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レッスンは一つの曲を奏でるように

昨日ひょんなことから出会ったエネルギーを感じれる人に、「私には何が見えるの?」って聞いたら、「鞍馬寺と貴船神社ですかね、、、」って言われて、去年両親と鞍馬寺から山を越えて貴船神社まで歩いたことを思い出した私です。そんなこと(両親と京都を歩くこと)めったにないので、それをドンピシャで言われて、ほぉ~ってワクワクした私でした。


どうやら私の後ろには天狗と龍がついているらしいです。
それが何を意味するのか、、、はわかりません!


でも、天狗さんは常に課題をくれる人らしいです。
その課題をくれる人が後ろにいると思って、目の前に現れた課題を丁寧に乗り越えていきたいと強く思った昨日でした。


ということで、私がこの世にいる意味はまだわかりませんが、まずは目の前にある課題に向かう、、、ということで、気持ちいい空を見ながら、今週末のセミナーの資料つくりに励みます!


気持ちのスイッチをいれるのに、私はお香をたくのですが、時々音楽を使います。

今朝は、音楽がスイッチ。
Youtubeのチャンネルに、FIRST TAKEというチャンネルがあります。
チャンネルのスタートは、コロナになって自宅にいる人たちとライブができなくなったアーティストさんたちをつなげるという感じだったみたいですけど、今も定期的にアップされています。

その中にいくつか好きな曲があって、緑黄色社会のShout BabyやMela、MiletのInside You、秦基博さんの鱗(うろこ)とかは私にとっては神回で、この人たちの声になりたい、、、って思うくらい素晴らしい~って思う。


緑黄色社会のボーカリストの長屋さんにいたっては、一本のミュージカルを見ているくらいの気分になる(そしてバンドメンバーの雰囲気が本当に素敵!素敵すぎて、惚れてまうやろ~)。秦さんの鱗は言葉から見えてくる景色と感情があって、Miletさんの声の中にある強さと切なさが何とも言えない。

歌がうまい人はたくさんいるけど、彼らにしかない何かがそこには存在する。


話は展開を変え、、、
明日は、A-Yoga認定者の冬の合宿(今年もオンラインとスタジオのハイブリッド形式)で、午前中はコーチングの半谷知也さんの《自分のアタマとココロを整える〜ミッション・ビジョン・バリューズの探究〜》と題して、ヨガインストラクターやトレーナー、理学療法士や治療家としての自分の役割を考え、自分がどのように活動をしていきたいと思っているのかを整理してもらう時間。

そして午後は、私が 《レッスンの組み立ての考え方、構造の理解、前提として理解をしておく理論と概念の整理》と題して3時間の講義と実技をする予定で準備をしている。

(日曜日は、助産師の渡邊安衣子さんに更年期について、午後は私が研究から見た更年期と運動と実践への転換についての講義をします)

それぞれ3時間の講義時間なのですが、当日の資料は3週間くらい前から少しずつ頭の中のものを書き出しているのだが、何度も何度も流れを書き直す。最終的な流れは、当日の朝に浮かんできたものを大切に変えていく。


レッスンの流れの考え方については、よく聞かれることがある。

レッスンの内容をどのように決めているのか?
レッスンの流れはなにか決まったものがあるのか?


レッスンの流れはその時に浮かぶものから考えるので、決まった流れはない。流れがあるとしたら、導入(ウォームアップ)、真ん中、クロージング(クールダウン)があるくらい。


中の動きに何をするのか、は、その日のテーマが決まれば、この動きをこういう風に使おう、、、と考え進み方が決まる。だから二度と同じレッスンはできる気がしない。


私はコレオ(コリオ?)と言われる決まった流れが苦手で、流れに相手をはめるのではなく、相手の中に流れを見つけてその流れをさらに引き出すために自分が何ができるかを考えるタイプ。


コレオにはコレオの良さがある。
ヨガで言えば太陽礼拝は動きの流れが決まっていて、それを繰り返し日々行うことで、気づきや見えてくることがある。自己鍛錬、気づきの基本形という意味で、そのコレオを繰り返し行うことに利点は大きい。


一方、今の状況の改善や予防的な観点で動きを使うという視点から考えると、問題となっている個所、問題となりえる箇所、問題となっているその原因を明確にして、それに対してどうアプローチをするのかを常に変化させることが必要になる。

つまりは、自分が何のためにそれをやっているのかを明確にすることがレッスンを考える、どういうレッスンを選択するのかの第一歩になる。


レッスンを提供する側として、何を大切にしているのか。
まずはそこをきちんと自分の中で整理することが大切。


その大前提として、「私はなぜヨガインストラクター、トレーナー、治療家、理学療法士、先生をしているのか?」という根本的な質問に向き合うことが大切になる。それがわからないまま、自分の役割の道筋を作り、自分が行うことを見出すのは本当に大変、と思う。


