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はっぴぃのセンタク記⑨(終)はっぴぃのセンタクキ


皆さん、noteではお久しぶりです。あけましておめでとうございます。
無事、アイのセンタクキ岡山、走り抜けることができました。
この脚本を読み、このnote企画を思いついた時から最終回のタイトルはこれにすると決めていました。

※最初に言っておきます。このnoteかなり長いです。ただ、公演全てを一本に記したいので、分割はしません。ご了承下さい。




センタクの始まり


仕事の関係で岡山に引っ越してきた際、演劇ができるのかさえ不安でした。過去のnoteで就職しても演劇したいと決意表明をしたものの、岡山配属が決まった時全く知り合いが近くに居ない環境で芝居に関わるイメージが掴めず、半ば諦めかけていました。
それでも、足掻きたくなった私は岡山向けに自己紹介noteを書き、Twitterで岡山演劇の人をフォローして、なんとか道を模索していました。

センタクキとの出会い


そして、7月に意を決してアイの作戦会議に参加しました。その際話した作演出の伊藤君、制作の田邊さん、また、その後に知り合った天神幕劇の大森さん、和田君、片山君、有馬さん、多田さん等々、彼らとの出会いは確実に人生の分岐点となりました。
その後、アイのセンタクキのオーディションを受けました。最初は、スタッフでの参加のつもりだったんですが、オーディションで体を動かしている内に4年というブランクも気にせず役者やりたいって気持ちがこみ上げてきて、オーディション終了後に、その場で伊藤君に「役者でも応募したい」と伝えました。
8月中旬、大阪に帰って婚姻届を出した数日後にオーディション合格の報が入り、稽古が始まりました

稽古序盤の頃の話


最初は、一参加者のつもりでした。実際初稽古の頃は伊藤君の演出論に度肝を抜かれたり、脚本に魅了されたり、それだけで刺激的な環境でした。
そんな折、ふとしたタイミングで稽古場の基礎練を任されました。伊藤君がどういう意図で私を指名したのか、たまたまだったのかもしれません。それまで伊藤君主導でやっていた発声が自分の所属していたはちの巣座のものと近いものだったのもあり、自分がやったり、過去現場で習ったりしたものを少しずつ紹介していきました。考えてみれば、27歳で伊藤君と同い年、演劇歴7年目、あの座組の中では割とベテランでしたね。気がついたら多田さん達と一緒に稽古場を纏める立場になっていました。
そのうちに、若い子達とも話する機会が増えました。彼らは本当に研究熱心でした。演技の悩みを聞くところから始まり、自分の過去の経験や台本解釈、演技の作り方等々色んな話をしました。話している内に、これが今の自分にできることなんだろうなって思う様になりました。
その成果かどうかは知りませんが、11月頃の怒涛の通し稽古で彼らはメキメキ成長していきました。そうやって成長を続ける後輩達に刺激を受けながら、私も自分の演技を考えていきました。

役と向き合う中で


私が演じたF2(島根ではMの一部)はセンタクシサイドの主人公Hに立ちはだかる存在であって欲しいと配役当初に伊藤君に言われていました。台詞は語気が強いものが多く、どうしても「怒りっぽいキャラクター」というイメージが念頭にありました。しかし初通し直前、台本を読み返す中であることに気が付きました。
「みんな、初めてだよ」
シーン4(先輩が退場、お姉ちゃんが結婚した直後のシーン)でH(新人君)に返したこの一言に秘められた想いは、怒りではなく不安だったんじゃないか。そう気付いた時、私のF2がどんなキャラか掴めた気がしました。彼は単に怒りっぽい訳ではなく、喜怒哀楽全てが激しいキャラクターなんだと。この閃きが私のF2の誕生の瞬間であり、島根で同じ台詞を言った四宮君のMとも大きな分岐点となりました。
通し1でぶっつけでこのキャラ設定でやったところ、中々評判もよく、順調なキャラ作りができた様に思われました。

