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君か、君以外か

これは「俺か、俺以外か。ローランドという生き方」でも有名な、実業家のローランドさんの著書のタイトル。

彼がまだ30歳になる前というのにもびっくりするけど、わかりやすいその文体は、多くの人の共感を生むのだろうな、、、と感じる。

彼の名言を集めた書籍が、アマゾンの電子書籍で読めたので、どんなことをお話しているのかと思い目を通してみた。


彼の言葉には、物事を違う視点から見る、ということを感じさせてくれる。

たとえば、最後にあるローランド名言集の中の言葉。

「その逆よりは、いいんじゃない?」

これは彼が、「見た目に反して賢いですね。」と皮肉を言われて返した言葉らしいのですが、「皮肉をうまく返すのも、プロの仕事だ」と、本人は言ったそうです。


この状況で、物事をどう受け取るかでその次の自分の思考や行動が変わる。

「見た目に反して賢いですね。」
と、誰かに言われて、

1 この人は、人を見た目で判断をするのか、と考える

2 俺の見た目はチャラいのか、、、と考える

3 人は賢さを見た目で判断するのか、、、と考える

4 見た目を越える賢さを感じてもらったのか、、、と考える

5 そんな風に言われた俺は、俺を肯定できるのか、俺を否定できるのかどっちだ、、、と考える


相手の一言に腹をたてることもできるけど、でもそんな風に見えている俺が好き、、、っていうこともできる。

すべては自分の受け取り方次第。


そしてこのやり取りで面白いのは、相手が誰であったか、、、によってもおそらく自分の受け取り方は大きく変わる。

10年くらい知っている誰かに言われたら、

「今更何言ってんねん!」ってなるかもしれないし、

「お前、俺のこと全然わかってないな、、、」ってちょっと失望的になるかもしれない。

でも初対面の人で、会話の間中、自分の言葉に反論をしているような相手に言われたとしたら、

「わかってもらわなくても結構です」って思うかもしれないし、

自分の言葉に共通項を見つけようと話をしてくれていた相手に言われたとしたら、

「見た目ではなく俺の言葉を聞いて判断してくれたのだな」と思うかもしれない。


こういった環境状況によって、意味や行動に変化を与えることに、「アフォーダンス」という言葉がある。

もちろん本来、アフォーダンスは、ある環境状況に対して、人間がそれに適応して意味付けをして行動に転換することを言うのですが(例えば、公園のベンチを見ると、それは座るものであるという意味付けをして座るという行動、建物の一部に大きなドアらしき板があると、その板を扉であると意味付けして、押すという行動で扉を動かす、みたいな)、相手という存在、相手の言語・非言語も自分が知覚する環境的要素だと考えると、他者との交流もアフォーダンスの結果と言えるのではないだろうか。


で、話はローランドさんに戻り、、、。

私にとっての「俺か、俺以外か」はなんだろうな、、、って考えることがある。


私にとって、アフォーダンス的な考え方はとても大切だし、動作学で話している、「知覚行為循環」「動的平衡」「適応」という言葉も、自分の活動そして人生のど真ん中にある。

運動指導のセミナーは世の中沢山あるけど、私が講師としてセミナーをする意味はなんだろう、と毎回振り返る。


私にとっての「俺か、俺以外か」はどこにあるのか、、、と。


わかっているのは、「運動指導は運動機能を高めるためだけではない。」ということと、「運動という行為が、人を考える大事なものである」ということ。

そのあたりを、運動指導する人たちと一緒に考えられたらと常に思っている。細々と続けているセミナーの理由もきっとそこにある気がする。


近々にある、講習は
A-Yoga for Trainers in 仙台。

4月16日、17日の2日間で開催します。

まだ3,4枠空きがありますので、「俺か、俺以外か」に興味を持たれた方は、よかったら募集要項見てみてください。



人とはなんなのか?
人が動くとはどういうことなのか?
私とあなたとはどういう存在なのか?


そんな迷路をたどりながら、動きというものをもっともっと探求していきたいとますます思う今日この頃。

あー、もっと賢い頭が欲しいわ、、、。

ローランドさんのような風貌になったら、「見た目に反して賢いですね。」を周りの人が連発してくれたら、「私、賢い」というフレーズが刷り込まれて、賢さが増すかなぁ、、、。壮大なる実験、やってみるのも悪くない、笑。





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