【短編小説】ケーキフィルム
彼と付き合い始めて半年は経っただろうか?彼は見た目の割に結構ウブで、私以外とはちゃんとお付き合いもしたことが無かったと言っていた。元々男子校の高校を出たということもあって、周りもそういう浮ついた人がおらず、部活に勉強にと精を出していたかららしい。そんな彼は、私といるときは慇懃な態度をとり、手を繋ぐにもなかなか時間が掛かってしまうタイプだった。きっと長く男世界の中に居たせいで女性というものを神格化しすぎて、迂闊にボディタッチをすることすら躊躇われるのだろう。そのためだろうか、付き合い始めても一向に手出ししてくれなかった。大きな身体をしている割に繊細な感情があって、私は私でどうしたらいいのか途方に暮れ始めていた。彼と半年の間には、崩れかけのジェンガを引き抜くように手を繋ぎ、丁寧に折り畳ませた折り鶴のようにキスをした。しかし、ただそれだけだった。
そんな彼と何度か足を運び、行きつけになった喫茶店がある。
いつもお昼ご飯を食べた後などに、美味しいブレンドコーヒーとオーナーお手製のチーズケーキを二人で頼むのが慣例になっていた。
ぼんやりとした間接照明がオシャレな雰囲気の店内で、小さな丸机を取り囲んで向かいあっておしゃべりをしている彼は、大学指定のラガーシャツを着てボールを持ってグラウンドを駆ける時とは別人のようにみえた。そんなギャップも可愛らしいのだが、あんまり関係を慎重になりすぎる彼の対応に辟易もしていた。
やがてチーズケーキが運ばれてくる。甘いものに目の無い彼は、ブレンドコーヒーには砂糖もクリームもたくさん入れる。そして、ケーキのフィルムを真剣な眼差しで剥ぎ取る。私はその瞬間を見るのが好きだ。
「…ん?どうして黙っているの?」
「あ、いやなんでもないよ。私もケーキ食べよ」
少し勘づかれたかな?どうしても彼がケーキフィルムを取っている瞬間だけは、私はじっくりと観察してしまう。そして、それは私をもの凄く興奮させるのだ。
ただケーキフィルムをとっているだけで何故?と思う方が沢山いるだろう。実際、友人に説明しても「杏奈は変わってるね」「いや思ったことないな」と笑われてしまうだけだった。共感されたことはないけど、でも私はそれを見るのが楽しみの一つになっていた。
彼は、その彫りの深い大きな瞳でじっと見ながら、両手を使ってケーキを傷つけまいとしながら注意深くフィルムを剥がしていく。その真剣さと繊細さが、まるで私の背中に両手を回されて、ブラジャーを外す時の様子をいつも思い出させた。力強い血管の浮き出た太い腕が、甘く柔らかいケーキを、優しく優しく裸にさせる儀式を見ていると、私はなぜか自分の中心が熱くなっていくのを感じた。実際、私はまだ彼に抱かれたことも無いし、ブラジャーを外されたことが無いのにも関わらずだ。この喫茶店にきて、彼とこうして向かいあうと、私は彼に裸にされる妄想に駆られて、なんだかやるせない気持ちにさせた。その丸い大胸筋に飛び込みたかったし、大木のように大きな広背筋に手を回してハグしたかった。
「ねぇ、みたい映画があるんだけどさ、一緒に見ない?」
「いいよ、でも、これからだと遅く無いかな?」
「ユウ君の家で見たら良いじゃん!ここから近いんでしょ?ね、良いよね?」
彼は「いや、部屋はいま汚いしなぁ」と言いながら、なんとか断ろうとしてる雰囲気があった。でも、なんだか今日は私の方から積極的になってしまっていた。
「それでさ、今日はついでに泊まって行ってもいいでしょ?」
「ええ!?そんな困るって…」
「ねぇ、いいでしょ!明日もやすみなんだしさ!」
もう!どうして分かんないかなぁ?男って、なんでこんなに鈍感なんだろ?ちまちませずに、早くそのケーキを食べてしまえばいいのに、と私は思っていた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?