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“強さ”と裏切りを許す方法

人間の悩みはヒト、モノ、カネに集約されるといわれます。特に人間関係に関する悩みは、誰もが抱えているのではないでしょうか。

筆者は3つの中でも“ヒト”を扱う人材業を営んでおり、毎日生まれも育ちも国籍も異なる人と接しています。また、会社を経営する中で多くのスタッフを率いていく立場にあります。このため普通の方より少したくさん、嘘や裏切りを経験してきました。

起業したばかりのころはショックで、受け止めきれずに体調を崩したり、人間不信に陥ってしまった時期もありました。

けれど、「許す技術」を身につけてからはそういったことがなくなり、以前はどうしても許せないと思っていた人達のことまでも許すことができました。

今回は私が事業を通じて身につけた「許す技術」を記すことで、人間関係に悩む方の一助になればと思いこのnoteを執筆しました。

そもそもなぜ人は”裏切られた”と感じるのか?

“裏切られた”と感じた時を分析してみると、大きく3つに分類できる事がわかりました。

①自分の期待に相手が答えてくれなかった場合

②ボタンの掛け違え

③相手が弱さから不適切な行動をしてしまった場合

ひとつずつ見ていきましょう。

①自分の期待に相手が答えてくれなかった場合

この場合、自分が相手に過剰な期待をしていただけなので相手を責めるのはお門違いというものです。人が自分の思い通りに行動してくれると思うなんて、どんなに自己中心的で傲慢なんでしょうか。

あなたは王様か貴族か何かですか?普通の人間ですよね?逆に何故相手が自分の期待に応えてくれると思ったんでしょうか。

相手を責める前に自分の甘えを責めましょう。

②ボタンの掛け違え

抱いている思いが同じでも人によって取るアクションや表現方法は、年齢、立場、持っている知識によって大きく異なります。

これによって、相手を大切に思っている思いは一緒なのに、行動がお互いに予想したものと違うことがしばしばあります。

頭ごなしに否定せず、どういう思いでその行動を取ったのかちゃんと聞いてみると、実は単なる相互理解の失敗で裏切りではないことも多いです。

この場合、大事なのは話し合い。

「信じるとは何か」について芦田愛菜さんが答えていた回答が先日話題になっていました。

「裏切られたとか期待していたとか言うけど、その人が裏切ったわけではなく、その人の見えなかった部分が見えただけ。見えなかった部分が見えたときに、それもその人なんだと受け止められることができる、揺るがない自分がいることが信じることと思いました」

こうやって、新しく得た自分とは違う考え方を、大きな心で受け止めたいものですね。

③相手が弱さから不適切な行動をしてしまった場合

①、②は「裏切り」と自分が感じているだけで相手には非がないのですが、この3つめのパターンが本当の意味での「裏切り」でしょう。

多くの裏切り行った側の人間は、自己を正当化することで罪悪感を昇華したり自尊心を保ったりします。そうしないと自分の心が保てないから、自己防衛反応で正当化してしまうように人間はプログラムされてるそうなのですが、素直に過ちを認めず謝罪もしない姿勢が余計に腹立たしく感じますよね。

確かに行動自体は、褒められたものではないです。でも、今までたくさんの人をみてきた結果、押し並べて人はそんなに悪いものではないです。ただ全ての人間が弱く愚かで、多かれ少なかれ間違いを犯したり、物事を受け止めきれずに逃げてしまったりするだけなんです。

裏切られるとどうして傷つくのか?

例え、意図的に傷つけられたとしても、自分が信じたこともない人に傷つけられた場合は“裏切られた”と感じないでしょう。裏切られたと感じるのは一度その人を信じ、自分が期待したから。

信じた時の気持ちをどこにもっていったらいいのかわからなくて、人は深く傷つき、また信じて裏切られたら嫌だ!とトラウマになって、信じることをやめたくなります。

これでは人間不信に陥るばかりなので、私は信じた時の気持ちを大事にする事をおすすめします。

結果的に、相手の弱さから嘘になってしまったかもしれない。けれども約束した時の気持ちや、少なくとも自分が期待をしていくばくかは救われた事実は揺るがない。信じた時の気持ちや自分自身を否定せず、綺麗な思い出として肯定する。その上で相手の弱さや過ちを受け止めることで、私は全ての悲しい思い出を許すことができました。

すべての人間は間違いを犯す弱い生き物

間違いや弱さを糾弾するのは簡単です。けれど、状況が変われば?もし自分が弱かったら?余裕がなくなって同じような行動をとっていたかもしれません。

かつては私も正論人間だったし、裏切りや間違いを犯す人が許せなかったです。でも30年も生きてると、常に正しくなんて生きれないことに気付きます。また、旅をして、さまざまなバックグラウンドを持った人と接すると、正しさも立場や時代、場所で異なることが理解できました。

私にだって、正しいと思って選んだことが後になって間違いになってしまったり、自分に弱さから結果的に約束が守れなくなり、嘘になってしまった事があります。

例え、自分より立場が上の人間でも、親も先生も、総理大臣も全員完璧ではなく人間で、政府や企業だって人間の集まりです。だから必ず完璧というのはありえなくて、間違いを犯してしまうものなんです。

私が普段から心と身体を鍛えるのは、いざと言う時に大事な人たちを守れる自分でいるため。誰かを傷つけない自分でいるため。間違い出来るだけ少なくするため。

どんなに頑張っても私はスーパーマンではない普通の人間なので、これからも自分の弱さゆえに大事なものを守りきれなかったり、誰かを傷つけてしまうのだろうと思います。だからこそ、ベストを尽くすことはやめたくない。後悔しないために。

強さとは?

私は強さこそが裏切りを生まないようにしてくれるのではないか。と思うので、強さとは愛であり、優しさでないかと思います。

この記事を書いている間にも、過去に守れなかった約束や傷つけてしまった人、間違った行いを思い出して少し自己嫌悪に陥いりました。けれど過去は変えれないし、日々精進して、明日は今日の自分より、ひとつでも強くなっていよう。と思うのです。

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