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ナポリで『ジョアン』として生まれ変わった僕と、夏の終わりのベルマーレ(美しい海)

イタリア語ネイティブにとって僕の名前『タイチ』は発音しにくいらしい。モニちゃんのパパのエンツォは日本に住み始めて約40年経つらしいが、タイチという名前が定着するのには1年くらいかかった気がする。ダイチとかタイージと間違われることが多かった。

ナポリに到着して最初に出会ったモニちゃんの親戚であるレッロとカルラにとってもタイチは発音しにくかったようで、特にカルラは、僕が「タイチです」と自己紹介してから1時間も経たずに僕の名前を覚えることを諦めていた。

僕の名前を覚えるのを諦めた5分後、レッロの運転する車の助手席に座っていたカルラは「いいことを思いついた」と言わんばかりに、後部座席の僕に向き直って「ジョアンって呼んでもいい?」と言い出した。

僕は突拍子もないカルラの提案に面食らったが、ほかに何も言いようがないので「OK、ベーネ」と言って受け入れた。

ついでに「なぜジョアンなの?」と聞くとカルラは「レッロはラファエロのニックネームでしょ。で、エンツォはヴィンチェンツォのニックネーム。だからタイチはジョアンなの。」と大雑把な解説をしてくれた。レッロとエンツォの理屈はなんとなく理解できるが、やはりタイチがジョアンになる理屈は納得できない。

僕がかつて会社員だったとき、同僚に韓国人や中国人、台湾人が多かった時期があったのだが、彼らの多くは母国の名前とは別に英語の名前を持っていた。当時は英語の名前があると親しみやすいなあ、くらいにしか思っていなかったが、今ならその必要性がわかる。異文化の人の名前はなかなかしっくりこないのだ。カルラにとってタイチがしっくりこないように。

ジョアンという響きは不思議としっくりきた。これを機に僕も英語の名前をジョアンとして売り出していこうかな。

モニちゃんが朝ごはんとして買ったパンとヨーグルトと米のミルク

かくして、僕はレッロとカルラにジョアンと呼ばれるようになった。僕がすんなりジョアンへの改名を受け入れたことが、カルラにとってかなりツボだったようで、「ジョアン、ビール飲む?」「飲む」「これがジョアンのバスタオルね」「グラッツェ」といったように、ジョアンと呼びかけて僕がレスポンスするたびに大笑いしてくれた。

僕がジョアンと命名されたことはモニちゃんにとっても意外だったようで、その日の晩、エンツォにテレビ電話をしてコトの顛末を説明した。スマホの向こうのエンツォは「タイチって、そんなに覚えにくい?難しくないでしょう」と笑っていた。僕はエンツォに1年くらい名前を覚えてもらえなかったことをはっきり覚えているので(どの口が言うんだ…)と内心思った。

翌日、レッロは仕事へ出かけてしまったが、カルラは海へ行こうと僕らを誘ってくれた。レッロとカルラの家はナポリ郊外の海沿いにあって、8月の下旬ということもありビーチはバケーションシーズンの終盤戦で賑わっているらしい。

ビーチへは車でいくのだが、車はレッロが出勤のため乗っていってしまったので、近所の友達家族の車に便乗させてもらうことになった。海へ行く支度を整えて車に乗るなり、僕が「はじめまして、ジョアンです。」と友達家族に自己紹介するとまたカルラがキャッハー!とカン高く笑った。

きれいな海の家が整備されていた

到着したナポリ西岸のビーチは真っ白な砂と真っ青な海が美しく、日本の海とは全くの別物であることが実感できた。日本の美しいビーチも数々見てきたが、空の色、砂の色、海の色のコントラストがナポリの海とは違い、特に海の青の濃さが印象的だった。ビーチにはきれいに整備された海の家があり、浜辺には真っ白なパラソルとサンベッドが整然と並んでいる。景観を乱す建物や看板が見当たらないのも日本と違う。

ちなみにモニちゃんは幼少期からナポリでのビーチリゾートを経験していたそうで、そのため湘南のビーチを初めて訪れたとき、黒い砂と茶色い海を目の当たりにして「うわ、汚い」と思ったらしい。東京育ちの僕にとって湘南は最も身近な海なので、汚いと言われるとショックだが、ナポリの海と比べられちゃあ仕方がないか。

空も海も青が濃い気がした

ナポリ人のビーチリゾートでの立ち回りはだいたい決まっている。それは「ちょっと海で泳いだら、あとは陽が傾くまでひたすら座って海を眺める」というものである。僕らもナポリスタイルにのっとって、まずはチャプチャプと泳いで海の温度を確かめ、あとはパラソルのしたでゴロゴロして過ごした。さすがに退屈するかと思ったが、海を眺めたり、ビールを買って飲んでみたり、たまに散歩したりして過ごしていたらあっという間に夕方になっていた。カルラはパラソルの影など気にせず直射日光を身体中に浴びていた。彼女のブロンズ色の肌はこうやって作られているのだ。

日焼け止め塗ってビールを調達すれば準備完了

家に戻って、肌の弱い僕がスキンケアを念入りにしていたら、鮮やかなサーモンピンクのビーチドレスを着たカルラは儚げに窓から夕日を眺めて「海はもう終わりだね…」と言っていた。夏女にとって夏の終わりは寂しい季節なのだ。

夕方、レッロが仕事から戻り、カフェでアペリティーボのスプリッツを飲みながら談笑していると、「ジョアン、ビーチはどうだった?」と聞かれた。僕はいい加減なイタリア語で「ベッラ(美しい)マーレ(海)」と感想を述べると、レッロは「違うぞジョアン。マーレにベッラをくっつける場合はベルマーレに発音が変わるんだよ」と教えてくれた。

夏の終わりを噛みしめながらアペリティーボ

なるほど、Jリーグの湘南ベルマーレはイタリア語で「美しい海」という意味だったのか。ナポリの人が湘南の海を見てベルマーレと感じるかは置いておいて、僕にとってナポリの海は間違いなくベルマーレだった。


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