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パワハラする人と周囲にいた人

ハラスメントは現代病なのか、それとも名前がついて、認識されるようになっただけなのか…

人間の性根は大人になったら、そうそう変わらない
のが通説だ。

私が初めて社会人になった頃 - 平成時代。
その頃は、今では考えられないほど「セクハラ」は横行していた。
よく言えば大らか、おじさん天国だった。
先だって話題をかっさらったクドカンさんのドラマ
みたいに…
一応「男女雇用均等法」はあったけど、当時銀行の窓口にいる女性社員は「クリスマスケーキ」が普通だった
ようだ。同僚の妹がそうだったから、なんとなく覚えている。かくいう私も一般職と総合職の選択制だった
けど、コネ入社は選択の余地もなく、一般職。
おじさんたちは、普通に飲み会で、女性社員にグラスがあけば、「すぐにつぐ」を強要できる時代。

そう、入社して少しした頃、私のいた部署と人事本部が合体した。管理部門の統合という試みだ。
部署の大移動が済み、レイアウトなどが決まり、仕事が始まった。

そして、事件は起きた。
本部のすみっこで罵声が聞こえた途端、しーんと
本部全体が静まるということが起こり始めた。
能天気な部署にいた私たちは、固まった。
さすがに罵声を浴びせる上司は、その頃、いなかった
からだ。今から思えば、人事本部長がいない時に
その事象は起こっていたはずだ。
互いのすみっこの部署にいる人間に、詳細は
わからなかった。
でも定期的に聞こえる罵声は、本部全体を凍らせるには十分だった。

それから少しして - (30年ほど前の話だが、いまだに
覚えている)
「おい、〇〇はどうした?」
「お休みの連絡は入っていません」
「すぐ、寮に電話しろ」
その当時、単身赴任の人は単身赴任寮に入っていた。
その先輩は慌てて、寮の管理人さんに電話した。
その時はまだ全体の雰囲気として、「珍しいな、寝坊
したのかな?」くらいに思っていたのだ。冷静に考えると、誰よりも早く会社に来ていた彼が、寝坊なんて
ありえない。
その先輩と管理人さんの会話に業を煮やした、その
部長はさらに声を荒げた。否、焦っていたのかも
しれない。今となっては部長の心の中はわからない
けど。ますます本部全体は、その部長の一挙手一投足に注目した。
「部屋をみてもらえ」
「…はい」
その先輩は、部長の命令を管理人さんに伝えたようだ。
違う部署にいた私たちは、他部署のことだけど、息を
飲んでその状況を見ていた。誰も言葉を発さず、音も
立てなかった。そんな大事件が起こっているとは、
その時もまだ思っていなかったから。

少し時間が経って、折り返しの電話があったみたいだ。
電話に出た先輩が、「えっ…」と言って黙った。
その時の先輩と管理人さんの気持ちを思うと、
いたたまれない。
「何があった?」
部長はイライラのトーンが上がる。人事部はツンドラ
状態だ。先輩は電話を切り、部長に耳打ちをした。
でも部長の態度で何が起こったのか、私たちは察した。

そこから後は、通常業務に戻ったように記憶している。
ただ昼休憩のお弁当を部署で食べている時に、先輩からその〇〇さんが、自死していたことを伝えられた。
〇〇さんには小さなお子さんがいた。
そこからは箝口令が引かれたわけではないが、誰も何も言わなかった。

少しして件の部長は工場の総務部に異動になった。
その工場は、会社の中でも1.2を争う大きなトコだった。
一応左遷的なカンジではあったものの、相変わらず
職制は部長だった。しかし工場でもやはり、部長の
地雷を踏めば、激昂するところは変わっていなかった
らしい。

刃物で人を殺したわけじゃなけど、降り積もる言葉・
恫喝やみんなの前で罵声を浴び続けることで死に
追いやっても、その人は変わらなかった。そして降格
もなく、部長。私は会社にも呆れた。工場でも部下になる人間は、地雷を踏まぬよう薄氷を踏む思いで日々を
過ごしていたに違いない。

〇〇さんの下についていた後輩さん(私よりは先輩
だけど)は、後に人事部から違う部署に異動した。
同じ本部でもすみっこにいた私にでさえ、傷を残した
この事件は、覚えている人がどれほどいるのか、今や
わからない。しかも口にしてはいけないカンジがある。

私はご縁があって今、その関係会社でパートをさせて
もらっている。入社した当時、今の部署の先輩に件の
部長の話を聞かされた。今度は転職を促す人材開発部長になっていた。そして…
「そんなんだから、部署を出されるだよ!」
と罵声がやはり部屋から聞こえていたらしい。
三つ子の魂百までだ。

ホント…はた迷惑でしかない。怒鳴られた人たちが、
「くっそ~、おまえの顔なんか、俺だって見たくない
んだよ!さっさと転職してやる!」
思ってくれてたら、いいんだけど…と願うばかりだ。
でも私はたぶん年を重ねた今でも、情けないけど…
そういう人を窘めることができる気がしない。

昨今、パワハラ問題が世間を賑わせている。
表面化している人たちをみると、恫喝型とモラハラ型がいるんじゃないか、と勝手に思っている。
東京大学を卒業し、官僚になれた。
勉強ができるけど、他人のことはわからないの?
知識があるなら、人のことも少し勉強すればいいのに…
勉強ができるんだから、すぐに習得できるはず。
自分のレベルに相手をレベルアップさせるんじゃなく、自分が合わせるほうでいいんじゃない?って思う。
だって勉強ができるんだから。「何で、わかんないんだよ!」って傲慢に考える時間があれば、目の前にいる人に丁寧に伝えたらいいのにって痛烈に思うのだ。

高校時代に「実るほど頭を垂れる稲穂かな」を折に
触れ、副校長先生に伝えられたことを今、思い出す。
今なら必要なことだとわかる。まぁ…こんな年まで
わかんなかったのかよ、って話ではあるんだけど。
それでもわかんなくて、パワハラするより全然ましだ
と思っている。

件の部長は今、どうしているのか?私は全然知らない。ご存命であることは確かなんだけど…アンガー
マネジメント、受けてて欲しいと他力本願だが
思ってる。

ホント、パワハラネタのたびに私は、その部長のことを思い出し、あの時の衝撃が蘇る。完全にトラウマだ。
だからって小学生の作文みたいに「だから、パワハラはよくないと思います」と締めくくる気もない。

「心をえぐるような話を書いてください」と書かれていたので、つい自分が心をえぐられた話を書いて
しまった。反省、反省。
ただいつも肝に銘じているのは「言葉は人を傷つける」だ。昔、広告を作っていたときも「立場が代われば
傷つく人もいるから注意するように」と言われたことは気をつけているつもりだけど…
それでも傷つける文になっていたら、ごめんなさい。
とにかくパワハラの被害者が減ることを地球のすみっこで願っている人間がいる、ということだ。

#創作大賞2024 #エッセイ部門

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