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記録を残すことの意味

記録を残すことの意味

阪神淡路大震災や、3.11などの災害は記憶が風化しないよう、記録として残す事が大切だと言われます。災害に限った話ではないと思うのですが、記録を残すことの意味について、少し考えてみます。

以前友人と

「仮に「「人類」が誕生した際に、その当時に生きていた人々が死なずに今まで生きていたとしたら、今と同じような世の中になっていただろうか?」

と言う話をしたことがあります。
二人とも結論としては No でした。

一人の人間が出来る事には限界があります。重いものを持ち上げるとか、物理的な限界もそうですが、新しい技術を思いつくとか、新しい発想に至ると言った精神的にも限界があります。
自分もニーチェの書いている事なんてさっぱり理解出来ません。

あるときふと誰かが、
「こうしたらもっと便利なんじゃない?」
とか、
「実はこう言うことなんじゃない?」
と第三者的な視点から物事を考える時、新たな発想が生まれるものだと思います。
一人で延々と考えていても、余程の事が無い限り、新たな発想は生まれないです。
「三人寄れば文殊の知恵」とは良く言ったものです。

そのような発想に至るのは、疑問を持つからです。
疑問を解決するためには、手掛かりとしての記録が必要です。
何も残っていなければ、何もわかりません。

記録を残すと言う行為は、ひねくれた見方をすれば、後世に対して

「自分はこうだったけど、君たちはもっとうまくやりなさいよ」

と言う反面教師としてのお節介ではないでしょうか?
老婆心と言う言い方が近いような気がします。

より良い事を後世に考えてもらうため、記憶を繋ぐこと。
これが記録を残すことの意味だと考えます。

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