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1945年8月9日・のオハナシその3

今日は、石川県金沢市野田墓地にたつ満蒙開拓団の慰霊碑にお参りしてきました。満開の桜のなかにひっそりと美しくも淋しくひっそりと建っていました。年々訪れる人もすくなくなっているそうです。         合掌

このお母さんが属した逃避行の団体は、50を過ぎた男性が数人引率し、あとは女と子供ばかり250名くらいでした。

国境を越えて侵攻してきたソ連の兵隊は、後にわかったのですがなんと刑務所の囚人を解き放ち軍服を着せて銃を持たせた「にわか兵隊」がほとんどでした。戦車を背にして進んできた体中に刺青をした大男を、お母さんたちは生まれて初めてみたのです。

何日歩いたのか、どこを逃げたのか記憶もありません。
沢山の女の人が酷い目にも合わされました・・・・ここには書けません。
お母さんの長男5歳は・・・・トウモロコシ畑のあぜ道を逃げていた時に
何機もの飛行機から打ち込まれた一斉射撃に当たって死にました。死体は
道端の溝に死にかけていた近所のおばあちゃんが「おらが、坊は阿弥陀さんのところに連れて行くからお前は他の子を連れて早く逃げろ」と言ってくれたので・・・渡してきました。

逃げ惑う道中で、背中の女の子は冷たくなっていました。おっぱいだって出ませんから仕方ありません。そばの木の根にの所に置いてきました。
一人残った男の子は・・・・・
収容所の冷たいコンクリートの上に寝ていた時、チブスが流行して死にました。虱(シラミ)というのを知ってますか?
人にとりついて血を吸う虫ですが、この虱は人が死ぬとざぁーと隣の生きてる人の身体に引っ越して繰るのです。死んだ坊やの身体から、ざわざわとシラミが引っ越してくる感覚をお母さんは死ぬまで忘れられませんでした。 
                               つづく


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