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変化する思考。

学生エバンジェリストアワードに出場することを決めてから、怒涛の日々を過ごしてきました。第一関門のピッチ動画、そして迎えた一般投票期間。

アワードが始まってから、日々自分の音楽について考えました。
音楽という目に見えないものを伝える。
音楽は、成果や効果、数字で測れないものであること。
音楽家が歩んできた道こそが音楽であること。
同じ瞬間というのは存在しなくて、常に変化変容していくものであること。

音楽家が歩んできた道こそが音楽で、これから創る道はいろんなことに影響を受けながら紆余曲折しながら自分の音楽を切り拓いていく。
そのため、これがわたしの道!と公言することが難しい。模索しながら探しながら創ってきた道をふと振り返ったときに見えるものが自分の音楽だとするならば、わたしはどうやって今この瞬間に「わたしの音楽」を表現したら良いのだろう。

最終的に自分の中でたどり着いた、自分の生き方を模索するという壮大なテーマ。これをもとに走り続けてきた2週間。毎日思考が変化し、いろんなことに挑戦する日々でした。
これまでずっと音楽家と過ごす時間が圧倒的に多かったわたしにとって、違う分野の人や音楽について知らない人との出会いというのは改めて大きな衝撃でした。
レクチャーコンサートで話す音楽の話ではなく、社会的な意味の音楽の話をすることや抱える問題点、これを言葉で伝えるというのはとても難しいことでした。そして、クラシック音楽の伝統の重みを実感した時でした。先人が創ってきたクラシック音楽の伝統を尊重しながらも、現代社会の時代に抱える問題を自分で指摘し解決へ導く。伝統を守りながらもアップデートしていくことの責任の重さが自分にのしかかってくる。新しいモノを生み出して解決するのではなく、これまでに積み重ねられた伝統と歴史を全て抱えた上で何をするのか考えなくてはならないことを自分の身に染みて感じた期間でした。

そして、音楽家からの目もわたしにとって気になる存在でした。
潜在意識の中にあるであろうクラシック音楽が抱える問題点というのを、あえて言葉で突かなくてはならない。みてみぬふりをして音楽家だけの世界だけに篭っていれば怖くないし、痛くない。そこをこじ開けて考えようとする人間というのは、音楽家の世界を壊す人間として排除されるのではないかという不安や、奇異な目で見られることの怖さがありました。意識や何かを変えることには痛みは付き物だけれども、歴史や伝統の重さやこうあるべきという無言の圧力に対してどこまで自分が耐えられるのか、自分との戦いでした。

新しいモノを生み出すことで社会に問いかけるのではなく、伝統や歴史を背負って社会に価値を届けることは似ているようで違うことだと思います。新しいものにも価値があるし、古くから伝わる伝統のものにも同じように価値がある。
この積み重ねられて創られてきた価値をどうやって伝えようか、そして「伝統」や「歴史」に縛られてる音楽家の世界に投げかけることをすること、自分の活動や思考の根っこを探し続けた、この期間。
迷いながら、悩みながら、新しい世界と出会うことで自分の思考を掘り下げ、自分の音楽を見つめ直す。
活動やムーブメントを生み出すというより、音楽家という生き方をみてほしいと思います。悩んで、もがいて、紆余曲折しながら創られていく道、それが音楽だと表現できるようになりたい。
演奏するだけが音楽家ではない。音楽家という生き方を伝えていく。
わたし自身が音楽家であり続けるために、そしてクラシック音楽を大切に育てていくために、音で・言葉で表現し続けたい。わたしの目に鮮やかに映った世界の一端を掴むきっかけが悩み続けた先にあった、そう思います。

発信することが怖かったけれど、毎日SNSを動かすことを目標に手を動かす。
コンサートに実際に来てもらうことが大切だと思うけど、一つのきっかけとしてみにレクチャーコンサートをインスタライブでやってみたこと。
話すことの力を蓄えるために、たくさんの人の話を聞きに行ったこと。
少しずつ挑戦の一歩を踏み出した経験が次の一歩につながる。
ふと振り返った時、この一歩が大きな一歩になっていますよ、そう背中を押して下さった方がいました。

全ての出会いと縁、優しく見守ってくださっている方がいる、わたしの挑戦を応援してくださっている方がいる、そう実感する今日この頃です。

考えて悩んだ時間は無駄にはならない。全てのことがわたしの血となり肉となる。
これからも、日々模索しながら自分の音楽を切り拓いていこうと思います。

Vielen Dank für die Lektüre. Wir sehen uns bald wieder!

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