見出し画像

【短編小説】涙の乾く速度

僕が大学一年の秋頃に–正確には夏休みの終わりごろだから、九月中旬くらいだった–、僕の父親は突然失踪した。

元々、僕の父と母は決して仲が良い夫婦では無かった。母方の実家に引き取られた父は、自由の少なくて居場所のない生活を強いられていたのだろう。小さな貝殻の住居しか得られなかったヤドカリみたいだ。
それでも、なんとかバランスを上手く取りながら、僕の家族はその形を楚々として、廉直に守り抜いていたのだ。
しかし、僕が小学校の低学年くらいから、父は家にいない日が増えていった。詳しい事情は知らない。ただ、僕がずいぶんと大人になってから、父はその頃から愛人のすむアパートで生活するようになったらしいと、母の葬儀に参列していた母の友人から聞いた。

父が家にいない日が増えたころ、父方の祖父母や父の兄弟などが来訪して、客間に長居しながら神妙な面持ちでいろんな話し合いが度々行われていた。
子供心に僕は、家に来る客人はときにお年玉だったり、一緒に遊んだりしてくれるものだと思っていたので、素直に実家にたくさん人が集まってくることを喜んでいた記憶がある。母に、「今日もおじさんたち遊びにくるの?」と聞いたりした。子供の無邪気さは時に残酷なものである。
けれども、僕の母はいつも表情を変えずに、僕に接してくれていたことを思い出す。母は、僕の前ではいつも『母親』という役目を全うしてくれていた。まるで冬の終わりに降る冷たい雨のような境遇の中で、その優しい心が打ち震えていた時すら。僕と接する時の母はいつも、『優しい母親の顔』をその表皮にきちんと貼り付けていた。

父が失踪して、彼が通勤で使用していたトヨタカローラは消えていたが、愛用していた原付は残されたままだった。
当時自転車が主な交通手段だった僕は、母に内緒で勝手にその原付を借りていた。高校の時から付き合っていた彼女の家まで、自転車だと15分くらいかかるところを、5分もかからずに到着できて重宝していた。
その時の僕にとって、彼女の存在は何よりも重要な意味を持っていた。世界の全ての理がそこにはあった。さまざまな原理や定理が僕らの愛の前では意味をなくしてバラバラに砕け散るようだった。
単純にいうと、僕は全てを投げ出してもいいほど彼女に夢中になっていたのだ。一晩中彼女に愛の言葉を思いつく限り吐き続けながら、星の数ほどのキスをして、そして野生の猿のように毎晩セックスをした。おそらく父も、もしかしたらそうだったのかもしれない。家に母を残して、違う女の家に泊まり込んでいる僕と父。そして、本来なら3人で仲良く過ごすはずだった広い家の中で、一人で眠る母。

ある日、僕が夜遅くに原付で帰った時に、たまたま家の鍵をしめようとしていたパジャマ姿の母と出会した。母は、ハッとした表情で僕の姿をじっと見ていたが、フルフェイスのヘルメットを脱いで僕の顔を確かめると、動揺しながらもやがて安堵した表情に変わった。父の姿と僕の姿を重ね合わせていたのだろうか?

僕はあまり喧嘩っ早い方ではなかったが、ある日些細な行きちがいによって、母と口論になったことがあった。内容なんて覚えていない。誰かに対しての連絡しなければいけなかった話を、言ったとか言わないとか、そんなことだった気がする。なぜかその日はどちらも退くタイミングを逃してしまったんだと思う。
僕は、ついカッとなって母の肩を強く–ほんの少しだけ強く–こづいた。そうしたら、母は後ろにバランスを崩し、食卓にある机に強かに右の腰を打ち付けて、そして転倒した。その転び方がまるで、足腰のおぼつかなくなった老人のようで、僕はひどく驚いてしまったのを覚えている。当時の母は55歳だった。そりゃあ当たり前だ。それなのに、どうして僕は、母が年齢を重ねていっていることに気づかなかったんだろう。母の誕生日すら、僕にはうろ覚えだった。自分の誕生日は祝ってもらっているくせに。
それからひと月しても、母は腰の辺りを痛そうにしていたのを思い出す。ちらりと見えた肌に、大きな青あざがあったことも。どうしてその時に素直に謝れなかったのか、今となっては後悔している。

父が失踪して、一年ほど後になってから、母は離婚届を提出した。
それにともなって、僕の苗字も父方から母方の方に変更されることになったが、大学の友人などには面倒だったこともあって、仲の良いひと以外には説明せず、ほとんど旧姓のまま過ごしていた。
そんななか、母が40度近い熱を出して寝込んだことがあった。僕は、母がこんなに寝込むほど体調を崩した姿を見たことがなかった。
仕方なく病院に車で連れていき、4時間ほど点滴を打ってもらった。風邪薬や解熱剤も処方してもらい、そろそろ自宅に帰っても大丈夫そうだと連絡があったので、また車で迎えに行った。
病室にいた母は、窓の外を微動だにせずにひたすら眺めていた。そこには、僕の知らない、母親という仮面を外した母がいた。僕は、「あぁ、母はこんな表情をする人なんだ」と初めて気づいた。一人の、旦那を失った寂しい未亡人の姿がそこにはあった。彼女の胸の裡には、一体何が渦巻いていたんだろう。母の目には、一体どんな景色が見えていたんだろう。

母を亡くした今となっては、もう父とのことを直接聞くことは出来ない。封印された記憶や感情は、あっけなく真っ黒な煙となって、火葬場の煙突から天に昇っていったのだろう。

母の葬儀を無事終えたあと、僕は自分の原付に跨った。
三月の冷たい風は、容易く厚手のジャケットを貫くように寒さを感じたが、僕はフルフェイスのヘルメットの前を開けた。顔面に容赦の無い風が吹き付けていた。
一体何キロまで速度を上げたら、この涙が乾くのだろう?僕はその日、原付を唸らせながら国道をひたすら走り続けた。

おわり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?