そして具体的に内容を考えるために、
養成でよく話すのは、WhatとWhyを考えること。

世の中、How・How toの話はよくするけど、究極How toに解決策はないと個人的には思っている。Howは、WhatとWhyが整理された先にある、、、と。



そしてWhatにも、様々なWhatが存在する。
目的のWhat
条件のWhat
そしてそれぞれの中にもさらにWhatがある。

そうやって要素を還元しながら、そしてその要素を組み合わせながら物事を考えることができるかどうか。


下の写真で考えてみる。何をするか(このポジションのポーズをとる)を選択する。

それを選択したのはなぜ?


ハムストリングをストレッチしたい
なぜ?

左体側をストレッチしたい
なぜ?

なぜ左手はそこにあるの?
なぜ右手はそこにあるの?
左足は曲げているのはなぜ?
足関節が背屈しているのはなぜ?
顔が少し空を向いているのはなぜ?

そのWhyの意味は、Whatの何かとつながっているのか?

個人的には何かを伸ばしたいからポーズを選択することはほとんどない。
感覚受容器の何に入力をしたいのか。
その入力がどんな出力を生むと予測するのか、、、そこから考える。

以下のような感覚の入力が、どんな出力(動き、思考)を生むのか。
それを頭の中で想像して、結果として作り出したいものを生み出すために、どんな感覚の入力が考えられるかから進めていく。


それを考えるには、感覚の受容がどのように伝達されているのかの基本を理解することが必要になる。
感覚受容と誤差検出(エラー検出)が私たちの動きにとって重要な働きをしていることを知ることで、What とWhyの見え方が変わる。



もうすこし全体で動きということを見ると以下のような図。

引用先 不明、、、すみません。


このイラストから想像を膨らませていただくと、運動が筋肉や関節だけのものでないことが見えてくると思う。
全てが全てとつながって、すべてが全てを許容して、すべてが全てのなにかになって、私たちの動きはそこに存在する。

細胞同士がそこに存在して、感覚や運動をつかさどる器官が存在して、
メッセージを伝える。
メッセージが伝わる。

その条件は何か?

レッスンを考えるって、音楽の詩と同じだなって思うことがある。

私の見ている景色を、誰かと共有する一つのツールとして、詩があり、メロディーがある。

相手の中に何を見るのか
相手は何が見えているのか
私には何が見えているのか
私とあなたの共通点は何か
私があなたに知ってもらいたいこと
私があなたに伝えたいこと
私があなたから聞きたいこと

それは一体何か(What)?

そしてそれをなぜ伝えたいのか(Why)?


そのためには、自分そして人間、社会、すべての自然科学を意識し理解することが大切なんじゃないかな、、、って。

動きは動きによって作られているのではない。
動きは様々な相互作用の元、存在している。

ふたたび、とりとめもないことを、つぎはぎ文章で仕上げましたが、、、。
さて、頭のウォームアップは終わったので、資料つくりに戻ります!

秦基博「鱗」 (←FIRST TAKEの動画)

作曲:秦基博

少し伸びた前髪を かき上げた その先に見えた
緑がかった君の瞳に 映り込んだ 僕は魚

いろんな言い訳で着飾って 仕方ないと笑っていた
傷付くよりは まだ その方がいいように思えて

夏の風が 君をどこか 遠くへと 奪っていく
言い出せずにいた想いを ねぇ 届けなくちゃ
君を失いたくないんだ

君に今 会いたいんだ 会いに行くよ
たとえ どんな痛みが ほら 押し寄せても
鱗のように 身にまとったものは捨てて
泳いでいけ 君のもとへ 君のもとへ それでいいはずなんだ

季節の変り目は 曖昧で 気づいたら すぐ過ぎ去ってしまうよ
まだ何ひとつも 君に伝えきれてないのに

夏の風に 君を呼ぶ 渇いた声 消されぬように
あふれそうな この想いを もう ちぎれそうなくらい
叫んでみるんだ

君に今 伝えたくて 歌ってるよ
たとえ どんな明日が ほら 待っていても
鱗のように 身にまとったものは捨てて
泳いでいけ 君のもとへ 君のもとへ それでいいはずなんだ

君に今 会いたいんだ 会いに行くよ
たとえ どんな痛みが ほら 押し寄せても
鱗のように 身にまとったものは捨てて
泳いでいけ 君のもとへ 君のもとへ それでいいはずなんだ

参照先 Lyricjp.com




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