見出し画像

「ゆめうつつ」を聴いて思うこと

米津玄師さんの「ゆめうつつ」。メロウでしっとりとした落ち着く曲で、音楽プレイヤーにふと流れたらじっと聴いてしまう、そんな曲なのですが、
以前米津さんのインタビューで、この曲は「怒りに満ちた曲」だと仰っていて。こんな落ち着いた曲なのに!?と相当驚いた自分がいて。

この曲のどこに"怒り"が込められているのかなと結構考えながら今もいたのですが…一つ思うところは見つけたので、それを書き下していきます。適当に見ていって下さい。



まず、この曲の根底にあるのが"夢とうつつ(現)の行き来"。現で疲れた時は、夢の中くらい心に傷付かず、幸せであっていいじゃないか。そしてまた朝を迎えて、今日も一日生きていこうという、シンプルだけど結構大事な事言うなーと相変わらず関心させられているのですが。

そこに、人間関係やコロナ禍のSNS等でのやり取り(社会の変化による人間関係の対立)などが混入します。あの時はみんなどうしたら良いかわからない、出口のない生活をただただ強いられて、自主警察といった監視社会も生まれて。行き詰まった感情が牙を剥いて誰かを傷つけなきゃマトモにいられないような、世紀末の世界。

私もそうでしたが、自分でやっていてその時は善意というか、"自分のやっていることは正しい"という、比較してその行為が正しいか気づくこともできない変な正義感を持ってやっていた。それで不都合が起きた人や、最悪亡くなってしまった人さえいるかもしれない。そこに気づいたのは本当に鈍く、今頃悟ったのです。



もし、この曲が「医療従事者への支えや救いとなるような歌」だとしたら…と、ふと思いまして。


「背中合わせの旅は まだ続いてく」

「羽が生えるような身軽さが 君に宿り続けますように」

「君が安らかな夢の中 眠り続けられますように」

医療従事者のことを天使と例えているように見えてしまうんです。
決して死んだとしてもせめて楽に…というのではなく、あのいつどこで拾って死ぬかわからない世界で、最前線に立って命を繋いで下さった医療従事者様に、"楽になってくださいね"という、安らぎを与えているような。

「むくれ顔の蛇も気づきやしない」

コロナ禍の辛さを知らず、無知蒙昧なくせに拗れた正義感で周囲を睨んでいた私達。蛇の眼って動揺するような怖さを孕んだ眼をしていて、むくれ顔なので怒っているのでしょう。怒りながら蛇のような眼をしている人に気づくことのない、夢の世界でゆっくり休んでくれという、救いの願いにも思えます。



上記をそう読み取ってみると、私にはaメロの歌詞は米津さんの立ち位置というか、主人公("私")が今いる状況のことを指していると思い始めています。


「夢の続きを いつまでも探していた」

周囲に馴染めず、孤立して生きている自分。昼夜もわからない世界で歌を作っていると仰っていた米津さん自身の境遇も重ねて綴っているようにも見えます。

「広告を携え 飛び立つ紙飛行機」

恐らくニュースのことだと。


「私は どこにいるんだろう」

そのニュースを見て、自分はどの立場にいるのか。悲観する人や、熱狂する人、何も知らないものの語らないといけない立ち位置や自身の保身のために相手を攻め続ける人…

いろんな対立や主張を前に、考えてしまうのでしょう。
但し、この曲はニュース番組のテーマソングとして制作されたもの。中立の立場でその日起きた出来事を分かりやすく報道していくもの…ですよね。ですよね?


ただ、その中立の立場というのは、言葉では簡単だけど、その立ち位置へ辿り着くのは相当な苦労を重ねないといけないと、私は思っています。きっとこの曲の主観にいる人もそう思っていて。

「眩い光に絶えず 誘われている」
「零れ落ちた羊は まだ夢を見る」

眩い光はネガティブな意味で、おそらくテレビの画面やパソコン、スマホとか、今日一日できた事件や出来事を映すスクリーン。に、誘われているというのは皮肉で、実際には釣られているというか、釣り針を垂らして釣れないかー今か今かーと様子を伺っているのを勘づいてはいるが触れないようにあえて距離感を保っているかのようにも感じます。

零れ落ちた羊…米津さんは以前のアルバム「STRAY SHEEP」で自分自身を羊に例えていたので、恐らく彼自身の心境も含まれているのでしょうか。
集団に馴染めない"私"。現実を見れず、まだ夢の中にいる。目覚めたくないから。夢から覚めるのが怖いから。


「声が出せるような喜びが 君に宿り続けますように」

多分ここは、夢から覚めるのが怖い貴方に、夢から覚めて声を出して喜べるような、そんな環境が巡り会えますようにという期待を込めていると思いますが、リンクして医療従事者に関する報道へのメッセージにも思えます。

主観ですが、コロナ禍の時、先端に立って頑張っていた医療従事者にスポットを当てた報道って、無かったと思うんですよね。それはまぁ、先端に立つってそのレポーターも死に近づく為推奨できないのは承知ですが。というか無理してそんな事しないでほしいですし。

ひょっとして、医療従事者の熱心な取り組みが称賛されにくい、報道で流れず浸透しない、そこに憤りを感じて、"せめて医療従事者の貴方達に、声が出せるような喜びが宿り続けますように"と、届けているように感じます。


「革命家の野次も届きはしない 夜の淵で踊りましょう」

馴染めないグループのリーダー的存在や周りのみんなからの野次が届かない夢の世界で、僕(米津さん)と一緒に踊りましょう。
or
政治家や政府が決めた方針や政策に振り回されて、手がつけられなくなるような環境から一度離れて、夢の中でふらっと踊って一旦スッキリしましょう。


「君が望むなら その歌は誰かの夢に繋がるだろう」

歌だけでなく、その行為は誰かを救う大切なことなんだ。そう信じてやっているのに、周りには伝わらない社会。そこに不満や不安があるのであって。

「あんな人にはわからない」

どんな事を言ったって、今の時代、言葉や表情で直接その人に自分の意思や想いを届けるのは難しい。ちゃんと伝わっていかない、それどころか変な正義感で傷つけあう世界が向こうの世界で繰り広げられていて。環境を狭めてくる大人達もいて。


「物語の裏 隠れたままそれじゃ また明日」

明かされず、不平不満を一番溜めているのはどこだと。それは板挟みになっていた貴方や医療従事者の皆様方じゃないか。けど伝わらない情勢に文句を言わず、距離感をとって上手く付き合えていけたらいいのにね。

でも……


「疲れたら言ってよ 話をしよう」

辛くなったら僕に吐いてね。話をするのが大事だと思うんだ。


……という、無粋でしたが、
医療従事者というコロナ禍の情勢で上手く報道されなかった存在に光を当て、共感して、優しくしてくれる、そんな曲なのかなぁこの曲。と思うのです。


米津さんの書き方的に、どんな曲であってもポップソング(普遍的な歌)を書かれているので、歌詞も広く捉えられるような抽象的で噛み砕きやすいものになっている…と考えているのですが、表面的には具体的なものは書かれないんですよね。もしこれがそうなら…怒りに満ちた人に寄り添いとげられる、支えになる曲を、夜のニュース番組で流していたのかな…と思っています。思っているだけね。主観主観。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?