。また、何になろう、何をしようと心に決めること。②相手を思いやる気持ち。人に対する厚意。③好意・謝意などの気持ちを表す贈り物。」という意味があるようです。とても素敵ですね。。!

長々と、”仕事”という本来の意義的なところについて話してしまいましたが、何が言いたかったかというと、”仕事”は誰かに仕えたり、会社に強いられるものではなく、自分のやりたいことや目標、また生きがいであったりを為すために自ら動くことだと思うのです。

現職の会社に勤めている人は、みんな会社や上司に”仕えている”人しかいないように感じます。
みんな無理して、我慢して、自分の時間や体力・精神力を犠牲にして”仕事”しているのです。

その働き方に、違和感しか覚えないのです。

効率の悪い謎に項数の多い仕事や、正解のない上司からの指示をだらだらと深夜までかけ考え、犠牲にしている自分の時間。効率の悪いフローによって発生してくる休日の業務。これらは自分の”為すべきこと”のために費やす時間ではないと考えています。

そしてみんなどこかでその違和感に気付きながら、現状を変えられず、自分の”為すべきこと”を後回しにし、”仕える”ということを優先してしまっているのです。生活の為にそうしなければならないと思う人もいるかもしれません。もちろん「昇進して多くのお金を稼ぎたい」という目標ある人にとっては、それがその人にとっての今”為すべきこと”なのかもしれません。

そうであればよいのですが、少なくとも私にとってはそのような働き方は、最初に述べた自分の目標を達成する為に今”為すべきこと”ではないような気がしています。

休日や、仕事終わりは、英語を勉強したり、何か知識をつける為に本を読んだり、いろんな人に会って話をきいてみたりしたいです。休養をとることも、もちろんしたいです。そういった時間が、残りの生活の2割の中で自分の今”為すべきこと”だと考えています。8割スキルを磨く為に働いているのですから・・バランスよく生活することが必要だと感じています。

何事もバランスが大事ですよね。みなさんよく言いますが、本当にそうだと思います。

その2割の生活の中でも、「ずっと働いていることが自分の為で、生きがいだ!」という人はもちろん全然いいと思います。

落合さんが定義した「ワーク・アズ・バランス」が世の中に浸透しつつありますが、最近フリーランスの方や副業をする方も多くなり、こういった働き方が実現できている人も多少増えてきていると思います。

私は「ワーク・ライフ・バランス派なのです!」ということを述べたいのではなく、上記で述べた働き方のバランスが私の中の「ワーク・アズ・バランス」だと思っています。ワークとライフを切り分けたいと主張しているわけではないのです。

個人的には、みんな「ワーク・ライフ・バランス」でも「ワーク・アズ・バランス」でも、選びたければ、自分が好きな方を選べば良いと思います。そしてこの選択肢に囚われなくとも、自分なりの働き方を定義していけば良いと思っています。みんなの人生なんだから、自由です。定義されなくとも良い。

伝えたいのは、強いられて”仕事(ワーク)”していることと、自分から行動を起こしてということは全く別物だということ(ここでは自分にいいきかせてもいます(笑))です。

私は辛いことや大変なことも含めて、働くことが楽しいことだと感じています。自分の成長に繋がるので、いろんなことを吸収して自身が変化していくことがとても楽しいのです。

自分だけではなくて、みんなにも何かを”為すこと”が楽しいと感じて働いて欲しいです。そうできている人も多いと思いますが、偏見かもしれませんが個人的に日本人には少ないと感じています。

「仕事はしんどいから・・」「仕事に行きたくない、楽してお金を稼ぎたい」ではなく、考え方をもっとシンプルにして”仕える”ことをやめ、”為すべき”ことに変えてみたら、少し楽になるかもしれません。

そして、私は今自分や周りのみんなが置かれている環境が少しでもよくなるように、動かなければならないなと思っています。

前職でも上司に直接訴えたことがあります。小さな会社でしたが、上の人の考え方は変わらず、私は転職しました。

ですが、嬉しかったのは、私の後を引き継いだ人に対しての働き方が少し見直されたと聞きました。その後任の人は、やりたかった仕事に少し関わらせてもらっているようです。その話を聞いたとき、私が勇気を持って起こした行動は、誰かの為になった、無駄ではなかったと思えたのです。わたしの”為すべき”だったことが誰かの”為す”ことに繋がったのです。とても嬉しかったです。

規模感が少しでも大きくなると、より上の人を動かすことは難しいことだとはもちろん知っています。

この一平社員が何か会社を大きく動かせるとは到底思っていませんが、自分の考え方を伝えたり、行動に起こすことで、後輩や同期、上司が何か小さなことからでも気づいて、そして動き出してくれればいいなとは思っています。

みんなが豊かになればいいなと思っています。
(聖人ではないので、自分が豊かになることももちろん大前提です)

つたない文章かもしれませんが、少し自分の頭の中の整理に使わせてもらいました。

人生ハッピーに生きましょう〜!絶対みんなそうなれます!


photo by @iwakurashiori












         








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