かりんのかんづめ 〜地獄の大学祭実行委員〜
私は、高校時代から小学校教員を目指していました。そのために、大学では陸上部に入部しなければと考えた。やっぱり小学校教員は走れる方が良いと。
短絡思考ですね。
憧れていたラクロス部(ユニフォームが可愛い)や、大学生っぽいと感じたサークルやイケメンが多いように見えたサッカー部のマネージャーと魅力的なものはたくさんあったけど、何を思ったか将来のことを考えると陸上部だと決断した。
サークルやサッカー部は、女子大である我が大学のものではなく一番近くの北海道大学との合流がほとんどで、今考えても楽しそう。
自身の大学内の部活やサークルの見学会の日、ふと声をかけられた。
「学校祭実行委員を知ってますか?」
ほかのサークルのように人集めをしているようだった。
「学祭を楽しめるし、大学に貢献できますよ。是非、話だけでも」
三人くらいの先輩が長テーブルに椅子を設置してメンバーを集めていた。
「大学に貢献出来る」なぜかそのフレーズが心に刺さった。
「やります!」
元気過ぎるほど元気で無知な19歳の私は、『学業』『陸上部』『学校祭実行委員』に『アルバイト』も始めたため四足の草鞋をはくこととなった。
めちゃくちゃ大変だった。
大学では、仲良くなった四人の子と集まって授業を聞いていた。良い子ばかりで気も合って楽しい。
バイトはかなりきつかったけどなんとか乗り越えた。
陸上部は気の強い人ばかりで心は辟易していたけど、友達をつくるためではなく将来の仕事に役立てるためと思って乗り越えた、マジできつかったけど。
問題は学校祭実行委員だった。
これは、詐欺だった。
なんと、3人いると思った先輩が2人はサクラで残りの1人だけだった。
「去年のメンバーが全員辞めちゃって1人なんだよね」
驚愕だ、けっこう大きくて北海道では少々名のある女子大学の学校祭なのに。
一年生でやっと集まったメンバー計6人はみんな、「詐欺・・・」と心の中で呟いた。
大学の学部は2つ。私が通った学部は田舎で酪農が盛んなため、夏になると授業中に牛の糞の香りが漂ってくる。想像以上に臭い。
憧れの大学生活は牛の糞の香りではなかったはず。
学科は3つに分かれ、6人は見事3つの学科が揃ったメンバーだった。
私と同じ学科の子はいなかったので、授業で会うメンバーというよりは大学の校舎が同じメンバーと言う感じ。
忙しい中、昼休みを使って会議を行う。サクラだった先輩たちは去年実行委員だったのでお手伝いとして参加していた。
皆、人柄の良いメンバーですぐに仲良くなった。
小さくて活動的な子、ほわほわしているけれど空気を読んでまとめる子、なんでも知っている子、寡黙で器用にこなす子、柔和で芯の強さのある子。
学祭を経験した人が一人しかいない中での準備、手探り過ぎて頼る人もいなくて空気を掴むような日々だった。
教育学を担当する高瀬教授は学校祭の担当者としてかなり協力をしてくれた。
高瀬教授は変わりもののお人好しで、それでいてたくさんお話をしてくださる。雰囲気は林修先生と所さんを合わせたイケオジだった。
徐々にイベントが近くなってくると、忙しさは日増しに強くなってくる。学校祭を見たことも参加してもいない6人でてんやわんやの日が続く。
男子はもちろんいないので、力仕事は自分たちでやるしかない。これが1番キツい。
食堂やカフェテリアの椅子やテーブルは、お店を出す店舗にそれぞれ何台貸し出せるか個数の確認。どこの店舗がどれだけ必要なのか。どこに動かすか。
20歳前後の女子大生が、アルバイトのように時給がもらえる訳でも、男子学生とのウキウキやドキドキがある訳でもない中、汗を流してがむしゃらに・・・。
ふと、「地獄やないかぁ!!」との思いがよぎる。
一年生メンバー全員が思ってるな、と伝わって来ていた。
お金になったらな。男子がいたらな。
もういっそ、逃げ出せたらな。
疲労と、責任の重さで皆おかしくなっていた。
大学の中庭にあるカフェテリア席で会議をしている最中、きらびやかな服装に良い香りを漂わす子らが「私、学祭の期間は彼氏とハワイに行くんだ」「ええ、私は短期のバイトでお金貯める」「他大学もやってるみたいだから、そっちに遊びに行く」
『そうだよね!そうなりますよね!!』
負けらんねぇ。絶対成功させて、やめてやる。来年はこんなのやめてやる。
大成功に終わった学校祭。
抜け殻だった、我々はその日は疲れて仕方がないので、別の日に打ち上げをした。
最高に盛り上がった、学科も違うのに大変な状況を乗り越えた戦友だ。損得で繋がった関係ではない、最後は逃げたいと思いながら乗り越えた。
そして全員、来年は絶対に続けないと心に誓った。
実行委員の継続有無を伝える会議の日。
これでせいせいしてやるんだ!本当に辛かったのだということを学校にも先生方にもわかってもらうのだ。
案の定、全員辞めると申告した。
するとなぜか、どうしようと思い始めてきた。
全員が辞めたら、来年はどうなるんだろう。経験しているのはこのメンバーだけなのに。
先輩が担当教授に今回の結果を伝えてくると言った。
私は焦った。
絶対に残りたくない、でもそれは違う気がする。どうしよう、どうしたら良いんだろう。
考えに考え、「ああ!みんなで辞めるんじゃなくて。みんな残ろうよ。このメンバーでまたやろうよ!全員残ればやれるよ」
メンバーは驚いたのではないだろうか。何人かが「ああ」と言って賛同のような声をあげてくれた。次の子らの事を心配したり、同じように色んな思いがよぎっていたのかもしれない。
もちろん、まだ数人しぶっていた。
次に提案した言葉をどうして口走ったのか、未だに思い出せない。
「そしたら、私が部長になるから。みんなは好きなポジションで好きなようにやって良いから」
必死な姿だったと思う。
6人いるメンバーのうち、一人も嫌な人間がいなかった。皆、人が良くて謙虚で奇跡のように素晴らしいメンバーだった。だから、このメンバーとなら一緒にやりたいと思った。
それが大きかった。
担当の高瀬教授は、喜んでくれた。
一人、元気いっぱいのCが最後までしぶっていたけど、メンバー全員で口説き倒した。
「私、よさこい実行委員もやってるから役に立てないし」
「みんなで動くから、動けない時期はフォローするから」
最後は全員が残った。
また地獄の日々がはじまった。去年よりも我々の責任は重くなった。
ただ、去年と違うのは我々の絆は強くなっていた、楽しんでやるコツも手に入れた。
私は責任から体調を崩すわけにはいかないという怖さを持ち、陸上部を辞めることにした。
風邪をひかないため厚着を優先して、ダサい服装に変わった。
2回目の学校祭後、たくさんの後輩たちに引き継ぐことが出来た。
そして我々6人は、戦友から親友となった。
相も変わらず今だに交流が続いている。のんびりとそれでいて陰ながら想いあっての関係で。
コロナが流行り出してからは、年に2、3回オンライン飲み会で楽しむ。
あのとき、地獄だと思った日々はお金やウキウキ以上の大事なものを残してくれた。
老後は、みんなで温泉でも行けたら良いな。
にしても、当時の私の服装が本当にダサい!!この写真は残らなくて良かったのに。
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