溜まりきった疲労と悩み

しかし通し1の後、仕事の疲労と8月からの稽古の疲労が重なり、喉を潰してしまいました。今までの人生でも記憶にある限り一回位しか潰したこと無かったのに、まさかのタイミングでした。おかげで稽古は2週間近く休み、ダンスを始め色々な部分に遅れが出てしまいました。
そんな中で、役作りにも綻びが出てきます。演出のオーダーも増えてきて、どう演じれば良いか、纏めきれなくなっていました。
また稽古場全体の問題点も見えてきて、そちらにも頭を悩ませる日々になりました。
そんな中でも支えてくれたのは共演者の皆さんでした。
役作りでは洗濯機のポジションが近かった大河内君、最初のシーンで絡みがあった樫山さん、帰り道が同じで話す時間があった木内さんなど、意見交換を繰り返す中でできていくものがありました。特に最初のシーン
「壁と近すぎるんだよ」
のブチギレは樫山さんと話し合ったおかげで形になった気がします。
稽古場の纏め役は、新たに島根にも参加していた持田君が積極的に関わる様になってくれました。ここでついて来てくれる人が居なければ、私のメンタルは死んでいたことでしょう。

最後の1ピース


しかし、まだキャラクター作りには問題が有りました。
シーン4の後半の私の台詞
「ごちゃごちゃ言うんじゃねぇよ、気が散るだろ。俺等の仕事なくす気か?」
この台詞の怒りの意味がまだイマイチ掴みきれて居ませんでした。
通しは回を追うごとに集中力を増していきました。若い子はどんどん伸びていき、自分もそれに引き離されない様に必死でした。
12月中のとある通しで、多田さんが抜群の演技を見せました。特に壊れて退場するシーン、はがさん演じるお姉ちゃんの明るさとの対比も相まって凄く辛くなりました。
あれ…待って、Dが居なくなってF2は「辛い」のか…。F2にとってDって…。
そう考えた始めると、次第に最後のピースがハマる音がしました。
あのシーン、F2がHに怒った裏にあった気持ち、それは
「分かってくれよ、なんでお前はDの気持ちを汲んでセンタクしないんだ」
これだと思いました。
これに気付いてからは自分の中でのストーリーも割と明確になり、演技は安定していたのかなとも思います。年末の通しでは個人に対するダメ出しが全く無くて、怖くて演出にラインしたなんてことなんかもありました。

島根からのバトン


年末、島根の本番がありました。
予定がつかず、残念ながら観ることが叶いませんでしたが、演技研究の為に通しは拝見していました。
先日投稿されたサイトウさんのnoteではフレンチと町中華の例えで表現されていましたが、言い得て妙な表現だなと思いました。ただ、私の見解だと、単に雰囲気の違いというよりは、発声方法や経歴等々環境も含めた違いなんじゃないかなぁと思ってます。
そんな島根を観てきた岡山のメンバーは年末やの稽古で明らかにギアを上げてきました。それに触発され、全体的にエネルギー量がかなり上がっていくのを肌で感じました。確実に良い刺激になっていた島根のセンタクキ。その影響は私にもありました。

考え過ぎのプレッシャー

島根でほぼ同じ役の四宮君が物凄い演技だったらしいのです。ある共演者からは前述の演出からダメ出しが無かった通しでさえ、四宮君の方が好きだと言われ、でもはっぴぃさんなら超えられますよと激励されました。好みの問題だとかそういうのが頭では分かっていても、ただ無性に悔しくて、それを超えなきゃいけないのかというプレッシャーとか色々感じていました。
振り返るとこの公演、稽古自体は楽しい反面、自分に対するプレッシャーを勝手に感じ続けていたのかもしれません。関西で6年芝居をしていた、自分から使ったこのフレコミに対する期待に、果たして自分は応えられているのだろうか。周りは気にしなくても、そういうところにプレッシャーを感じ、稽古場を引っ張るのは自分で良かったのだろうか等々、考え過ぎは百も承知でも、そう考えてしまう自分がいました。これは正直、公演が終わった今でも晴れない不安なんです。私は、あの座組で何か成せたのか、期待に応えられたのかなと。


小屋入りとゲネと1ステ

そんなこんなで年があけ、稽古一回してすぐ小屋入り。バタバタしていて、正直あまり記憶がありません。
仕事も早々に切り上げ、高速で小屋入りした4日、5日も場当たりきっかけ稽古はいつの間にか終わり、ゲネが始まりました。
ゲネ、終盤までは割と個人的には上々の感じでした。しかし東京のシーン、事故が起こります。
東京服が上手く着られず、その結果視界が遮られていました。そして、別の役者と正面衝突しました。その後、動揺して灯体にも少し当たるという大失態。個人的にはあり得ないミスでした。幸い怪我等はお互い無かったものの、自分の不甲斐なさを痛感していました。
悔いる間もなく1ステが始まりました。久々の舞台に浮つく自分と、やってきたことを出すという気持ちだけで舞台に居た気がします。実際特に問題なくステージ自体は終わったかなと。
アフタートークは逆に緊張して噛みすぎたのは反省しています。ただ、アンケートの中に自分の台詞が響いた旨の記述があったので、凄く嬉しかったです。

