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危機感

人生の中で危機感を感じることが何度あるだろうか?

危機感、もさまざまな状況や見え方があると思う。

私にとって危機感は、「今目の前にある危険な何かよりも、今から見えてくる、その先にある未来に関してふと感じるもの」が多い気がする。

だから、この場合の危機感とは「このままだと、先が見えない、、、。」
「このままだと、自分がイメージしていたものには到達できない。」という感覚。

もちろん未来などそもそもわかるわけないのだから、起こってもいない事に対して、感じるも何もないのかも知れないけど、ぼんやりと「このままで良い方向にはいかない。」という感覚。

そういう感覚は、これまでの人生で1、2回はあった気がする。

私は比較的気が長い方なので、あまり結論を急ぐ事なく(期日のある課題や事業は別として、そこに関しての判断はめちゃくちゃ早い気がするので、周りがついてきていないことが多いかもしれない)、時期を見定めてその時を待って、急いで結論を出すことなく、様子を見ることが多い。

もちろん、その間もなにもしていないわけではない。

動きを見定め、動きを出す為に、自分がどう動くか、または動かないかを考えている。

そんな時間を過ごしながら、自分の見つめる先を考えたときに、どういう状態が望ましいかを考える。

自分が学ぶ必要があること。
自分が伝える必要があること。
誰かがステップアップする事。
誰かが自律して動き出す事。
どのように私が関わることがベストか。
どこにサポートシステムを作れば良いか、、、

色々なケースにおいて色々な事を考える。

それをやりつつ様子を見ながら、いろいろなものを観察し続ける。

私は基本としては、全ての人が望むならばそれは実現するレベルまで行けると思っている。もちろん適材適所は存在するとは思うけど、でもよほどの高度な何かでない限り、基本みんなたどり着けるものはある。

でもよく言われるのは、「人にはその人の限界があるから、望んだからと言ってそこにたどり着く事は難しいと思ったほうがいい、、、」と。

話は戻り、危機感を感じたとき、真っ先に感じる感覚は何かというと、
「物事の停滞」
「固着」

おそらくこの2つを感じ取っている気がする。

同じ動きがあまりない状態を表す言葉でも、
安定と固着、は全く異なる様相をしている。

固着を調べると

デジタル大辞泉では

1 他のものにしっかりくっつくこと。「接着剤で棚板を壁に固着させる」
2 同じ所にとどまって、そのままの状態で定着すること。「先祖代々の土地に固着する」
3 精神分析用語。発達の過程で、リビドーが、過度の満足あるいは不満足などによって、口唇など特定の段階にとどまること。

3の説明をもう少し掘り下げると、
世界大百科事典の第二版によると、
こちゃく【固着 fixation】

S.フロイトの基本概念の一つ。後年になっても,リビドー発達の早期の諸段階(口唇期,肛門期,男根期)に過剰な精神エネルギー(リビドーと攻撃性)が付与されたままになっている状態。したがってその段階に特有な本能衝動のあり方,その充足方法,防衛機制がその後も存続することになる。

固着をきたす原因としては,体質的要因,欲求不満あるいは過度の満足,欲求不満と過度の満足の混交が考えられる。このような固着を示している人物は,内外の困難な状況に出会うと固着点にまで退行する。

と、書かれている。

この「固着をきたす原因としては,体質的要因,欲求不満あるいは過度の満足,欲求不満と過度の満足の混交が考えられる。このような固着を示している人物は,内外の困難な状況に出会うと固着点にまで退行する。」は、考察をしていくと面白いものにぶつかりそうだなぁと思う。

リビドー発達うんぬんに収まらず、人の存在全てという側面から考えてみると、固着を示す人が、

内外の困難な状況に出会う

固着点まで退行する。

つまりは、自分にとって安全と感じる、自分が快適な場に戻りそこに留まってしまう、、、ということ。

動物において、目の前の危機的状況への反応は、
1 闘う(fight)
2 逃走する(flight)
3 凍結反応/擬死(freeze)

となるから、その人がとっている行動から見えて来るものもある。

フリーズ=固着と言い切るにはちょっと無理があるけど、少なくとも共通項が存在していると言えるのではないだろうか。

危機感から解放されるには、常に物事に一定の揺らぎを(同じである必要はない)起こさせることがキーだと感じている。

組織が人を移動させるのも、物事に変化を起こさせるのも、固着による停滞と、慣れによる麻痺的な危機感の消失を避けるためにあると思っている。

なぜ新しい人材を入れるのか。

なぜ異なる役割を渡すのか。

これらはそれぞれが新しい環境において、慣れた場所から離れた、未知における神経系的、心理的危機的な状態が、人の可能性を揺さぶるからではないか、、、と。

固着は未来を閉ざす。
そう感じるから、その状況が感じられると、私は危機感を覚えるのかもしれない。



そんな事を考えていた時、「脳科学の達人」のyoutube内で、渡部先生が話していた神経ダイナミクスの柔軟性とIQの関係性がなかなかおもしろかった。

要約すると、人が安静にしているとき、脳は活動をしていないのではなく、脳活動は3つのフェーズ(ブロック)が存在して、真ん中のブロックを軸に上がっては降り、降りきっては上がってと行ったり来たりと、柔軟に揺らぎ続けていて、その揺らぎ(神経ダイナミクスの柔軟な動き)が大きい人ほど、IQが高い傾向にあったと言うもの。


IQが表すものは人間の知性のほんの一部でしかなく、それが全てではない。成功の確率をIQが示すことも、人生の幸せをIQが定めるわけでももちろんない。

今日読んでいた「天才/genius」の中で、IQがそう高くなく、中級階級の人が、天才になる可能性が高いと考えられる、、、と過去のさまざまな天才と呼ばれる人達を研究してきた著者は考察していた。


なにを言いたいかというと、人の可能性をIQや学力だけで見る事はしたくない。

きっと大事なのは、そこではなく、ダイナミックに揺らぎ続ける脳活動を起こす環境にいる事なのではないか、と思う。

だからこそ、環境の固着や、個がする固着的選択の場面は出来るだけ減らしていきたい。


頑張っていても、固着が見られるままでは、なにも動く事はないし、最大の可能性を発揮する事は難しいと感じている。


この危機感をどう乗り越えていくか、ゆっくりと考え抜こうと思う。


渡部先生の動画。

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