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「私」は必要?

普段の話題について、私はどうも他人と合いません。
まず、テレビを見ません。見たくないから。
次に、本当に必要な時以外は外出しません。人混みが嫌いだから。
そして、SNSが嫌いです。人間の醜い部分が目に付きすぎるから。
極論を言ってしまえば、自分を含めて、人間が、嫌い。

ですから、他人を信用することは、余程親しい相手じゃないと無理です。
私はあなたのことをほとんど知りませんし、理解していません。
でもそれは私に対してあなたも同じじゃないですか。
努力はします。だけど強要しないでください。

今まで色々ありました。
もちろん頼れる友人も、信頼できる相手もいます。
でもそれ以外の人は、どうしてもヒトの醜い部分ばかりが目について、受け付けないのです。
自己アピールに必死で他人のことなど何とも思っていないひと。
自分が上の立場になるために、他人の粗探しをして引きずり下ろそうとするひと。
立場や役職だけで決めつけるひと。

ああ、世の中は息苦しくて生き苦しい。
私は、私のために生きています。あなたもあなたのために生きてください。
私の言葉は独り言です。それをどのような意味で理解するかはあなたの自由です。
息苦しい世の中で、耐えきれずに漏れてしまう独り言に無理矢理意味を与えないでください。
私はただ、苦しくて、もがいているだけなのです。
意味があるのだとすれば、それは「私」の言葉に、ではなく、「言葉そのもの」に、です。

そうだとすれば、「私」って何なのでしょうか?
「私」を通して出てくる言葉とは一体何で、どこから来るのでしょうか?
本当に、「私」は必要なのでしょうか?

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