波乱のラストセンタク

最終日、2ステで終わる寂しさはあったものの、やりきりたいという気持ちで小屋入りしました。
荒通しの後、本番。何百回と繰り返し言ってきた台詞はその一言が発せられる度に二度と発せられることはないのだから、全力で全てをおいて来よう。そんなカッコつけたことを考えてた気がします。
本番が始まると…少し違和感を感じました。
あれ、みんなの演技ってこんなんだったっけ…?
ここに来て、全員のギアが明らかに上がっているのを感じました。そしてみんな凄く良い演技をしてる…。あれこれやばくね?
自分の見せ場であるシーン4、下手な演技はできないなぁと思いながら舞台袖でドキドキしてました。



気がつくと、私は舞台袖でガッツポーズをしていました。それ程に、シーン4は今までのどの通しよりも会心の演技ができた、そう感じました。そして何よりも、シーンラストのドゥーワ、今までに無い一体感があり、自分の演技がみんなに伝わったそれだけでも嬉しかったんです。終演後の話ではありますが、四宮君が物凄い興奮した様子で褒めてくれてたので、それだけのものが出来てたんだろうとは思います。ただ、それが油断になった気がします。直後のダンス中、転がし灯体が足に当たりました。中断せずに続けたものの、舞台袖に下がると右足小指から出血してました。油断したなぁと思いはしましたが、まずは舞台を止めないこと、お客さんを不安にさせないことが大事と自分に言い聞かせ、手当だけして舞台に戻りました。
そして、ラストシーン。舞台に立ち、最後の台詞を飛ばすために新人君役ののぞみんを見ると、いつもは笑っている彼が、涙目で立っているじゃありませんか。
待ってくれそんな目でこっちみんなよ、こっちまで泣いちまうだろ。少しびっくりしたものの、なんとか堪えて台詞を言い終えました。
直後、彼の魂全てを込めたようなあの台詞が飛んできました。その瞬間、情緒が壊れる音がしました。ラストシーンの自分、色々ボロボロだなと映像見返すと思います。それでも、あの瞬間の全力をぶつけているなって思います。
役者のエゴはどこまで許されるのでしょうか。今まで正直あまり役者と役の感情を混同するのは良くないと思っていました。これからもそう考えていくことでしょう。ただ、あのラストドゥーワ、あの瞬間だけは、全員の役者と役が一体となって、4ヶ月の練習と思い出、演劇楽しさと公演が終わる寂しさ、その全てをぶつけ、とてつもない爆発が起きたあの空間でだけは、外の誰がなんと言おうともそれで良かったのだと思っています。

エピローグという名のプロローグ

さて、長かったこのセンタク記もようやくエピローグです。
ここまで読んだ人は果たしているのでしょうか。既にかれこれ5000字目前、原稿用紙12枚分です。読んでくれたそこのあなた、本当にありがとうございます。後、もう少しだけお付き合いください。
アイのセンタクキという公演は本当に楽しかった、それは疑い様の無い事実です。人生で関わったお芝居の中で一二を争う位思い出に残った公演です。
しかし、同時にこんなことも考えてしまいます。果たして、私はあの座組に何かを残せたのでしょうか。貢献できていたのでしょうか。良い役者、良い先輩だったのでしょうか。単なる自己満足だったんじゃないかと考えてしまいます。そんな不安は拭いきることはできません。
でも、私は前に進むことにします。まだまだ、岡山の地で、演劇を通してやりたいことが沢山あるので。
大学生にワークショップしたりして、地力の底上げしたい、島根ともコラボしたい、なんなら関西からもっとお客さん呼びたいし、関西ともコラボしたい。色んな人と知り合いたい、そして何より、役者を続けたい。
私の岡山での演劇ライフはまだまだ始まったばかりです。辞令には左右されますが、
「岡山を離れるその日まで、私は岡山で舞台に携わり続けたい」
と思います。
そしてこれが、私の「選択」であり、この記事はそれをするまでの記録、つまり「はっぴぃの選択記」なのでした。

ちょっとカッコつけちゃいましたかね笑
では、また次の公演で会いましょう。

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