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漫文駅伝特別編『矢文帖』第9回「ひと月の夏」如吹 矢ー

子供の頃は夏休みが憂鬱だった。
おそらく目標や楽しみがないのにただ時間だけがたっぷりとあったからだと思う。

友達がいなかったわけではないのだが、夏休みに友達と遊んだ記憶がほとんどない。やっぱり友達がいなかったのか?

中一の夏なんてとにかく時間を持て余していて、それならそれでネギを刻むとか、蝉にパントマイムを披露するとか、スピーカーを茹でてみるとか、何かやればいいのだが、当時なんだか無気力でただ家でぼーっとテレビを観ていた。
そのくせ飯はたらふく食う。今思えばよく働くブラウン管の方が飯を食うべきだった。

中二の夏休みを迎えた時にこれは何かせんといけんと焦り、当時テレビでボクシングを観て興味があったこともあって、それまでろくに運動をやってこなかったくせに地元熊本にある「本田フィットネスボクシングジム」に通うことに決めた。

ジムの名前にフィットネスと入ってはいるがプロ選手も所属していて、2017年には熊本県のボクシングジムで初の世界チャンピオン福原辰弥選手も輩出している。
2024年現在、世界チャンピオンの重岡優大選手と重岡銀次朗選手、前日本チャンピオンの堤聖也選手も学生時代はこのジムで腕を磨いた。

意を決して母親にボクシングをやりたいと伝えると少し難色を示したのだが何もやらないよりマシだと判断したのか、見学をするために車でジムまで連れて行ってくれた。

ジムは大きい公園の近くのビルの2階にあり、想像してたよりも綺麗だった。
中には小さめのリングとサンドバッグが数本垂れ下がっていて、窓際の天井付近に本田憲哉会長とマイク・タイソンのツーショット写真が飾ってあった。

見学に行った時間帯は練習生が少なく、練習の雰囲気はあまりわからなかったが入会を決めた。
これからは蛍光灯からぶら下がる紐を使ってボクシングの真似事をしなくていい。

翌日、練習に向かった。いよいよ始まると胸が高鳴った。
ジム内にユーロビートのような音楽と、1ラウンド3分と休憩を告げるタイマーのベルが繰り返し流れている。
この軽快なユーロビートに合わせて私はこれから他の練習生と華麗にパンチの「応酬」を繰り広げるのだ。ユーロだけに。

まずは基本からということで鏡の前でボクシングのフォームを教えてもらった。
このジムでは基本的に全員サウスポーの構えを教えるという方針なのだが、私の憧れのボクサーである畑山隆則選手や坂本博之選手が右構えだったので天然パーマのクソガキは生意気にも「右でやらせてください」と訴えた。
右構えをするのにリベラルさを求めた。
自分の髪の毛よりクセがあった。

半身の状態になって、左手は目の高さ、右手は顎の横に置くように指示され、大きな鏡の前でそのファイティングポーズを構えた。
その姿勢を延々とキープするのだが、次第にガードで上げてる腕が痛くなり足にも負担がきだした。
せっかくユーロビートが流れているのにステップの一つも踏ませてもらえなかった。

とにかく時間が長く感じた。
もしかしてさっき生意気に「右でやらせてください」って言ったことで怒らせたかな?と思ったその時、左ジャブの打ち方を教えてくれた。

次は延々と鏡の前でジャブを繰り返し打ち続けることになった。
同じ動きの反復はとにかく退屈だったが、ここで帰ってもブラウン管と向き合うだけなので黙々と続けた。
早くテレビでみていたサンドバッグやミットにパンチを打ち込みたかったが繰り返しシャドーボクシングをさせられた。

そうやって日々基本的な動作を繰り返していきつつ会長に少しずつ色んなことを教えてもらった。

ボクシングのステップを教わった時は力の入れ方があまりわかっておらず足の親指の皮がズル剥けになった。

ある日、ミットを打たせてくれることになった。ついにきたかとおもいっきり左右のパンチを打ち込んだ。
バチンという音が鳴り響く。
会長が「パンチが強かね」と褒めてくれたので調子づき次々とパンチを打ち込むと、たちまち呼吸が苦しくなった。
3分が途轍もない長さに感じ、ブラウン管が恋しくなった。

そして、サンドバッグを打たせてもらえることになった。
好きなだけ打っていいとのことだったので、夏休みの憂鬱を吹き飛ばすかのようにとにかく夢中で何ラウンドもパンチを打ち込んだ。
Tシャツが絞れるほど汗をかき、グローブを外したら拳に巻いたバンテージが血に染まっていた。

それからしばらくして、ジムの先輩と軽いスパーリングをさせてもらえることになった。
良いパンチをガツン当ててやろうと意気込んだが、全く当たらなかった。
相手のパンチはボコボコ当たるのにこちらのパンチは一切届かない。
何度も顔面を殴られ、こんなに差があるのかと落胆したが辞めようとは思わなかった。
次は一発当ててやると心に誓い練習に励んだ。
それからスパーリングを繰り返すうちに少しづつだが成長を感じて嬉しかった。

もっと強くなるんだと馬鹿の一つ覚えみたいに日々繰り返しサンドバッグを叩き続けて、ある時、右手の骨が疲労骨折した。
また左ジャブだけを打つ日々に戻った。

あっという間にボクシング漬けの夏休みが終わり授業が再開された。
学校に行くと、同級生がかさぶただらけの拳を見て「手どうしたと?」と聞いてきた。
私は「ボクシング始めた」とぶっきらぼうに答えた。

そんな一瞬の夏ならぬ、ひと月の夏。

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