新月・満月の捉えかたを再定義。
つい最近まで、新月と満月にお願いごとをしていました。
「お月さまにお願いごと」っていうコンセプトに乙女心の片鱗をくすぶられました…。
影響力のあるかたが提唱してずいぶん流行りましたよね。
ちょうどそのとき占星術を知って、月のワークとか月星座とか、そんな魔法チックな概念にたいそう感動したのを覚えています。考えてみれば小学生のときからおまじないの本をたくさん集めていました。
占星術はいまでも興味があるのですが、以前とは考え方がずいぶん変わりました。
お月さまの捉えかた、リニューアル。
あの頃のわたしは、つくづく自分の意志で生きていなかった。
月が、宇宙が、神さまが、願いを叶えてくれる、思ってたんですよ。
願う以上のキセキまで勝手にやってくると大いに期待していました。
いまは月は私たちを惑わせるものだって思ってます。
というと月のイメージが悪くなりますが、いい気分に浸らせてくれるって感じですかね?夢心地的な。
世のなかには「思わされる」仕組みがあると思います。しかも考えているよりもはるかに多い。
あまりにも自分の意志で決めなくていい仕組みが多すぎて、もはやそれに疑問さえ持たなくなっている。「自分はどうなのか?」を考える隙のない世界。
月もそれに少し似ているのかなと思い直したんです。
|おねがいごとをやめた
やってるときから無理やり書いている感があって。「願いとかあんまないな〜」って思いはじめていました。
振りかえってみると、お願いごとを書いていた時期のほうが欠乏感がつよかったですね。
それと月への新しい見解に出会ったことも理由です。
これは月に限らずですが、いまって情報が玉石混合。たくさんあります。信じていたこととまるで反対の意見を聞くことが増えました。
わたしは見えたり聞こえたりしないので、正直どの情報がほんとうなのかわかりません。
というか見えない世界のことは証明できないから、これが正しいって言い切れないですよね。
それで自分には判断ができないからやめたんです。
悪い影響が出る可能性があるものはやめておこうと思いました。
|新月・満月を再定義するとしたら。
月がわたしたちを惑わせるものだとしたら、月の影響がなければより純粋な意志が出ると言えますよね。
「新月に叶えるエネルギーがあるからお願いごとをする」
というよりは
「月の影響がなくなるから自分の意志を明確にしやすい」
といえるのではないでしょうか。
新月に考えたことや起こした行動は、より自分の本質に近いものじゃないかと思っています。
なので自分の意志を確認するためにノートに書き留めておくなんてことはいいんじゃないでしょうか。
お願いごとをする行為は、ないものに意識が向きがちです。
「これが欲しい=いま持ってないアレ」
っていう方程式。
わたしは当時「ナイ」という思考に取り憑かれたようで、けっこうツラかったです。
いっぽう満月は月のパワーがマックスですね。お願いごとはもちろん、月を直接見るのも控えたほうがいいみたいです。
どちらにしても月にはパワーがあると思いますので、ネガティブな思いがあるときはあまり意識を向けない方がいいかもしれないですね。
最後まで読んでくれてありがとうございます。
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