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漫文駅伝特別編 小説『うばすて山』最終回 ウメ

これまでのあらすじ

80歳で、死を選ぶか、お金を払って歳を重ねるか、今日も敬子は、誰かを迎えに行く。

第五章 言ってやりたい言葉

初老のバンの運転手は、まだ若い敬子の事が、心配だった。
自分も、明日は我が身。他人事とは、思えなかったが、敬子は、とにかく優しすぎる。
この間は、世話になったからと、酒を奢り、上司に、しこたま怒られていた。

他は、そうではない。お見送りも、ほとんどさせない。時間になったら迎えに行き、ピックアップして、バンに乗せる。
まるで派遣の現場作業にでも行くような、いわゆるお役所仕事だ。

毎回、あまりに辛そうなので、なぜ辞めないのか、聞いてみた。
「最後を見たい人がいるんです。」
敬子は、そう言って、それ以上は、話す事はなかった。

敬子が、小学2年生の頃、母親は出て行った。父親と別れて、母子家庭だった。たまに家に来るおじさんは、急に殴ったりするので、とても怖かった。
夜に、綺麗に身支度を済ませた母に、起こされた。
「明日、学校に行ったらお母さんが、出て行きましたって言うんだよ。」
と言われ、1万円渡された。
「もしも、迎えが来なかったら、これでお父さんの所に行きなさい。行き方は、もう、分かるよね。」

玄関に向かう母に、子供ながらに、やばいと思い、必死に追いすがった。しばらく敬子は、追いかけた。
「お母さん行かないでー!良い子にするからー!」
美智子は、何度も振り払い、敬子は、何度も何度も追いすがり、泣き叫んだ。
美智子は、玄関前に、駐めてあった黒い車に、大急ぎで乗り込んだ。敬子は、母を呼びながら車が、見えなくなるまで、追いかけた。

敬子は、ショックのあまり、学校にも言わず、食べる物が無くなっても、母親を待ち続けた。父の所に行くと、もう2度と、母親に会えない気がした。
2ヶ月に一度の父親との面会で、父親が、家に迎えに行き、ようやく発覚した。
敬子は、ほぼ給食だけの食事で、驚くほど痩せていた。学校が、休みに入り、どんどん衰弱していた。母に捨てられ、生きる気力が無くなっていた。危なかった。

父親は、あの、子供好きの美智子が、そんな事をするとは思わなかった。そして、そんな寂しい女にしたのは、他でもなく自分だった…死ぬほど後悔した。
後、数日。もし…来れてなかったらと思うと、怖くて堪らなかった。

美智子も、事件を、後から知らされた。
敬子は、普段から、大人びてしっかりしている子だった。父親の所にも、1人で行ける。
大丈夫だと、勝手に思っていた。
震えが、止まらなかった。
美智子は、懲役は、免れたが、執行猶予がついた。どんなに会いたいと願っても、もう2度と、娘に合わせる顔は、無かった。

それから敬子は、父親の新しい奥さんと、5歳違いの妹と、初めこそ、気を使いは、したが、次第に、本当の母と妹と思えるように、幸せに暮らした。

美智子は、80歳の誕生日を迎えた。今日、迎えが来る。見送りなどいない。
美智子は、DV男と、何年も暮らした。
どんなに殴られても、自分の罰にしては、軽いと思った。死ぬほどの大怪我でも、病院に行かなかった。
事情を知った職場の人が、お見舞いに行き、無理矢理、入院させた。そして警察が、動いた。
美智子は、カウンセリングを受けるようになって、少しずつ洗脳から解けていった。

美智子は、敬子を守るために敬子を置いて出たつもりだったが、それも結局は、我が身可愛さだった。我が子に、一番残酷な事をしたと、今となっては悔いしか残っていなかった。

白いバンから、自分より、小柄な女性が、降りて来て言った。
「吉田美智子さんですね。」
「そうです。」
身分証を確認して、敬子は、粛々と、白いバンに乗せた。
通常、職員の親族や近親者は、迎えに行かないように、リストは、組まれている。
敬子の事情を、知っている仲間から連絡が来て、敬子は、リストを譲ってもらった。この日の為に、この仕事を続けて来たのだ。

車内では、沈黙が続く。美智子は、不安になり、敬子に話しかける。
「どれぐらいで、着きます?」
「ここからだとちょうど、1時間程です。」
長い沈黙の中、敬子の指輪を見て、ふと、美智子がたずねる。
「あなた、子供はいる?」
「…はい。中学2年になります。智恵と言います。私よりしっかりした子です。」
敬子は、聞かれてもいない事を、つい口走っていた。
「そう…大事にしてあげてね。しっかりしてるように見えても子供は、子供よ。」

敬子は、そんな事ではなく、言ってやりたい事があった。どんな言葉をぶつけても、足りないくらい憎んでいた。なぜ一度も会いに来なかったのか。なぜ、あんな風に置き去りにしたのか。
いざ、目の前に、現れたのは、あの頃の、綺麗な化粧をした母では無かった。
痩せ細り、自分の事にも気付かない、年齢より老いたみすぼらしい格好のおばあさんしかいない。罵りたい相手は、もう居ない。
敬子は、悔しさで、涙が、こぼれた。悔しくて悔しくて、堪らなかった。

それを見た美智子は、こう語りかけた。
「もし、私の事を想って、泣いてくれているのなら、止めて下さい。誰かに泣いてもらえるような人生を歩んでいないのです。でも、最後に救われました。ありがとうございます。」

その後、2人は、何も話さなかった。
ハピネスには、50分程で、着いた。
白いバンから降りて、施設まで、かつて母親だった人を見送った。

最後に言ってやる言葉は、時間をかけて、酷い言葉を、たくさん用意していた。
施設の職員が、見えた。母が逝ってしまう…そう思うと敬子は、叫んでいた。

「行かないで、お母さん!」
美智子に追いすがって、何度も叫んでいた。

驚いた美智子は、敬子の、首から下がった職員証の名前を見て、全てを察した。そして、手を合わせて、謝り続けた。
「ごめんなさい。ごめんなさい。本当にすみませんでした。ごめんなさい。本当にすみませんでした。許してください。…」
そうしてる間に、美智子は、施設の職員に連れていかれた。

白いバンの運転手は、最後まで、謝る事しかしなかった母親を追い、泣き崩れる敬子が、ただ、ただ、不憫で堪らなかった。
堪らず、白いバンの運転手は、出した事も無い大声をだした。

「おぉぉぉい!」

普段大人しい、爺さんが、大きい声を出したので、職員も驚いて、足を止めた。
「親なら、謝るより、最後にしてやることがあるだろぉぉぉ!」
お爺さんの大声に、ハッとして、美智子は、恐る恐る、敬子を抱きしめた。
小柄な体の敬子を、美智子は、存在を確かめるように、撫で回し、匂いを嗅いで記憶に、焼き付けた。

「あの、そろそろ…」職員に促され、美智子は、深い一礼をして、ハピネスに向かった。

敬子は、しばらく休暇を取った。穏やかに、家族と過ごした。
転職を考えていたが、結局、辞めなかった。ただ、前とは少し違う。心は穏やかだ。
今日も、敬子は、また、いつもの白いバンに乗り、誰かを迎えに行く。

〈終〉

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