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No.200/運動指導者に問う

2024.07.18

こんにちは、くのてつです。

今日でサポートしていた学校の今期の仕事が終わりました。

一応仕事ですから、報酬をもらっている訳ですが、それ以上に自分が学ぶ機会になっている…という点で有意義な時間でした。

こういう機会をもらえることが自身の血肉になっていると感じますね、特にこの数年は。

その血肉を少しだけ整理しておこうと思うのですが、何か?というと「運動指導者」についてです。

運動指導者といっても広義で捉えるならば誰もがそれに当たります。

休日のお父さんコーチも入りますからね。

その広義で捉えた場合で考えてみます。

根拠、俺!という固さ

基本的に休日のお父さんコーチは大抵「根拠、俺!」で指導されてます。

それを否定するつもりはありませんし、休日に特にボランティアで関わっている方の熱意には頭が下がります。

ただ、大人のためでなく子どもたちのため、という最上位の目標から考えるならば、ただの頑固でしかありません。

自己否定できないっことでしょ?

これは成長のど真ん中にいる、伸びしろが溢れている、そんな子どもたちに対して取るべきすたんすですか?という話です。

運動やスポーツはこの先の人生における、人格形成に大切な役割を果たす…なんて言います。

が、そう言う方に限って、相反する姿勢だったりするのでタチが悪い。

それでいいのか?と問われて自信を持って「Yes」を言える方はどのくらいいらっしゃるのでしょうか…。

学ばなくても成立する!という勘違い

学ぶことをやめたら、教えることをやめなければならない(ロジェ・ルメール)

非常に有名な言葉なのでご存知の方も多いと思いますが、まさに指導者の本質を突いた名言です。

自分自身、学びを止めると終わる…と強烈に感じ、意識しています。

なぜなら、「困る」からです。

このケースどうしてあげればよかったのか?

これってどういうこと?

こんな疑問が1時間現場にいれば、無数に出てきます。

その都度解消しても、ひたすらこの繰り返しです。

終わりがないんです。

自分を正当化するつもりはありませんが、学ばなくていい人は相当な知識人であり、相当な指導者、教育者であるに違いありません。

でも、自分はそんな方に出逢ったことがない。

つまり、大多数の方々は学んでない時点で教えることをやめなければいかない立ち位置なはずなんです。

本当に学ぶ必要はないの?に対して「Yes」と言えて、本当にその言葉に嘘がない人はいるのでしょうか。


青臭いことを言いますが、子どもの前に立つ指導者と呼ばれるすべての大人の方。

本当に今のままで大丈夫?

と、自問自答してみるといいかも知れません。

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